第14話 講釈師吉次郎繁盛2

 非人頭のお屋敷を訪れるたびに宴になっているような気がするのは気のせいだろうか。

 その宴が始まってすぐ、乞胸頭の仁太夫どのが話しかけてくるのであった。


「他の講釈師もピンからキリまである。どうでえ、吉さんの書いた本を売れてねえ連中に譲っちゃくれねえか?」


「私の、ですか?」


「おうよ。先の、三国志とやら、語り終わったんだろ?」


「はい。先日……」


「ならよ、かまわねえだろ?」


「はい。元本はお返ししましたから、私が書いた走り書きしかありませんが、それでよければ……」


「おう、かまわねえだろ。やつらも一端の講釈師なんだ。後はてめえでなんとかするさ」


「わかりました。明日持参します」


「せっかちだな。いつでもかまわねえよ」


「はい」


 どんどん酒の壷が回ってくる。宴の陽気な雰囲気に包まれながら、私は先ほど話題に出た先日のことを思い出していた。



 



 預かった三国志での予定の講釈が終わった日のことである。結城殿がやってきて再び船宿に招待を受けた。

 当日ではなく翌日の夕方ということであったので、私は預かっていた書物とこれまでの稼ぎを持参するほうがよいと考える。


 約束の日、江戸の街は冷え込んでいた。私の講釈も休みにしてちょうど良かったと思いながら船宿に向かう。


 船宿では、私は相変わらずぼろぼろの格好であったが、今回は愛想よく通してもらえた。

 既に結城殿はお待ちのようである。無論お春という少女も。


「杉森殿。ご足労でござった」


「いえ、そちらさまこそ」


「火に当たられよ。ささ、一献参ろう」


「これはかたじけない」


 挨拶もそこそこに酒を酌み交わすことになる。招待を受けた身、いきなり金の話は無粋と、私も大いに飲み、食べた。


「改めて申しますが、結城殿。此度はまことにありがとうございます。感謝いたします」


 食事の終わったところで、私は威儀を正し、私より年若き人物に頭を下げる。形ばかりではない。心からの行動だった。


「何を申される。こちらから請い願ったこと。礼を申すのは拙者でござる」


「いえ、今回の一件で何かつかめた気がします。よい機会を与えてくださり、まことに感謝しております。つきましては、貴重な書物をお返ししようと持参いたしました」


 風呂敷に包んだ本を差し出す。そして銭の入った布袋も。


「差し上げたつもりであったが、貴殿がそう言われるのであれば引き取ろう。だが、これは?」


「細かい銭で申し訳ありませんが、此度の講釈で得た金子です。これもすべて結城殿の提言があったからこそ。お納めください」


「……わかり申した。受け取り申そう」


 結城殿が私の差し出した金子を受け取ってくれた。ホッと一息つく。だが、このあと思いもよらない展開になった。


「では、今度はこちらを」


「え?」


 そう言って結城殿は私が返却したものとは違う風呂敷包みを目の前に置く。開いてみると、またもや書物であった。今度は十冊ほどある。


「これは……水滸伝……ですか」


「如何にも。ご存知か?」


「いえ、寡聞にして……申し訳ございません」


「かまわんでござる。次はこれを講釈で使っていただきたい」


 私が知らぬだろうと予想していたようで、今回は第一回から揃っている。

 やはり漢字ばかりであったので、私にはすぐにはわからなかったが、その場で簡単な説明をしてもらえた。


 なんでも、百八人の豪傑が梁山泊に集結する話で、そこまでが七十回。その段は朝廷に背を向ける話だから適宜に紹介すればよいとのこと。後半部分が朝廷の命で契丹の王朝・遼や奸臣と戦う場面だそうだから、ここを重点的に語ればよいと指導を受ける。


 的確な説明に感心しかけたところに、結城殿が私を困惑させる真似をする。


「では、これは支度金として使ってくだされ」


 そう言って差し出したのは先ほど私が納めたばかりの金子ではないか。


「あ、いや、困ります……」


「今回は未知の文献。時間もかかろう。遠慮は無用に願いまする」


「しかし……」


「金が要らぬとは珍妙な男じゃ。それに、一度差し出したものを引っ込めろというのか。こちらは受け取ったではないか」


 私が躊躇っていると、お春が口を出してくる。相変わらず子供とは思えない口の利き方だ。


「こら、春! 無礼だぞ!」


「ふん」


 お春は結城殿に叱責されて鼻を鳴らす。


 しかし、口の利き方はともかく、お春の言っていることは的を得ていた。確かに結城殿は私の差し出した金子を受け取った。結城殿が私に渡そうとしているのは、形こそ先ほどの布袋ではあるが、名目は支度金。

 前回三両という支度金を既に受け取っている私には今回だけ断る理由が無い。


「……わかりました。ありがたく受け取らせていただきます。いや、春殿には敵いませんな」


「ふん、それ見たことか」


「春! 申し訳ござらぬ、杉森殿」


「いえいえ。こちらこそいらぬ気を回してしまって」


 春までには講釈用に話を作ると約定し、その日の会合は終わった。


「杉森殿、書物の内容に関してわからぬことがあったら何でも聞くといい。拙者も春もよく存じておる」


 帰り際、結城殿からこんな申し出があった。だが、私は未だにこの二人の素性を知らぬ。


「聞くといっても、お住まいは?」


「そうであったな……では、ここの船宿の者に言付けるとよい。すぐに馳せ参じよう」


「はあ……わかりました……」


「では、期待しておりますぞ」


「しっかりな」


「春! では……」


「お気をつけて……」


 浅草の大川端で二人を見送った私は寒風にブルッと震えた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「なるほど。三国志が当たったんで、また次の本が来たんでっか」


「そういうことでしょうな」


 道頓堀の茶屋で、昔の私が講釈でも人気があったと聞いて、政太夫も座長も楽しそうである。


「で、先生。スイコデンいうんは何なんで?」


「知りまへんか? 漢籍でなら結構出回ってますが……」


「そりゃムチャですわ」


 漢字だらけの本など、この若い芸人には縁の無い話だったようだ。確かに、あれから数十年たった今も和訳はされていないようである。


「まあ、ご公儀に逆らう豪傑たちの物語いうところですかな」


「半端モンでんな」


「いやいや。そンころの中国は宋朝末期でな、ロクでもない皇帝はンや悪代官が溢れとったんです。そやさかい、そン人たちはお上に背ぇ向けるしかできなかったんでしょうな」


「由比正雪の乱みたいなもんでっしゃろか?」


「座長はいいこと言わはりますな」


 しかし、と私は訂正する。


「でもな、そン人らはお上を倒そうなどとはしませんでしたで。ただ追っ手から逃げるために戦いましたンや。結局朝廷の招聘に応じて帰順してな、外国と戦ったり活躍しましたンです。最後はお役人にコキ使われて全滅しましたけどな」


「エゲツないでんな」


「そうですな。しかし、読み物ですから」


「で? そン話は儲かりましたか?」


「無粋でんな。まあ……ぼちぼちでしたな」


「さすがは先生や!」


「ふふ。ほな、続けますで」


「へえ」


 鬼籍に近い老人でも、こうして若者を楽しませることができる。私自身も楽しくなってきた。



 

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