第8話 二人のお頭

 歴史的用語です。他意はありません。

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 口入屋を出た私は、ずんずんと先を行く編み笠の御仁の後を追った。


 私も江戸までの旅路で使っていた編み笠を被っている。こうすれば不恰好に伸びた月代さかやきも隠せるだろうという計算もあった。


 先頭を行く講釈師殿は特に話しかけてくることはなかったが、こちらの質問には愛想良く答えてくれる。


 曰く、これから向かうのは浅草。私は江戸は不案内だが聞いたことはある。私が一時根城にしていた日本橋辺りから北に一里ほどだという。


 曰く、そこに乞胸ごうむね、辻で何某なにがしかの芸を見せ施しを受ける、その者らを纏めるかしらがいる。鑑札はその方から授かるのだそうだ。


 曰く、口入屋の番頭が言っていた、乞食こじきの仲間入りだの、非人の仕事だの、という件に関しては概ねその通りなのだそうで、乞胸ごうむねは、身分としては町人、扱いは非人と同じとのこと。詳しくは乞胸頭ごうむねがしらに聞け、と言う。


 私はその説明にいくらか安堵するものを感じた。


 完全に非人に落とされるわけではなさそうで、そのことは、豪快で快活な琵琶の講釈師の姿からも見て取れる。


 あれこれ説明を受けながら歩いているうちに半刻はたったようで暮れ六つの鐘が聞こえてきた。初夏のこととて辺りが薄暗くなり始めている。


 鐘の音の後もしばらく歩を進めると、ようやく目的の場所に着いたようだ。


「さあ、ここだ」


 案内されたのは、私が想像していた浅草の賑やかな町並みではなく、かなりみすぼらしい長屋が立ち並ぶ一角であった。そこに大き目の建物が一つある。講釈師曰く、乞胸小屋ごうむねごや、だそうだ。


 私を外で待たせて、講釈師殿が門を潜る。

 が、待つまでもなく戻ってきた。


「お頭はお出かけだそうだ」


「で、では、私は日を改めて……」


 未だ決心の付かぬ私は、稼ぎの当てのことは置いておいて、一先ず問題を先送りにしようと考えてしまった。


 だが、講釈師殿は、二度も案内するのは面倒と言わんばかりに、今日中に何とかするようだ。


「なに、行き先ならわかる。遠くは無い」


 そう言うと、私の返答も待たずに歩き始めるのであった。

 仕方なく私も講釈師殿の後に従う。


 何となく、周りの建物はますますみすぼらしいものが増えてきた気がする。


 ふと講釈師殿が立ち止まる。

 辺りはすっかり暗くなってしまっていたが、それでもはっきりとわかる、大きな屋敷の前であった。


 周りの建物に比べ、場違いなほど立派な屋敷が出現したことに私が面食らっていると、講釈師殿はその大きな門を潜る。無論、私を外に待たせたままでだ。


 どれほど待っただろうか。明らかに先ほどの乞胸小屋の時よりは長かった。だが、逃げ帰るか受け入れるかを決断する間もなかったことから、かなり早かったのがわかる。


「入りな。お頭たちが会ってくれるとよ」


 編み笠を脱いで琵琶も置いてきたらしい髭面の講釈師殿が迎えに出てきた。


 お頭、たち?

 乞胸頭、名は仁太夫にだゆうと聞いたが、仁太夫にだゆう様が客としてこの屋敷を訪れているのだとしても、私まで屋敷の主人に会わなければならぬのだろうか。どうも状況が掴めない。一体このお屋敷の主は何者なのであろうか。


 何もかも異質であったが、講釈師殿の後に続いて門を潜ると、その異質さに拍車がかかった。


 京の都で大きなお屋敷は公家のも武家のも数多く見てきたが、ここは、大きさはともかく、まるで様子が違っている。私など比べ物にならぬほど薄汚れた者たちが門内にたむろしていたのである。そしてすべての者が髷を結っていない。ザンギリである。


(非人……)


 私は、戦慄を覚えずにはいられなかった。


 私たちが入り込んでも、非人たちは虚ろな眼差しを向けるだけで何をするわけでもなかった。


 居心地の悪さを感じながら、ついに私は屋敷に上がる。


 暗い廊下を進みながら、講釈師殿の説明を聞いた。曰く、ここは浅草だまり、傷病の罪人を収容する幕府の牢、の近くで、そこの差配もこのお屋敷の主人が任されているらしい。


 さらに詳しく聞こうとしたところ、目的の部屋に着いてしまったようだ。


「お頭! 入るぞ!」


 講釈師殿は、それでも武士の端くれか? と私が呆気にとられるほど無作法に襖を開け放ち、相手の返事も待たずに屋敷の主人がいるであろう座敷に入っていった。それは、踏み込んだと表現できそうな勢いで。


 私も、逡巡しながら、その後に続く。


 その部屋は明るかった。

 それに気付けたのは、私が京の公家屋敷で蝋燭の明るさを目にしたことがあるからだろう。案の定、この座敷には行灯ばかりでなく、燭台に一本の蝋燭が立てられている。相応の身分、あるいは財力がある証左だ。


 十二畳ほどの座敷には二人の御仁がいたが、上座でそばに燭台を置いてあるのがおそらくこの屋敷の主だろう。だとすれば、もう一方が私たちが訪ねるべき乞胸頭の仁太夫様に違いない。二人の前には膳が置かれていて、夕餉、というよりは酒盛りの最中だったらしい。


 私が訪ねたことで邪魔をしてしまったのではなかろうか。


 私の心配をよそに、講釈師殿は無遠慮にお二方のそばにドカリと腰を下ろしたが、私が真似るわけにもいかないだろうと、座敷に入ったところで着座した。


「おう! そいつが新入りか!」


 お二方のどちらが発言したのか、目を伏せていた私にはわからなかったが、驚くべき内容であった。思わず正面に目を向けてしまう。


 さらに私を驚かせることがあった。


 上座に座していたのは、身に纏っている着物こそまともなものの、頭髪は蓬髪、ザンギリの御仁だったのだ。そばに控える仁太夫様と思しき御仁の方が浪人髷ながらしっかりとした身分がありそうだ。ひょっとすると、私は見当違いをしているのかもしれない。


 私が二重の意味驚いて言葉に詰まっている間に、話がどんどん進んでいく。


「俺が乞胸頭の仁太夫だ。話は聞いたぜ。今日ここでってワケにゃいかねえが、明日にでも鑑札は渡してやる。それで月に四十八文持ってきな。あとはおめえさんの勝手にしな」


「おう! いつまで隅っこに座ってやがる! こっち来ねえ。俺が見届けたのも何かの縁だ。一ぺえやっていきな!」


 矢継ぎ早に声をかけられたが、これではまるで私が仲間入りを果たしてしまったみたいではないか。講釈師殿はあの短い時間ときで一体どんな紹介をしたというのか。


 状況に流されてしまうわけにはいかないと、私は強張ってしまった喉から何とか声を絞り出そうとした。


「お、おまちくだされ!」


 その場が静まり返る。

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