第47話 刺客
いきなり江戸を離れろとは穏やかではない。
「私が何故……」
先ほどのことと良い、何か大きな事件が起きていそうなのはわかるが、浜屋敷でも言っていたとおり、明に帰るのは大成たちだけであろう。私に何の関わりが。
そう大成に反駁してみる。
だが、大成は切羽詰った様子でなおも私を江戸から出そうとする。
「一体何なのだ。話があるなら聞くといっているだろう」
「義兄上の命に関わる。まずは逃げよう」
「い、命?」
江戸を出る、というのが逃げるという表現に変った。
まさか、そんな。と思ったとき、駕籠の周りに再び武士の一団が集まってくる。
神田御殿の藩士ではなさそうだ。浪人のような身なりに、覆面姿である。その数五、六名。
既に鞘が払われていた。
「春! 出るなよ!」
「わかっておる!」
駕籠の中に一声かけると大成も腰の胴太貫を抜く。お春が危ないと見たのか、駕籠に先に近づいた者を問答無用で切り捨てた。
「ひいっ!」
私は駕籠のそばで腰を抜かした。
人気が無いとはいえ、白昼この騒ぎは何なのだ。命に関わるとはこのことかと、生きた心地がしなかった。頭の上でちゃりんちゃりんと剣の交差する音が聞こえる。
多勢に無勢。お春は論外だし、私が剣の達人であるはずも無い。いくら大成の腕が立つからといって勝ち目は無い。
そう半ば諦めたとき、境内に人が集まってきた。参拝客や香具師の連中だろう。江戸っ子らしく、この無法者たちを盛んに罵倒している。無論遠くからだが。
「トェィ(退け)!」
覆面の浪人の一人が何か叫んだ。
私は剣術の掛け声かと思い身を縮めたが、浪人の一団はその声を聞くと逃げ出してしまう。大成に斬られた者たちを担ぎながら。
「大丈夫ですかい? 杉森様」
「え?」
参拝者だと思ったのは、天地会、つまり明の秘密組織の人間だったらしい。私に声をかけてきたのは、あの行商人であった。
「義兄上。巻き込んですまん。だが、命には代えられん。逃げよう」
大成も無事らしく、刀を納めると腰を抜かしていた私の腕を取って立ち上がらせながら再び江戸脱出を促す。
もはや否やは無い。
「わ、わかった……」
天地会の者たちによってお春の駕籠が運ばれていき、私もその寺を後にする。
道々大成から指示を受ける。
昼だと目立つし、何より回りから不審がられるので、翌朝早立ちをしようということになった。
江戸に出てきて二年足らず、こんな形でこの生活が終わりになるとは思っても見なかった。
だが、確かに命には代えられないし、それに、私の目指したモノもおぼろげながら見えてきていたので、運命に従うに如くはないと悟る。
日本橋あたりで大成たちと別れ、私は浅草に急いだ。つけてくる者がいないか心配しながら。
まずは乞胸頭・仁太夫殿のところへ挨拶に行くことに。
「なに? 旅に出る? また急だな」
「はい。仁太夫殿や善七殿にはお世話になりました。これをお返しします」
乞胸の鑑札。本当に世話になった。これが無ければ野垂れ死にしていたかもしれない。そう思うと胸が詰まる。
だが、何かあったとき、この世話好きの頭たちまで巻き込むことにもなりかねないと返却を決意した。
「まあ、また江戸に戻って講釈をするんなら、そのときまで預かろう」
「ありがとうございます」
「で? どこを旅するんでい?」
「え? えーと……北を……義経を偲ぼうかと……」
私はつい反対の方向を口にする。
後年、元禄のころ松雄芭蕉という俳諧師が私のウソの旅路と同じ場所を辿っていて評判になった。このとき私が先に回っていたらどうなっていただろうか。
「……そうかい。北な。風流だねえ。流石は売れっ子講釈師だ」
「いえ、そんな……」
でまかせを信じたのか、仁太夫殿はそう褒めた後何も聞かなかった。
その後すぐに辞する。
玄関口まで見送ってくれた乞胸頭が袱紗包みを渡してきた。ずっしりと重い。
「これは……な、何のマネですか!」
封の切っていない切り餅、二十五両であった。
「吉さんのだ。俺は預かっていただけ」
「そんな……」
以前甲府宰相様にいただいたものだとすぐにわかる。だが、仲間に分配してもらったはずではなかったか。
「今必要だろ? 黙って持っていきな」
私は直感した。乞胸頭は何かを知っている。いや、たとえはっきり知らずとも私が災いに巻き込まれ、江戸を去ろうとしていることがわかってこのような心遣いをしてくれているのだと思い至る。
「に、仁太夫殿……」
私は言葉が出てこなかった。言われたとおり懐に入れる。人情紙の如しといわれるこの世の中で、涙が出そうであった。
私は無言で頭を下げると小屋を出る。頭も黙って見送ってくれた。
非人頭の車善七殿にも会いたかったが、これ以上迷惑はかけられないと、会わずに長屋に戻る。
大家に旅に出ることを伝え、預けてあった金子を受け取ると共に、三ヶ月分の店賃を新たに預けた。
「もしそれまで戻らなかったときは家の中の物は処分してください」
まだここに住んでいることにしておけば、仮に追っ手がかかったとしても少しは目晦ましになるだろうとの大成からの受け売りであった。
大家が納得したところで、急ぎ旅の支度をする。
といっても、大した荷物は無い。命一つあればそれでよかった。だが、あくまでも自然に見せなければならない。長屋の住人たちにも北を回ると告げる。うらやましがられても引きつった笑顔で返すことしかできなかった。
眠れぬ夜を過ごす。
斬り合いなぞ間近で見たのは初めてであった。浪人たちがここまで襲ってこないだろうかという恐怖にも駆られた。
狙いは明国の使者である大成だろうということはわかる。私は既に多くの秘密を知った身、敵からすれば一味と思われても仕方がない。
ああ、早く明日にならぬものか……
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