第12話 初めての書き物
「まあ、ご禁制のモンじゃなきゃ何を講釈しようとかまわねえよ。好きにしな」
「はい、ありがとうございます。ではこれを……」
結城と名乗る若侍の正体についてはまだ不安が残ってはいたが、乞胸頭と非人頭の許可も下り、一段落付いたので辞することに。
その前に問題の三両を二人に差し出した。
「これがどうした?」
「いえ、お納めしようと……」
「おめえが稼いだんだ。その
「ですが、あまりに大金なもので……」
「持ちつけねえってか。欲のねえ……」
そういう非人頭も強欲な
或いは三両が小額過ぎたのかもしれないが。
「よし、一両だけもらっておこう。残りはしまっときな」
「はあ。ありがとうございます……」
私が言われたとおり二両を袂に仕舞い込むと、非人頭は部屋の外に声をかけた。
ぞろぞろと非人たちが集まってくる。当たり前だが、ボサボサのザンギリ頭にひどい格好である。私の着物がきれいに見えるというものだ。
「おめえら! この杉森の旦那から差し入れだ! 礼を言いな!」
そう叫ぶと非人頭は代表のものを呼び寄せ、先ほど渡した小判一枚を非人に下げ渡す。
「旦那、ありがとうごぜえます」
『えーい! おありがとうごぜえますぅ!』
一人が頭を下げると後ろからありがとうの大合唱が起こった。
「いやいや、私ではない」
慌てて首を振るが誰も聞いている様子がない。
非人たちはもらったばかりの小判を皆して代わる代わる手にとって眺めていた。どうやら誰からもらったかは重要ではないらしい。
ならば私も気が楽というものだ。
それにしても、今ここには何人の非人がいるのだろうか。
十人なら一人四百文、四十人でも百文である。彼らにとってはかなりの収入だ。
だが、浅草周りの非人の数を考えれば三両など焼け石に水である。そのことを思うと心が暗くなるのであった。
今の私は他人事ではないのだから。
「難しいことは考えるな。吉さん」
「仁太夫どの……」
私はよほど心が顔に出るらしい。
私の立場をわきまえない同情心に乞胸頭がそれとなく忠告してきた。
「俺たちは食うために芸を見せるだけだ。非人も非人で仕事はある。世の中何とかなるもんだ」
「よし! 吉よ、おめえも飲んでいきな!」
「い、いえ、私はこれで……」
「なに、遠慮はいらねえ。ここは非人しかいねえぜ」
「そんな、車様……」
きわどいが、冗談でもなかった。
ここは非人小屋。ある意味、幕府もおいそれとは手が出せない。
身分の最下層同士、酒盛りが始まる。
非人頭が気前のいいところを見せ、非人たちも宴に加わった。やはり礼儀も何もなかったが、それだけに陽気である。
私はつい酒を過ごし、そのまま非人屋敷で一夜を過ごす。
次の日、非人屋敷を辞した私は、浅草の裏通りにある長屋に帰ってきた。
乞胸頭たちの知己で、月四百文と割安の九尺二間の裏店である。
私が講釈師になったばかりのころは、無一文の身に加え稼ぎも日に十文あるかないかの、口入屋で半端仕事でももらっていた方がマシな苦境で、同じように金のない乞胸たちと共に頭の小屋に寝泊りしていたものだが、なんとか人並みに稼げるようになったのだ。
すぐに大家のところへ赴き、これまでの店賃二月分を払い、一両は預かってもらうことにした。
私のような者が小判を二枚も差し出したのを見て大家も驚いていたようだが、私が昨晩非人屋敷に泊まったことを話すと、新参者がそんなことがあるわけもないのに、非人頭と昵懇だと勘違いしたらしい。納得して預かってくれることになった。
一両から釣りをもらい、米や味噌のツケも払っておく。残りは二分と少し。しばらくは充分に暮らせる。
私は自分の家に入ると、形ばかりの小さな縁側に出て、懐に入れたままだった例の本を取り出した。
三国志。
幼少のみぎり父から歴史の講義は受けたがすべてを知っているわけではない。父にしたところで本物の書籍など目にしたこともあるまい。誰も彼も又聞きの話なのだ。
だが、と私は思う。
講釈とはまさにそのようなものではないか。ならば、父が私にしてくれたように、私も辻で語ればよいだけだ。
そう考えると不思議に気が晴れる。
「よし。後は面白おかしく話を作るだけだ」
それが問題だった。
既に金子を受け取っている身、反故にはできないと、生まれ持ったサムライの血がそうさせるのか、私は歴史の講義ではない、町人にも親しまれる講釈用の話作りを始める。
私の日常は朝から晩まで浅草周辺の街道に立ち、日替わりで軍記物を講釈するというものだったが、この日から少し様変わりする。
昼下がりまで家に閉じこもり、漢文の本と悪戦苦闘の日々が始まった。本業の、日本の軍記物の講釈は夕方にかけての一度だけとなる。日銭を稼ぐというのも理由だが、これまで贔屓にしてくれた客を逃しては本末転倒なのであるから。
夜に本を読むことも考えたが、安い魚油では暗すぎて字が読めない。菜種油や蝋燭は、一両まだあるとはいっても、贅沢過ぎてとても使う気になれない。
そんな生活が十日ほど続く。
夕方の講釈には何度か結城某殿が、例によって娘連れで聞きに来ていたが、私が変わらず日本の軍記物を講釈しているのを確認するとすぐに立ち去ってしまう。声もかけてはこない。
私も、ことさら呼び止めようとはしなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「へー。三両くれて、その上本まで置いてったんでっか」
「はい。そうでした」
道頓堀の茶屋の一室では私の昔話を竹本座の座長と若き義太夫節の太夫、政太夫が興味深そうに聞いている。
非人屋敷の件では眉を顰めていたが、講釈の依頼と三両の代金には驚いていた。当節でもお大尽と呼ばれる商人などはそんな豪気なおヒネリも珍しくはないが、浪人のようなお侍からというのが二人にも不思議だったに違いない。
「で、先生はその三国志を講釈しなはったんですか?」
座長が肝心なことを確かめてくる。
確かに、それが私の昔語りの眼目なのだ。
「はい。約束でしたからな」
「は~、私も聞いてみたかったですな。言ってみれば先生の初めての本やないですか」
「確かに、そうかもしれませんな」
講釈は浄瑠璃や歌舞伎とは少し趣が違ったかもしれないが、私が物書きになるきっかけだったかもしれない。
今更ながら運命というものを不思議に感じる。
「私も聞きとうおます」
「まあまあ、大体のことは今聞かせますよって……」
目を輝かせる二人をなだめた私は、再び数十年前の世界に思いを馳せる。
講釈師風に言うと「果たして続きはどうなるか。次回をお聞きあれ」だ。
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