第46話 待っていたのは
翌朝、明け六つと共に私たちは起き出した。
朝食が用意されている部屋に案内されたので、黙って指示に従う。
「これを食したらお暇しよう」
当然だ。いつまでもこんな息が詰まるところにいられるはずがない。私は大成の意見に全面的に賛同した。
用人にその旨を告げ、宰相様或いはご家老の許可を取ってもらうことにする。
食事が済んでしばらく待たされた後、私たちは迎えに来た用人と共に謁見の間に足を運んだ。
謁見の間には既に宰相様とご家老がお待ちである。
「よく眠れたか?」
「はっ。おかげさまをもちまして」
宰相様は優しく声をかけてくれる。
大成も形式どおり受け答えした。
「これからどう致すつもりじゃ? 幕府から正式な通達が来るまでここに留まっても構わぬぞ」
「ありがたきお言葉なれど、善後策を講ずるべく、祖父の待つ明へ戻ろうと存ずる。宰相様には一方ならぬ世話になり申した。感謝致しまする」
大成は平伏して礼を言う。お春もちょこんと頭を下げた。私はといえば、釣られて畳に這い蹲るザマである。
「いや、余こそ国家存亡の折、力になれず相済まぬ……」
宰相様は大成に詫びたが、途中座ったまま身体の均衡を崩したようになる。
「さ、宰相様……」
「よい。昨晩は酒を過ごしたようじゃ。大事無い」
ご家老が慌てて近寄るが、宰相様は笑って下がらせる。
それを見た大成、暗い顔をした。一瞬だったが、私にはそう感じられたのだ。
「……では、これにて失礼仕る。宰相様、今後お目にかかることはないと存ずるが、どうぞお身体にはお気をつけなされよ。公主、杉森殿、お暇仕ろう」
「う、うむ。そちも健勝でな」
「はっ!」
我々は最後に宰相様に頭を下げ、宰相様のご退席を待った。昨夜の酒のせいか、宰相様の足取りがおぼつかないようで、ご家老が心配そうにしていたのが少し気にかかる。
その後用人の案内を頼りに裏門まで来ると、お春を駕籠に乗せ、再び中間の手を借りて門の外に出る。
私は大きくため息をついた。
《すべてが水泡に帰したか……》
明国のためとは言わないが、少なくとも数ヶ月行動を共にした大成とお春の身になるとどうにもやるせない。
「杉森殿、話がござる」
中間が聞いているからか、硬い武家言葉の上、小声であった。
「何でも聞こう」
私は即答した。
「かたじけない」
それだけ言うと、中間に駕籠の行き先の変更を告げる。私は首をかしげた。話というのが今できぬことはわかるが、どこに向かおうというのか。
駕籠は外堀を渡り、神田近くの寺に運ばれた。
早朝のことで人気はない。
甲府藩の中間たちは、大成が心づけを弾んだせいもあって、駕籠を下ろすと何も聞かずに立ち去った。
しばらく大成は無言であったが、私も催促がましいことは憚られる。
突然、駕籠の中から笛の音が、口笛だったかもしれないが、聞こえた。
《春殿か?》
私は当然そう考える。
その後すぐ、駕籠の回りに侍の一群が集まって来た。
何事かと、一瞬慌てそうになったが、見知った顔が混じっていたため安堵する。
「……柳沢殿……」
侍の一群の中には館林藩小姓組番衆の若侍がいたのだ。
「ご使者殿、ご苦労でござった。もう出てよいぞ」
柳沢殿が大成に声をかけるのは理解できたが、駕籠に向かって言った言葉とその口調に違和感を覚える。
が、お春に向かって言ったのではなかったと直後にわかった。
なんと、駕籠の後ろ板が外れ、中から一人の男が転がり出てきたのだ。黒装束だが、髷からするとこの者も侍のようである。一体いつから入っていたのか。
私の驚きなど気にも留めず、大成は柳沢殿と向かい合っていた。
「……約束の物は」
「……これに……」
私には何が起こっているのか見当もつかない。が、ここで落ち合うことは二人で決めていたらしい。
約束の物とは書状の類らしく、柳沢殿の懐から白い物が取り出されて大成の手に渡った。
「間違いないでござるな」
「宰相様の名誉に誓って。金打致そう」
大成が日本の武士の血を引くと知ってか知らでか、柳沢殿は腰の物に手をかけ、鯉口を切る。大成も、書状を懐に入れると、刀に手をかけた。
かちりと澄んだ音が二つ鳴り響く。
「改めて申すが、その書状、そなた以外の者に渡ると、拙者は腹を切ってでも無かったことにしなければならぬ。ゆめゆめ気をつけられよ」
「承知」
「では、ご免」
それだけ言うと、柳沢殿と黒装束の男は侍の一団と共に立ち去った。
意味不明。
私にはもともと関係ないはずのことだったので、それが当たり前のことなのだろうが、なんとなく腑に落ちない。
「お、おい、大成。これはどういうことだ?」
「義兄上、すぐに江戸を離れるんだ」
「なに?」
まさに寝耳に水であった。
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