第52話 大陸動乱



 延宝六年九月末。

 すでに甲府宰相様が身罷れたとの情報が天地会や長崎屋の情報網に入ってきたとき、大成は海の上であった。


 ここからは大成だけでなく、当時の大陸情勢を語ろう。


 延宝六年といえば、大陸では実に五つの年号が使われていた。

 一つ目は清国の康煕十七年。

 二つ目は明国の永暦三十二年、これは主に台湾で使われていた。


 三つ目は、三藩の乱で生き残った清の投降武将・呉三桂が反乱時周王を名乗ったときのもの。この年の三月まで周王五年であった。


 四つ目はその呉三桂がついに皇帝を名乗ったときに改元され、昭武元年となる。


 そして五つ目。大成が危険と不義を犯してまで援軍の約定を取り付け、勇んで台湾に戻った九月には呉三桂は没していた。ちょうど神田屋敷で謀議を重ねていた八月のことである。その後は呉三桂の孫、呉世璠ごせいはんが十五歳の若さで周国の二代目皇帝となり、洪化元年に改元していた。


 つまり、大成が台湾に戻ったのは、情勢が混乱を極めていたころのことである。

 大成は日本での成果を報告しつつ、複雑な思いで師父・陳永華から戦況を聞いた。


 呉三桂とは明の人間にとって許されざる裏切り者である。清の軍隊を自ら引き入れ、官爵を受け取った売国奴である。だが、結局清との関係も最悪となり、清に対抗する手駒の一つではあった。

 戦になれば、その兵力には期待していたので、死を悼むつもりはまったくないものの、当てが外れたという思いだったらしい。

 それでも反清勢力の主力・呉周の国は残っている。鄭成功、陳永華ら天地会は総力を上げて周との連携を計ろうとした。


 その計画で最も厄介なのが人間の感情である。 

 思えば、明国の不幸は人心の結束が取れなかったことにある。


 大成の仕事は遅々として進まない。

 各地を飛び回るが、いたずらに時間だけが経過していった。


「師父! ついに時が来た!」


 大成が陳永華のもとを改めて訪れたのは永暦三十四年のこと。延宝八年六月であった。


「どうした。慌てて」


「これが慌てずにいられるか。死んだんだ。ついに!」


「誰が?」


「将軍だ。日本のな」


「なに!」


「これで綱吉が新将軍になれば援軍が来る! 反清復明の最後の機会だ!」


 大成が言ったとおり、この年の五月八日、徳川幕府第四代将軍家綱公が死去していた。そして家綱公の養子となっていた綱吉公が朝廷から将軍宣下を受けている。

 念書が実際に内容どおりならば兵力が増すというものである。


「……わかった。ちょうど殿下に呼ばれている。台湾に戻って作戦を練ろう」


「よし、では俺はジジ様のところに報告に行く」


 ここは鄭家の最前線基地、金門島。台湾と大陸の間にある。

 陳永華と大成は二手に分かれて行動することに。


 鄭成功はその頃、懸案だった周国との連携を何とか強めるため単身周国の首都・貴陽にいた。無論名を変えて。

 清国の周に対する攻勢は日増しに強くなり、年若い周の皇帝からは軍心が離れつつある最中のことだ。鄭成功も苦労していたに違いない。


 その年の十月、周国は清の攻撃に耐え切れず、首都を昆明に移す。

 日本から援軍が来るまではと、大成も鄭成功も必死に耐えた。


 だが、しばらく連絡の取れなかった台湾から恐るべき報告が来る。


「ジジ様! 師父が、陳永華が死んだ……」


「なに?」


 六月、台湾の東寧国・延平郡王鄭経、つまり鄭成功の息子、大成の伯父に呼ばれ台湾に向かった陳永華は、既に鄭氏政権の実権を握っていた馮錫範という武臣の姦計に遭い、強制的に引退させられ、翌月頓死している。

 享年四十六歳。


 大成には、あの師父があっさりと引き下がり、都合よく病死したとはとても思えなかった。間違いなく暗殺されたのだと考える。


「俺がついていれば……」


 涙ながらに祖父に報告する大成であった。


「ワシがこうして生きていられるのは永華のおかげじゃ。やはり死んだことにせず、名乗り出ていればよかったのう。鄭経の愚か者め! 自分で右手を切り落としおって……」


 明国復興の道は険しい。次から次に災厄が降り注いでくる。

 次の年、ついに清国軍が昆明まで攻めてきた。


 二十歳にもならない周国皇帝呉世璠は必死に抵抗する。人心は離れつつあったが、相手が清国となれば話は別である。皆戦った。無論大成も。


 だが、数ヶ月に及ぶ清国の昆明城包囲に、城内の糧秣は底を突く。絶望感が人々の心を支配していた。


 周国の洪化四年十月、日本では天和元年になったばかりの頃、周国皇帝呉世璠はついに首を括り、周国は滅亡する。


「大成。お前は逃げよ」


「ジジ様! そんなことできるか! 今にきっと日本から援軍が!」


 周国滅亡の折、城内にいた鄭成功と大成、外祖父と外孫は脱出のことで話し合っている。既に六十に近い鄭成功は足手纏いになると、孫だけを脱出させようとしていた。

 大成は大成で、師父・陳永華に続いて祖父まで失っては、何のために苦労してきたかわからないと言う。


 だが、時間は切迫していた。城が完全に清国軍に掌握される前に出なければならない。


「孝行者よ。だが、ワシは一度死んだ身。鄭成功とわからねば蛮族どもも年寄り相手に非道はするまい。それより台湾が心配だ。ワシに構わず行くのだ!」


「ジジ様……」


 大成は仕方なく言うとおりにする。


「大成よ」


 鄭成功は大成が去ろうとしたとき声をかけた。思い直してくれたか、そう大成が喜び振り返ると、まったく逆のセリフを言う。


「日本の援軍は諦めろ」


「えっ! 何を……」


「念書なぞ、所詮は紙切れ。それに、ここが落ちたとあらば援軍も焼け石に水だ。敢えて火中の栗を拾うまねはするまい」


「し、しかし……」


「さあ! 早く行け!」


 城内が騒がしくなってきた。清国の軍勢が侵入してきたのだろう。


 大成は心を決める。


「わかった! ジジ様! きっと生きていろ! 必ず迎えに来る!」


「ああ。わかっている」


 大成は城を飛び出した。途中清国の兵隊と戦いながら。逃げるのが目的であったから馬を足も折れんばかりに走らせる。

 清国の兵隊も、昆明城制圧が目的であったため、脱出者にはそれほど関心が無く、大成はうまく逃げおおせられた。


 悲劇はまだ続く。


 台湾の東寧国では政変が起こっていた。


 昆明城が清国軍に包囲されていたため大成に情報が入ってこなかったが、ちょうど同じ時期、東寧国・延平郡王鄭経が死去していた。


 跡を継ぐはずであった王太子は、監国の地位にあって、陳永華の娘を妃としていたが、そのことも他の重臣たちには目障りだったようだ。馮錫範ら武臣たちによって監禁後亡き者にされる。


 その後、馮錫範の娘を妃とさせられる鄭経の第二子、鄭克塽ていこくそうがわずか十二歳で王位に即けられた。

 後世、東寧の変と呼ばれる出来事であった。


 どこもかしこも謀略の渦が巻いている。

 大成はどうするのか。明の復興は、日本からの援軍はどうなるのか。日本にいる明国最後の公主・お春はどうなってしまうのか。



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