第49話 裏取引
東海道を西に向かう。
この旅が物見遊山であれば、或いはただの帰郷ならば、どんなに楽しかったことだろうか。
相変わらずの浪人姿の大成、もともと武家の生まれの私も二本差しで同じような格好をしている。加えてお春も羽織袴に脇差と、武家の若様になりきっていた。
「門左衛門殿」
道中、大成は私をそう呼ぶ。
どこから手に入れてきたのかは明言しなかったが、私の道中手形は『佐々木門左衛門』になっていた。
ちなみに大成は結城源之将のままで通している。お春は佐々木春之丞。私の息子という設定らしい。歳からいってお似合いだとは笑い話にもならない。
一刻も早く江戸から離れたかったため、初日から馬力をかけた。途中お春を交代で負ぶい、何とか二日で小田原まで来る。
幸い、どこの勢力からも襲撃されることは無く、ここからは大成の居候先、長崎屋の船に便乗する。
名目上、大阪と江戸を往復する五百石の菱垣廻船である。
最初から乗っていればなどと不平も言ってみたが、出航の日時が合わなかったことと、江戸からでは目立つということで先回りしたのだそうだ。
相変わらず無駄に手回しが良い。
ご府外では役人の詮議も厳しくなく、また、この船は事実上台湾との交易が主だったため、船内では気楽に過ごせた。
三日で大阪に着くという。
その間、私は大成から今回の経緯の全貌を聞くことになった。
船縁に腰を掛けている大成の膝を枕にしてお春は寝ている。海路はよい天気であった。
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「ご使者殿。しばしこちらへ……」
八月のある日、残暑の厳しい頃だった。
何度目になるか覚えていなかったが、館林宰相様からのお召しにより、大成とお春に伴われ神田御殿に伺ったときのことである。
宰相様に請われるがまま、今まで私が語ってきた講釈の一つを打っていたとき、私とお春を残し、柳沢殿が大成を部屋の外に連れ出したことがあった。
講釈の最中であったし、お春の存在もあって余計なことには気が回らなかった。
「ご使者殿、悪い報せでござる。ご公儀は明への出兵を断念するそうじゃ」
別室に連れて行かれた大成は、座に着くなり柳沢殿からそんなことを言われたそうだ。
「まことにござるか!」
今になって説明を聞いても、大成の落胆振りが目に見えるようである。
「まことにござる。近く甲府様がご使者殿をお呼びする手筈のようじゃ」
「しかし、甲府宰相殿は、堀田殿は積極的であったはずだが……」
「そこはそれ、二人とて生身の人間。特に堀田殿は優秀な官僚でござる。次期将軍となられる甲府様に取り入ろうとの魂胆」
「そうは見えませなんだが……」
「いやいや、人とは見かけによらぬもの。当代上様の治世も長くはないとあの方はわかってなさる。当代様の小姓として今の地位まで上り詰めたものの、大老酒井様は目の上のたんこぶ。何かにつけて反対意見を述べたがるのであろう」
「なるほど……」
大成は鄭成功らの推論と、この歳の近い、若きサムライの論法が余りに合致するものだから、思わず話に引き込まれたらしい。
柳沢殿はそんな大成の表情を見て自信を深めたようだ。
「酒井様は、下馬将軍と呼ばれるなど、これまで少々やりすぎた。間違いなく上様代替わりの折は失脚するであろう。次に権力を得るのは堀田様じゃ」
「で、ではそれまで待てと?」
大成は鄭成功の推論からそのことに期待していた。これまで何十年も待ってきたのだ。あと数年ならという気概がある。
「いや、残念ながら、そうもいくまい」
「何故?」
ここが鄭成功の読みと違うところであった。
大成は膝を詰めて問い返す。
「甲府様が次期将軍になったとすると、あのお方は真面目な方である。物事好悪の意地無く、といったところだが、却ってそれが枷となろう」
「ど、どういうことでござる?」
「一度決定した事を己の手では翻さぬということでござる。何しろ、今回明への出兵の件を幕府の評定に持ち込んだ張本人でござるからな。堀田殿も然り。権力を握った後では、構えて上様に逆らう筈もござらん」
「…………」
たった一度会い、後は私から話を聞いただけであったが、大成には柳沢殿の甲府宰相様に対する性格分析が的を得ていると感じられる。
では、今後も日本からの明国への援軍は期待できないではないか。
そう肩を落とした大成に、柳沢殿は話を続ける。
「左様せいサマと呼ばれるほど定見がないのにも困ったものだが、融通の利かぬ将軍というのもまた困りもの。だが、我が主なれば清濁合わせて飲み干せる度量がありまするぞ」
いくら大成が本朝の者でないとしても、柳沢殿は言い過ぎである。
しかし、そのときの大成の精神状態はそのことを気にかける余裕も無かった。
「……どういうことでござるか?」
「我が主、館林宰相様が征夷大将軍におなりあぞばせば、きっとご使者殿の悲願も叶うというもの」
「……しかし、この国にも長幼の順が……」
「そう、それが問題なのでござる。甲府様がおわすうちは……」
私が直に耳にしていれば卒倒したであろう言葉が柳沢様の口から出たという。
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