第45話 期待はずれ



 


 延宝六年九月、ようやく秋らしくなってきた。

 初旬、甲府宰相様から呼び出しがかかる。私にではない。明国の使者を連れて来いとのお達しである。

 既に一味と見られているのは複雑な思いであるが、そこはそれ、繋ぎ役に徹すれば心の平穏は保てるというものである。


 いつものように、そう、この夏は繋ぎ役として主に館林藩へ大成を連れて行くことが多かったが、行商人に手紙をそっと渡し、日時を確認する。

 大成、いや、明国の使者が甲府藩に赴くのはまだ二度目だったが、宰相様もご家老も心得たもので、駕籠持ちの中間も黙って手配してくれている。


「本日呼んだのは他でもない。明への出兵の件じゃ」


 内密の会見ということで、私も邸内に入れてもらえた。広い謁見の間である。

 同席者はご家老と若年寄の堀田様のみ。

 明国側は鄭成功殿がいないため私を数に含めても三人。都合六人が四十畳もある空間で額を集めていた。

 夏が過ぎたばかりだというのに寒々しい。館林藩の狭い部屋のほうがよほど心落ち着く。

 そう不敬にも私が考えている中、話は進んでいった。


「酒井様が執拗に反対なさる。それが悉く的を得ているので、私も打つ手がないのだ。心情的にはそなたらに手を貸したいのであるが……」


 堀田様が現状を報告する。

 浪人姿の大成と唐服を身に纏い床几に腰を下ろしているお春・永寧公主は無言で聞いていた。

 実は神田屋敷で柳沢殿に同じような話を聞いているのである。期待が外れたとはいっても顔には出さない。まったく大した若者たちだ。


「近々幕府の正式な決定が出る。残念じゃが援軍の件は諦めてくれ。だが、清国に加担しようというのではない。領国内から人は出さぬということじゃ。そこはわかってくれ」


「人は出せぬが、武具や兵糧は渡そう。明国、いや、台湾との正式な交易としてなら酒井様も文句はないそうじゃ」


 宰相様と堀田様は申し訳なさを顕にしながら、この二十も三十も年下の若者たちに弁明する。


「……致し方ありませぬ。こちらが無理を申したまで。それより若輩の言をよく信じてご苦労を掛け申した。伏して礼を申し上げる」


 大成はあっけなく引き下がった。 

 私は意外な感じが拭えない。これまでの大成の、いや、天地会のくどいまでに大掛かりな仕事振りを知っている故、これからどうするつもりなのかと心配になった。


「お顔をお上げくだされ。拙者武士として慙愧に耐えませぬ」


 青々とした畳に額を付ける大成に対し、堀田様がいざり寄る。

 宰相様もご家老も気まずそうな表情をしていた。


「……詫びといっては何じゃが、酒席を賜ろう。今宵は大いに飲むがよい」


「はっ、ご温情かたじけない。馳走になり申す」


 顔を上げた大成は素直に答えると再び宰相様に頭を下げた。

 その表情は晴れやかであり、宰相様もホッとしたようだ。


「主膳。手配を」


「はっ」


 ご家老が速やかに部屋を出て行く。

 まもなく六人分の膳が運ばれてくる。私の分まであるとは思わなかったが、広い謁見の間の一部に宴席が作られた。


「では、日本と明国の繁栄を願って……」


 酒が注がれると大成が杯を高々と掲げ音頭を取る。

 館の主人である宰相様を差し置いてのことだが、事情が事情だけに誰も文句はなかった。宰相様のそばに控えているご家老も苦々しい表情を浮かべてはいるが、主の黙認があるからと、無視を決め込んでいる。


