第16話 期待されたこと

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おお、ついに出ましたな。鄭成功」


「ホンマや。待ちかねましたで」


 ここは道頓堀にある陰間茶屋、そこの二階である。

 人形浄瑠璃で人気の竹本座、その座長と義太夫節の太夫が私の昔話にはしゃいでいる。


 それはそうだ。

 もともと竹本座の新作である『国性爺』の主人公たる『わとうない』のご本尊、実在した『鄭成功』がやっと登場したのだから。


 これは私の話し方が悪かった。

 長々と自分の身の上話などを語ったのだから。

 しかし、物書きの宿命といえばよいのか、どうしてもその話題に至るまでの説明は必要だった。もし私が江戸を目指さなかったら、講釈師・軍八どのに出会わなかったら、非人頭たちに目をかけてもらわなかったら……と、人生とは如何に人との出会いが肝心なのかがわかるというものだ。



「長いこと待たせてカンニンな。せやけど、まだまだ。話はこれからですよって」


 男三人で飲む酒も、話次第では実に旨い。


「つまり、先生に講釈のネタを持ってきた若侍が先生に鄭成功のことを教えたゆうことですな」


「そうです」


「気になるのはその若侍の正体ゆうことでんな?」


「娘の正体もやで」


「コラコラ、お二人とも。先走ったらあきまへん。話には話の流れいうモンがありますよって。お客はンならともかく、浄瑠璃を稼業にしとる座長や太夫がそない言うたら恥かきますで」


 気持ちはよくわかるが、一応二人をたしなめてみた。


「すんまへん……」


 素直に謝られるとこちらも悪い気がしてくる。


「まあ、ええです。ほな、話続けましょ」


 さて、私も当時講釈師であったことを思いだし、「次回どうなるか。期してお待ちあれ」といった心境だ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 延宝六年五月。新緑の芽吹く気持ちのいい季節だ。


 私が結城殿から託された最後の作品が出来上がる。

 題して『明末忠臣一代記』であるが、結城殿もお春も気に入ってくれた。


 まずは小手調べと、いつもの浅草寺近くの通りに立つ。


「本日語りまするは遠く唐土もろこしの国、大明帝国の興亡と、その最後を見届けた一人の忠臣の物語でございます。


 明といえば、言わずと知れた、かの豊臣秀吉、太閤殿下が何年かけても一寸の土地すら手に入れられなかったという曰くのお国。

 それが何と、あっさりと消えてなくなった。

 これでは太閤サマも草葉の陰で泣いている。


 奪ったのは北の国、女真族が建てた清国でございます。

 沙羅双樹の花の色、祇園精舎の鐘の声。太古から続くことわりどおり、栄枯盛衰を絵にしたかのようで、身につまされてなりません」


 太閤様と平家を引き合いに出し、聴衆の気を引いた。これから話す内容がおおよそ理解できるであろう。


「さて、この明の国、朱元璋なる若者が蒙古の建てた国、元を滅ぼしたのがそもそもの始まりであります。


 元国といえば、古くは鎌倉幕府の時代、二度の元寇で知られまする。

 いってみればわが国の仇でもあったわけです。


 その仇をとった朱元璋、明の皇帝となるもその後がよくない。

 次第に勢いをなくし、万暦帝などは二十年も朝廷に出なかったほどのモノグサ皇帝。


 中にはまつりごとに熱心な皇帝もいたが、いずれも揃って短命。

 ついには滅んでしまうことになるのも運命なのか」


 太祖から万暦帝まで一気に下る。本題はこれからである。


「さてお立会い。


 明国最後の皇帝、崇禎帝は、兄だった先代、天啓帝のお粗末なまつりごとの尻拭いに懸命でありました。

 先代のころ悪事に手を染めていた家臣を次々と始末していきます。


 余りに熱心だったのが仇となり、家臣からの信頼まで切り捨てることと相成りました……」


 この数ヶ月唐土もろこしの物語を語ってきたが、聴衆の反応は悪くない。

 いってしまえば合戦の場面があって、非業の最期に泣いたり憤ったりできれば満足なのかもしれない。


 結城殿の依頼どおり、明末からはゆっくりと、十回ほどに分けて講釈することになっている。


「……やることなすこと、すべてが裏目に出るという、まさに天中殺。

 ついに各地で反乱が起こりました。


 その中でも、闖王・李自成という男、長躯して明の都に襲い掛かります。


 闖王というのは一揆の指導者。

 民は子であるはずの皇帝、その我が子に襲われたのだから、立つ瀬が無い。


 必死に防戦しようとしますが、御所からは既に家臣たちは逃げ去っています。

 呼べど答える者なし。

 そばに居りましたのはたった一人の宦官のみ。


 今はこれまでと崇禎帝、お世継ぎ様たちを城の外に逃がした後、押っ取り刀で駆けつけたのは大奥でございました。

 女たちを集めて覚悟を決めろと言い渡します。


『このままでは汝らが賊の手に落ちることになる。ならばいっそ、朕の手にかけてくれる』と、涙を堪えて刀を振るいました。


 血溜りの中、最後に御前に立っていたのは長平公主ただ一人。

 この長平姫、崇禎帝が手中の珠とかわいがってきたお方でございます。


 許婚も既に決まっていたというのに、娘かわいさで手放さなかったのがまたもや仇になりました。

 その手中の珠を斬る段になって『ああ、汝は何故皇帝の娘に生まれてしまったのか!』とついに大粒の涙がこぼれてしまいます。


 涙で目が霞み、あわやというところで姫は左腕を斬られただけで済みました。


 ここで機転を利かせたのは、たった一人残った宦官。

 姫は死んだと報告いたし、密かに救い出しました……」


 この長平公主のくだりは非常に受けがよかった。同情といっていい。


「その姫さまはどうなったんでえ」


 これまで言及してこなかったが、聴衆というのはただ黙って聞いているわけではない。金を払うのだからと、気に入らないことにはすぐに口を出す。

 特に、私の最近の講釈にはケチというよりは質問が増えた。


「行方知れずでございます。許婚と所帯を持ったとか、病死したとか、尼になって今も生きているとか風聞はございますが」


「なんでえ。かわいそうによ」


「ありがとうございます……」


 これなら今度は長平公主のその後を戯作にしてもいいかもしれないなどと、都合のいいことを考えながら、私の講釈はその後も続くのであった。





 

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