第13話 講釈師吉次郎繁盛1


 歴史的用語を含みます。

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 十一月になった。

 私の郷里も京の都も寒さの厳しいところであったが、関東も負けずと寒い。無地のサラシを首巻にしていつもの半纏を着込み、私は浅草近くの辻に立っている。


 今日は私にとって大事な日である。


 先日、いきなり三両という大金とともに見知らぬ浪人風の御仁から預かった三冊の書物。漢文のままの三国志であった。

 いや、苦心惨憺して読んでみると正史ではなく演義物のようである。ようやく講釈用に話が出来上がり、今日はそのお披露目の日であった。


 江戸の町人にこの話が果たして受け入れられるのか。

 異国物という話の選択だけが問題ではない。講釈師として、初めての戯作者として私は不安で一杯であった。


 昨日で今までの日本の軍記物は一段落する。その折、次は新作を発表すると集まっていた客たちには伝えてあった。おかげで今日はいつもよりも人が多い気がする。

 当然結城何某殿も子連れで来ていた。やはりただの素浪人ではなさそうで、堂々と綿入れを羽織っている。娘も相当大き目のカイマキにくるまっていた。


「お集まりの皆さん、本日これより語るは遠くからの国、魏呉蜀、三国での国取り合戦。世にいう三国志であります……」


 口上を述べたところで観衆から『おー』という声が上がった。


 ちょうどこのころの寛文・延宝年間、上方かどこかで『通俗傾城三国志』という浄瑠璃が発表されたのを私も知っている。

 ここに集まっているのはそういう見世物が好きな人たちばかりなのだから知識もそこそこあるのだろう。

 反応は良いとほくそえむ。

 私は心を決めて講釈を始めた。


 結城殿から預かったのは三国志演義の一部、後半部分の第九十回から第百八回まで。諸葛孔明出師の表から五丈原での陣没、そしてかの有名な『死せる諸葛、生ける仲達を走らす』を挟み、司馬氏が魏の実権を握るくだりである。


 確かに合戦と悲劇が交じり合い、人の興味を引く部分だとは思う。結城殿の選択は見事だと感心した。


 だが、世に名文と評価されている『諸葛孔明の出師の表を読みて涙堕さざれば、その人、必ず不忠』というのは、果たして江戸の庶民にもうまく伝わるか不安である。

 そして何よりいきなり第九十回から語り始めるのも抵抗があった。

 よほど教養がある人でもないと物語の内容が伝わらない。もちろん中には合戦の面白さしか求めない観客もいるが、私はできれば話の面白さもわかってほしい。


「さて、長兄劉備、次兄関羽、末弟張飛が義兄弟の契りを結んだのは花の盛りの桃の園にございます……」


 私は物語を最初から説き起こすことにした。

 無論結城殿から預かった本には序盤の回はなかった。昔父から聞いた話や京の公家屋敷で得た知識を自分なりに、初めて聞く町人にもわかるように組み立てて。実際、桃園だからといって花が咲いていたかは私にはわからない。


 しばらくは客の反応を見ながら、自分の知っている限りの三国志をわかりやすく伝えようと努めるつもりだ。


 私にとっても初めての講釈・三国志の初日は割合うまくいったと思われる。手に入った聴講料がそれを物語っていた。百文はある。


「杉森殿。見事でござる」


「結城殿……」


 私が約定どおり三国志の講釈を始めたことに満足したのか、今日は観客が引けてから結城殿が話しかけてきた。

 例の浪人笠、着流しの風体で。後ろにはすまし顔の女の子もくっついている。


「初回から語るのであれば全巻持参したのだが……」


「いえ、触りだけですので、無くとも何とかなります」


「さようか。では、これからも期待いたしまするぞ」


「はい。私も楽しくなってきました」


「しっかり励むのだぞ」


「こら、春! 失礼いたした。では後日」


「ははは。またお待ちしております」


 大人に生意気な口を利くな、と叱られた少女は不満げな表情で立ち去ろうとする。

 結城殿は慌てて追いかけていった。


「どういった関係だろう……」


 私は夕暮れが近い辻で二人の後姿を見送った。






 それからしばらく経った十二月下旬のこと。延宝五年も暮れようとしている。


 その日私は乞胸頭に呼ばれて何度目かの非人屋敷を訪れていた。


「吉さん。評判だってな」


「はあ、お二方のおかげです……」


 非人頭・車善七は鷹揚に長火鉢のそばに私の席を用意してくれている。


 今日は小雪が舞い、外はかなり寒かった。

 ところが、この寒さの中、私の講釈を聞きに来てくれる人がかなりいたのである。それもこれも、あの日結城何某殿から三国志の本を託されてからのことだ。

 あれから一月余り、観衆は日に日に増え、上がりも結構なものとなった。これを聞きつけた乞胸頭の仁太夫が私を呼び出したというわけである。


 同業の講釈師から苦情でも出たのだろうかと、一応上がりの一部を納めるつもりで持参してきてはいるが、非人頭と乞胸頭の機嫌はよさそうであった。


「今日は何か……」


「なに、評判の先生と一杯やろうと思っただけよ」


「そんな、車様。先生だなどと……」


「吉さん、いいじゃねえか。もうすぐ正月なんだ。めでてえこった」


「仁太夫殿まで……私はてっきり苦情が来たのかと」


「苦情?」


「はい。私のところばかりに客が集まるなどと……」


 二人は顔を見合わせて笑い出した。


「あの、何か……」


「おめえもよくよく人がいいな。その分だと上がりも持ってきてるんだろ」


「はい。持参いたしました」


 私が銭の入った布袋を差し出すと二人は再び笑い出した。


 この稼業に入ってまだ日の浅い私にはどういうことかよくわからない。


「もし鑑札も無しにそれだけ荒稼ぎしてたら一大事だがな。客の多寡まで苦情は受け付けてねえよ」


「おめえは月々四十八文払ってんだ。稼ぎは好きにしな。それだけあれば足洗って国にも帰えれるだろ」


「しかし、これは私一人の才覚では……」


「さすが武家の出は違うってトコか。堅いねえ」


「なら、おめえに本を持ってきたサンピンと山分けでもすりゃいいじゃねえか」


「それが、そう持ちかけましたが受け取ってもらえませんでした」


「なんだ? もう持ちかけたのかい」


「はあ……」


「それで俺たちに納めようってか。本当に欲のねえこった」


「申し訳ありません」


「謝るこたあねえが……そうだな、それでおめえの気が済むんならもらってやる」


「そうですか。ありがとうございます」


「よせよ。話が逆じゃねえか」


 確かに妙な話だ。自分でも不思議なくらいこの金子には執着できなかった。

 そもそも、私が江戸に来たのは新たな芸術を求めてのことである。


 私のいた上方では江戸より文化が進んでいるのだが、確信は無かったものの、新たな出会いを求めて文化振興発展中のこの地にやってきたのである。金銭は二の次だった。

 無論、野垂れ死にするわけにはいかぬので、こうして乞胸に身を窶しているわけではあるのだが……


 それはさて置き、またもや非人たちが呼ばれ、非人頭から金を受け取ると、私は大いに感謝された。宴の準備がなされる。


「――吉さん、金のことはいいとしてな」


「はい?」


 酒を酌み交わしながらだが、乞胸頭の仁太夫どのが話しかけてくる。

 今度は何の話であろうか。


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