 酒宴は長々と続いた。お春は黙々と料理に箸をつけている。大成は勧められるままに杯を傾けていた。宰相様と堀田様も安堵したように杯を交わしている。

 私は呆然と見ていた。


 《てっきり断ると思っていたが……》


 これまでの大成を見ていて、神田屋敷でもどんなに柳沢殿が勧めても、館林宰相様の勧めでさえ、酒は会見の後一杯だけにとどめていたのだ。

 私も仕方なく飲まされる。


 蝋燭に火が燈された。気づくと日が暮れている。


 そのころ、裏門内に停められていたお春の乗ってきた駕籠から人影が抜け出ていた。そのことは暗闇の中誰も気がついていない。

 勿論、邸内にいる私も知らぬことであった。


「宰相様、拙者はこれにて」


 二更にもなった頃だろうか、幕府の要人たる堀田様は律儀に帰宅を申し出る。旗本御家人は言うに及ばず、大名も外泊は厳禁の世の中なのである。


「そうか、もうそんな時間か……」


 懸案となっていた事例が一応の決着がつき、宰相様も羽目を外していたのだろう。名残惜しそうであった。

 だが、幕府要人の中でも生真面目といわれる堀田様に法度破りを強要するわけにもいかない。宰相様も充分お真面目な方である。


「そなたたちは幕府の者ではない。遠慮なくここに留まるがよい」


「はっ、お言葉に甘えまする」


 私は断ろうとした。が、私が言いかけようとしたとき大成が素直に応じる。

 またもや意外な感じがした。


 《期待が外れて大成はおかしくなったのか……》


 そんな感想まで持った。

 大成がそのつもりなら私が反対する筋合いではない。最後まで付き合うしかなかった。


「堀田様をお見送りいたしましょう」


 堀田様が腰を上げると、いきなり大成も立ち上がる。

 あっけに取られたが私も訳もわからず従った。

 おかしなことに、本来動く必要も無い宰相様までが腰を上げる。客である大成たちがいなくなることにつられたのだろう。ご家老も自然とそれに従う。

 邸内、部屋の外に控えていた侍たちも客人の移動と共にぞろぞろと正門に向かう。謁見の間は一時無人となった。


 正門で堀田様を見送った一同は再び謁見の間に戻る。

 すぐに宴が再開されたが、程なくしてお春が眠気を催したようだ。


「宰相様、せっかくのご好意なれど我が公主年若き故これ以上は……」


「されば休むがよい。主膳、支度を」


 相手が異国の姫君なので宰相様も気を使う。


「余も酔うた。今宵はこれまでとしよう」


 既に三更も近い。大成がお春を抱き上げたのを潮に散宴となった。やっと私も解放される。

 宰相様は奥に下がったようだが、私たちは中近くの空き部屋を与えられた。

 既に敷かれていた布団にお春を寝かせる。


「酔い覚ましに水を所望」


 案内の用人に大成が何か言付ける。宰相様の客と承知の用人は急ぎ水瓶を抱えてくるのであった。


「義兄上も飲め」


 水瓶を受け取り、用人が下がると、大成は平素の口調に戻り、私にも水を勧める。

 今日は確かに心穏やかならぬ酒を飲み過ぎた。


「その前に、これを」


「これは?」


 用人は大碗も持ってきてくれたようで、私が瓶から水を移し、碗に口をつけようとすると、大成が懐からなにやら取り出した。


「酔い覚ましの薬だ。効くぞ」


「要らん」


「そう言うな。飲め」


「こ、こら……」


 丸薬らしきものを大成は強引に私の口に押し込む。仕方なしに水で流し込んだ。味はないようだ。

 大成も薬を飲んだ後、何故か寝ているお春の口の中にも薬を放り込む。


「春殿は酒を飲んではいないだろう?」


「……念のためだ……」


 眠気にぐずるお春に水を飲ませてやった後、おかしな言い訳をする。


「そうか、よくわからぬが、私はもう寝るぞ」


 そのとき、私は確かに違和感を感じたはずだ。だが、酒のせいか、状況の異常さのせいか、深くは追求せず、高そうな布団を避け、畳に寝転がる。

 後のことは知らない。


 夜更け、お春の駕籠に人影が再び入る。そのことにも誰も気がつかなかった。




 

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