第9話 渡りに船

 お頭さまとやらに出会って名乗りも上げぬうちに私の乞胸ごうむね仲間入りが決まっていた。

 さすがにマズイと感じて話をさえぎる。


「なんでえ? 何か言いてえことでもあるのか?」


 幸い話は通じるようだ。


 私は順に話を進めるため、まずはお頭たちの前、講釈師殿の隣まで移動した。


「お初にお目にかかりいたす。拙者、北陸の産にて、名を杉森吉次郎と申す。お見知りおきを」


 上座のお二方に座礼して、ようやく名乗りを上げる。


 講釈師殿と出会ってから、どうにも歩調を乱されっぱなしであるので、この際武家の人間らしく振舞おうと決めた。

 心が少し落ち着いたところでお二方のお顔をしっかりと拝見する余裕が生まれる。二人とも四十余りか。講釈師殿とおなじくらいであろう。


「おいおい。堅っ苦しい野郎だな」


 やはり横槍が入る。


 だが、きっちりと話を聞かねば流されるだけだと悟った私は、姿勢をさらに正し話を続ける。


「こちらの……」


 と隣の御仁に目を向けて、結局名を聞いていないことを思い出す。


「……講釈師殿からお頭さまをご紹介いただけることになりましたが、詳しい説明は未だ聞いておりませぬ。お二方にお認めいただけたのは僥倖にございますが、小心者の悲しさ、海のものとも山のものとも知れぬ生業においそれと鞍替えできるほどの度胸は持ち合わせて……」


「わかった、わかった! ケツの穴が痒くならあ! 仁太夫、教えてやんな。ここは非人小屋だぞ。口上は辻でやれってんだ!」


「仕方あるまい。何も聞いてないっていうんだから。おい、軍八。いいかげんなこと言いやがって……」


「へへ……すまねえ」


 非人らしきお頭は、見た目どおり改まった言葉遣いが苦手なようだ。私の態度に怒っているというよりは、うんざりしているというべきか。


 仁太夫様は、流石に元武家のお方らしく、私の口上もしっかり理解してくれたようで、これなら詳しく説明もしてもらえることだろう。

 ついでに講釈師殿の名前もわかった。


「杉森殿……だったか。吉さんでいいか。なあ、吉さんよ」


「如何様にでも」


 呼称など大事の前の小事。とにかく説明を聞くことに努めた。



 仁太夫様の説明は多岐に渡った。

 まずは乞胸の縁起から始まり、改めてこの屋敷、非人小屋の主である『車善七』様を紹介され、乞胸との関わりを説明される。


 説明は、酒を飲みながらであった。


 いつの間にか私と軍八講釈師の前にも膳が置かれ、説明を聞き終わるまではと酒を固辞する私を尻目に、軍八どのは自分の役目はもう終わったとばかりに車様と酒を酌み交わしていた。


 私といえば、膳を運んできたのが身奇麗な女非人だったことに目を奪われかけた程度で、何とか空腹に耐えつつ仁太夫様の話に耳を傾ける。


 重要なことは三つばかり。


 一つ、乞胸には江戸万歳まんざい辻放下つじほうげ、操り 、浄瑠璃、物真似、仕形能、 物読み、講釈など十二の芸種があり、それに類する見世物も広く管理しているという。

 私にできそうなのは物読みか講釈だろうが、物読みは書物に金がかかりそうだし、ただ書を読みあげるより独自に解釈を入れられる講釈師の方が私に合っているかも知れぬ。


 一つ、それらの芸に従事する際、非人頭・車善七より一人一枚の鑑札を預かり、月に四十八文納めなければならない。


 一つ、身分は町人、扱いは非人と同じとなる。また、車善七の管轄する浅草溜に火災などが起きた場合、非人ともども警護の役を仰せ付けられるそうである。

 この点に関してが、私の武士としての矜持が決断を迷わせる所以である。


 何故ここまで身分が貶められるのかといえば、生産に関わらないということが問題なのだそうだ。理解はできるが、納得まではできかねる。

 似たような生業なりわい、ガマの油売りなどの香具師やしはいわゆる地回りが仕切っているそうだ。


 とにかく、何某かの商品さえあれば上記の芸種には当たらぬということか。

 しかし、元手のない私が気にかけることもない。どちらにしろ私は江戸に商いに来たわけではないのだから。


 私の心を惹きつけた俳諧などの文学はあくまで高尚な嗜みと考えるべきで、それらをひけらかして金銭を得ようとするのは下賤だということになるのだろう。あるいは、寺子屋や学問所なら別になるのだろうが、今の私にそんな甲斐性はない。


 西行法師などの前例があったため思わず旅立った自分が恨めしい。


「……吉さん、悩んでるようだが、鑑札を返してしまえば身分も元通りだぜ?」


 なんですと?


 説明の間中しかめっ面で逡巡していた私に、仁太夫様が思いがけぬ言葉を投げかけてきた。そして私の反応を見て笑っていた。


 私は余程間抜けな表情を晒していたのだろう。


 だが、そこで私は考える。

 一時的な身分の落差に甘んじさえすれば、何とか食うに困らないだけは稼げそうで、おまけに自分の求めていた新たな文芸を見つけられるかもしれないのだ。


 私の心は決まった。


「その顔は、やる気になったようだな」


「はい! 何卒よろしくお願いいたす!」


 私は、まず乞胸頭の仁太夫様に頭を下げ、ついで非人頭の車様に改めてご挨拶する。今度は堅苦しいのがお嫌いな車様も鷹揚に頷いてくれた。


「そうか! ようやく決めたか。これでご同輩じゃな」


 髭の講釈師、軍八どのも楽しそうに声をかけてきた。


「……今度こそお名前を聞かせてもらえますか。講釈師殿。拙者、杉森吉次郎と申す新参の講釈師にござる」


「ん? はっはっはっ! 車のお頭が言われるように堅いのう、お主は。まあ、よかろう。ワシは中野軍八。日本橋が主な稼ぎ場所じゃ」


「中野殿、今後ともよろしくお願いいたします」


「うむ。だが、もう堅いのは無しじゃ! さあ、飲め!」


 やっと名乗り合うことができた。


 心の引っ掛かりがなくなったところで杯を取り上げる。

 仁太夫様も車様も笑って酒を勧めてきた。


 しかし、素浪人一匹が乞胸仲間になったからといって、どうしてお頭二人がこうまで歓待してくれるのかはわからない。


 だが、わからないからといって問題はない。単に酒宴の余興と見ているだけやも知れぬから。


 次々に回ってくる酒を、私は楽しき心持ちで飲み干していく。

 何杯目かで、空きっ腹の私はひっくり返ってしまった。



 こうして杉森吉次郎は講釈師としての道を歩み始める。

 延宝五年、盛夏も間近な宵のころのことであった。

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