第53話 悟り
「はーっ。その大成はンでっか? 大変でしたンやなあ」
「それはもう。言葉では言い表わせませんなあ」
「先生が言葉にできないて、そりゃオオゴトでんな」
長年物書きをしてきて、表現力には自信のある私でも、大成ほど波乱万丈な経験は筆舌に尽くし難い。何しろ三つの国で、日本では将軍の交代、大陸では呉周の滅亡、台湾では政変という出来事を当事者として体験している。
「しかし、それって結城はンが日本を離れてからのことでしたな。なんで先生が知ってますんや?」
相変わらず座長は鋭い。
「言いましたがな。結城はンは日本に戻って来ましたンです。お姫様を迎えにな」
「そういえばそないなこと言ってはりましたな。座長、そないなんやて」
「うるさい。わかっとるわ」
「ホッホッホッ。まあまあ、二人とも。あとわずかや。仕舞いまで聞いてや」
「へえ」
話は佳境に入る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
永暦三十五年三月、日本で言えば延宝九年だったが、台湾の東寧国は延平郡王の鄭経が死に、その後政変が起きて、十二歳の第二子が後を継いだ。
大成が故郷の一大事と、三藩の乱の終結を見届けて大陸から駆けつけたのは既に年末も近い頃であった。日本では天和元年に改元している。
「馮錫範! キサマ、この一大事になんてことを!」
「雑種が何を言うか。者ども、捕らえよ」
大成は、いや、大成の母は鄭成功の実の娘である。が、正妻を憚り養女扱いであった。
ために大成の台湾政権での発言力は無きに等しい。しかし、一応は鄭氏一族として認められていたので台南の城に入ることができた。
大成は開口一番、政変の首謀者である馮錫範を罵倒した。
周りには馮錫範に加担する鄭氏一族、大成にとっては血の繋がった者たちがいる。
既に鄭成功直系の孫、世子を殺している。大成如き傍系を亡き者にするのに忌憚はないようであった。
「叔父上たち! それでも鄭成功の血族か!」
大成の叫びは効果があった。
広間は静まり返る。
だが、馮錫範は引かない。
「先代は東南の地を棄てられた。それもこれも清の遷界令のため。人も金も無いのに盾突くのは愚の骨頂である」
「日本から援軍が来る!」
「来るはずが無い」
「なに?」
大成は訝った。
日本で将軍が替わって一年以上になる。しかし一向に出兵の気配がなかった。始めのうちは政権が交代したばかりですぐには無理なのだろうと楽観視していたが、一年を過ぎて気になりだす。まさか反故にする気ではないかと。
そして目の前にいる馮錫範の口から妙に確信めいた発言が。
「どういうことだ!」
「どうもこうもない。日本国は大事な貿易相手。援軍が必要かと打診があったので丁重に断った」
「なん……だと……」
大成は絶句する。これまでの苦労は一体何だったのだ。親身になってくれた甲府宰相様まで手にかけて取り付けた援軍の約束を、己の立身出世しか頭にないこの男の一言でなかったことにされたのだ。
ガックリとうなだれる大成に馮錫範はここぞとばかりに畳み掛ける。
「今後大陸に上る必要なければ髪を剃る必要無し、衣冠を替える必要も無し。臣を称すれば貢ぎ、臣を称さずば貢がざるもよし。台湾を以って箕氏の朝鮮、徐福の日本となさん――先代のお言葉じゃ。意味はわかるな、雑種」
「……負け犬の遠吠えというわけか……」
「無礼者が。捕らえよ」
「最後に聞く。師父を、陳永華を殺したのか!」
「埒も無い。おい! 早く捕まえろ! 牢に入れておけ!」
大成は馮錫範の口振りからそれが事実であることを知る。あまりの情けなさに抵抗する気も失せて黙って捕まった。
幸い、無抵抗だったせいか、或いは天地会の影響か、その場での惨殺は免れる。
城内の牢に入れられた後、大成は時間はいくらでもあると考え事をする。
「この国はもうダメだ……」
それは今までにも薄々は感じていたことだ。
しかし、鄭成功と陳永華の情熱が大成にも伝わってきて、それが大成の行動力の原動力となっていた。
二人がいなくなったのではやる気も起きないというものだ。
それにしても、と大成は考える。
過去中原では幾多の王朝が興亡を繰り返してきた。国を建てた偉人たちと自分はそんなに違うだろうかと比較してみる。
始皇帝、劉邦、劉秀、司馬炎、楊堅、李世民、趙匡胤、朱元璋……思いつく限りの皇帝の名を挙げる。
「流れか……」
馬上天下を取ったのはごくわずか。ほとんどが自滅後内部からの乗っ取り、禅譲を迫ったやり方である。それでも様々な好条件が重なってのことだ。極論すればまさに流れということになる。
大成の場合は、いや、大成が皇帝になろうとしていたわけではないが、鄭成功たちは流れに逆らったとしか言いようがない。方法を誤ったというべきか。
既に人民に見放された亡国の皇族を担いだことがそもそもの躓きであっただろう。しかも皇族同士まったく連携が取れていなかった。次々と各個撃破されていったのだ。
しかし、これは東漢の劉秀の場合と似ていた。違うのは敵が王莽のようないい加減な相手ではなく、清国というとてつもなく強固な国家だったことも不運といえば不運である。その点においては、元に滅ぼされた南宋にも似ている。
「そうか、どう転んでも目が出ないわけだ」
大成は翻然と悟ると、暗い牢の中で呵呵大笑するのであった。
牢番が気味悪そうに見ている。精神に異常を来たしたとでも思っているのだろう。
「そうとなればこんなところには用は無いな……」
大成は脱出を決意する。
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