第15話 講釈師吉次郎繁盛3
水温む三月。
桜もちらほらと花を咲かせ始めたころ、ようやく私なりの講談・水滸伝が形を成した。
今回は
それに加え、同業の講釈師のため講談用三国志の手直しや、二日に一度は辻に立つことも忘れてはならないのでかなり忙しかった。
「おや、旦那。今日から仕事かい」
「はあ、話ができましたから」
「今日はお天気だからね、人も多いだろうよ。がんばって稼いできな」
「まあ、そうですね」
長屋のおかみさんたちに声をかけてもらい、私はいつもの辻に向かった。
「さてお立会い! 本日より語るは、モロコシのお国の物語、水滸伝でございます」
道行く人を呼び寄せ、まずは口上を述べる。常連の客もいたが、ほとんどが始めて耳にする題目だろう。皆きょとんとしていた。
だが、私が以前三国志を講釈したのを知っているせいか、去る者も野次を飛ばす者もいない。これ幸いと私は物語を始めた。
「今を去ること何百年。
そんな腐った朝廷から逃げ出す者がたどり着いたのは梁山という水郷の地。
人呼んで梁山泊といいます。
集った豪傑百と八人。
これは、梁山泊の豪傑たちが悪と戦う物語なのでございます……」
合戦に重きを置き、面倒な政治のしがらみは脇に置いたので、評判はよかった。
やはり見計らったかのように結城殿たちが現れた。私は心得て船宿に馳せ参じる。そこで何があったかは詳しく述べるまでもない。
「次はこれを」
と結城殿が出したのはやはり書籍。もう慣れたといわんばかりに私は受け取った。
「十八史略……ですか」
「さよう。今回は南宋の所を」
今回は一冊だけである。宋の時代は水滸伝で取り上げたから、後半のところだけでよいと念押しされた。
特に、岳飛について語ってほしいとのことである。
私は今回三回目でなんとなく傾向がつかめた。諸葛亮、宋江、岳飛。共通点がある。
私は思わず口にしてしまった。
「よほど忠臣がお好みのようですね」
「む、そ、それは武士として当然のことであろう」
おや、と思った。
年が若いのに、いつも泰然自若としていた結城殿だったが、私のこの発言に動揺したように見えたのだ。
忠義といっても、日本と中国とではだいぶ趣を異にする。
譜代の旗本や御家人はともかく、武士というのは己の主人にのみ忠義を尽くすものなのだ。
ご公儀には直接関わりはない。
そもそも、天子様が京の都におわすことを、江戸の人は特にだが、まるっきり失念している。
そのことを言おうと思ったが、講釈のありがたいネタをくれる御仁に、しかも武士然としている相手に失礼だと思い直し、口をつむぐことに。
いつものように大川端で別れ、私は長屋に戻った。
私の三作目は割りと早く完成する。もともと記述が少なかった上、歴史上の人物であったから私も岳飛ぐらいは知っていたのだ。
逆に講釈として物足りないと思ったので、金国との合戦は水増ししてやったくらいである。
桜の満開のころ、私が『南宋忠臣伝』と勝手に銘打った物語は、これも驚くほどの人気作となる。前作に比べて短すぎるというお叱りは、逆に私を喜ばせたのだった。
そして何度目かの船宿。
「今回もお見事でござる」
褒め言葉から始まるが、用件はわかっていた。早速本を拝見する。
「おや、これは……」
違和感を感じた。いや、今まで感じていた違和感が何か判然としたといっていい。
今回受け取った書籍は手書きの物であった。
ふと思い出す。前回の三作は版で刷られたものだった。
古来書籍は高価なもので、武士に毛が生えた程度の私の家系ではとても手が出ない。
ではどうしていたのか。大体が借りた書物を写筆したものだった。その借りた書物でさえ誰かの写したものなのである。
それが、この若者が持ってきた書籍はすべて刷られたもの。それもごく最近だということがわかる。日本の版屋ではない。となれば大陸から持ち込まれたものだ。一体どんなツテがあるのか。
さらに、今まで版刷りだったものが、逆さまに、何故今回は手書きなのかという疑問もある。
私は正直なところをぶつけてみた。
「私が書いた」
「えっ!」
答えたのはお春。驚くしかなかった。このような幼子が本を、それも仮名ではなく本字のみで書くとは一体どういうことなのか。
「杉森殿、詳しくは今は話せん。そうだな……」
「……講釈の出来次第でございますか?」
私は結城殿の先手を取った。
結城殿は少し動転したようだったが、翻然と笑い返す。
「さよう。すべてが終わったら何もかも話そう」
「わかりました」
私は何も聞かないことにした。どんな目論見があるか知らないが、私にとっては講釈のネタに過ぎないということを再確認する。
勿論、聞かないのは事情だけということで、書籍の内容については詳しく聞かなければとても読めない。
「明史? この間まであったお国ですか?」
明国といえば、上方の者なら誰だって知っている。時の関白、のちの太閤秀吉が攻め取ろうとした国ではないか。文禄の役からまだ百年にもならない。
「う、うむ。如何にも……」
そうは答えたが、何か歯切れが悪い。
「一冊だけですが、これはどの時代の……」
「め、滅亡と忠臣の最後の抵抗についてだ」
「忠臣……」
やはりそれが眼目であった。
私はその場で読み進めていく。なるほど、前半部は崇禎帝の治世と李自成なる人物の反乱、そして清国の侵入についてであった。
筆者であるお春の許可が出たので、説明を受けながら直接本誌に注釈を書き込んでいく。
どちらが大人かわからない優秀さだ。
「これなら仮名で書いてくれればよかったのに」
「私は仮名など書かぬ」
「え? それってどういう……」
「聞くな!」
「はい……」
やはりお春の迫力に押されてしまう。
後半部分は忠臣鄭成功の生い立ちと、最後の南明皇帝の様子が書かれていた。
「うん、これなら充分講釈になる」
「そうか、良しなに頼むぞ。信盛」
「そ、それは私の名……」
私の素性が知られていたのはこの際どうでもよかったが、本名を他人に、それも十かそこらの子供に呼び捨てにされたのでは、さすがの私も憮然とする。
もし私が元のサムライの身分であったならこの場で切り捨ててもおかしくないのだ。
「春! 言葉には気をつけろと言っただろう。杉森殿、相すまぬ。子供のことと堪忍してくだされ」
とっさに結城殿に頭を下げられたのでは、何も言えなかった。
それに、お春は結城殿のことを『たいせー』と、おそらくは『大成』と呼んでいるので、人を本名で呼ぶ癖がついているのかも、などと考えたりもして自分を慰めてみる。
「か、構いませんとも。私はご存知の通り講釈師ですから……」
「まことに申し訳ない。本日はこれにて御免。春! 帰るぞ!」
「あん、たいせー……」
よほど体裁が悪かったのか、杉森殿はお春の腕を取り、半ば走るように部屋を出て行った。
一人残された私は、今回は追いかける気も起こらず、残っていた酒を徳利からそのまま飲み干す。
「ふーっ。何なんだ。あの娘は……」
しばらく自棄酒に浸っていた。
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