第48話 逃避行の理由
まんじりともせず夜が明け始めた。
明け七つ。日はまだ昇ってないが、早立ちには最適の時間である。私は約束の場所、日本橋まで足を急がせた。
日本橋。東海道の基点である。西に向かうのはわかっていた。大成たちは明国に戻るのだろうし、私は故郷の京に戻るしかない。
「義兄上。急ごう」
先に来ていた大成とお春は、二人とも編笠の浪人姿、大きいのと小さいのだったが、挨拶もそこそこに催促してくる。
当然異論は無い。
だが、歩き出す前に私は詳しい説明を求めた。
「まずはこいつを差せ。話は道々。間違いなくすべて話す」
大成が差し出したのは武士の魂、二尺三寸の打ち刀であった。私が浪人姿であるのに腰が寂しいということであろう。
男装のお春も手にしていた編笠を渡してくる。
気が引けたが、乞胸であったのは昨日までだったし、武士の身分に戻るのに異議を唱えたのではご先祖に申し訳ないというものだ。
それに追っ手の目も気にかかる。
私は素直に刀を受け取り、大成たちと同じ格好になった。
「さあ、急ごう。途中、長崎屋の船が来てくれる」
私たち三人は朝焼けを背に、まだ暗い西の方角に向かった。
「で? どういうことだ? あの浪人者たちは? 柳沢殿と何か取引でもしたのか?」
歩き始めてすぐ、私は辛抱たまらず改めて問いただした。
「……あの浪人者たちは侍ではない。日本人でもない。清国の者だ」
「なに。では、とうとう見つかったのか? 春殿が姫であることがバレたのか?」
「いや、それはわからん。だが、狙いはおそらくこの書状」
大成が懐からちらりと見せる。それは昨日柳沢殿から受け取った物であろう。
「それは何の書状だ?」
「館林宰相が将軍になった折には明に援軍を出すという念書だ」
「何だと! 何をバカな。確かに当代様はお世継ぎがおられぬが、甲府宰相様がご養子になられるともっぱらの噂だ。館林宰相様が上様になるなど、あろうはずが無い。そ、その書状、不敬に過ぎるぞ。世に出たら館林様といえど謀反の咎でどうなることか。我々もただでは済むまい……」
そんなことは大成もわかっているはずだ。だからこそ今こうして江戸を離れようとしているのだ。
だが、わかっているなら何故そんな危険な念書など受け取るのか。いまいち納得がいかない。
その答えは、すぐ後大成の口から吐き出された。
「……甲府宰相はまもなく死ぬ……」
「なっ……」
世にも恐ろしい予言である。
明国の人間は占いもできるのかと、一瞬思った。
だが、占いであれば私も生涯悩みを抱える必要は無かったのだ。
「先の宴、あの酒には毒が入っていた」
「げっ!」
私は足を止め、のどに手を当てる。毒入りの酒など、一体何杯飲まされたか覚えていない。
「信盛。そう慌てるな。毒消しは飲んだであろう?」
「ど、毒消し……」
私が立ち止まったものだから、大成と私の間にいたお春も足を止める。
お春は私を励ますつもりか、小さな手で背中を叩いてくる。
「あ、あれか……」
思い出した。宴の後、大成に丸薬を無理矢理呑まされたことを。お春にも飲ませていたはずだ。念のためとはそういうことかと納得する。
お春に袴を引っ張られ、私は再び歩き出した。
歩を緩めていた大成に追いつく。
「あの毒は昔ジジ様が飲まされたものだ。だんだんと身体が弱まり、ついには命を縮める。幸い師父が毒に詳しくてな。解毒剤もある」
「で、では、お主が宰相様に……」
私は、私を義兄と慕うこの若者が恐ろしくなった。
「俺ではない! 柳沢の飼っている忍びの者だ!」
私の当然の疑念に、大成は珍しく激高しながら否定する。お春も少し驚いていたようだった。
「……ああ、駕籠の中の……」
確かに。いわれてみれば大成が毒を盛る機会などあるはずが無かった。おそらく甲府藩家老や若年寄堀田様もそう証言することだろう。
疑って悪かったと反省していると、大成が急に声の調子を下げる。
「……いや、柳沢に毒を渡し、刺客を手引きしたのは俺だ。宰相を殺めたのは間違いなく俺ということになる……」
「た、大成……」
そのまま我々は無言で東海道を歩いた。夜明けと共に、遠くから明け六つの鐘が聞こえてくる。
甲府宰相様がお亡くなりになったのは、それから数日後。
九月十四日のことと旅先で耳にする。
……合掌……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「せっ、先生! くっ、公方はンのおっ、弟をこっ、殺したって……」
「どえらいことでっせ……」
現在、大阪道頓堀の茶屋では私の知己である竹本座・座長の竹田出雲と義太夫・竹本政太夫が顔を蒼くしている。
鄭大成、つまり結城源之将との出会いを、私がこれまで秘密にしてきた理由は、大成が明の人間だったというからだけではない。
そのままでいけば自然征夷大将軍になれたはずのお方の命を奪い、なれぬはずのお方を公方様にしてしまったことなのだ。
そう考えると、五代様の治世、天変地異が相次いだのは単なる偶然では無いとさえ思えるのだ。
天の怒りかもしれない。私のせいかもと。
「……どうしはります? お上に訴え出ますか?」
「と、とんでもありまへん! こちらの首まで危のうおます!」
「そやろなあ……」
四十年近くも前の話である。
首謀者ともいえる綱吉公は六年も前に、柳沢殿も昨年亡くなった。だからこそ『国性爺合戦』の発表を敢行できたのである。
証拠といえば、今まで私が無事生きていたことも考えて、まったくあるはずも無い。甲府宰相様の死因も酒害ということで落ち着いていたのだ。
そこに将軍候補の暗殺などと言い触らしたりなどしたら、証拠云々以前に虚言流布と不敬の咎で闇に葬られるだろう。
それぐらいは誰でもわかる。いくら芸一筋の政太夫でも。
「し、しかし、先生、よく無事でしたな……」
「私もこの年まで生きて、しみじみそう思ってます」
私はここでホッとため息をついた。二人も息が詰まりそうだったのか、何故かそれに倣う。
少し空気が和らいだ。
「で、で? それからどうしはったんで?」
少々過激だが、昔語りには違いない。政太夫は続きが気になるようだ。それに、これ以上驚くこともあるまいとでも考えているのかもしれない。
だが、これで秘密は終わりなどではない。戯作者としても、このまま後は山場は無しでは立つ瀬が無い。
何れ二人もわかるだろう。
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