第54話 けじめ

 牢にいたのは一年半。長いような短いような暮らしであった。幸いというかこれまで殺されずに済んだ。

 というのも、台湾の情勢は日増しに悪くなり、大成のようなただの生意気な混血児に関わっている余裕が馮錫範たちになかっただけであろう。


 ついに清国の海軍が台湾を落とす。

 永暦三十七年、これがこの元号の最後の年になったが、日本の天和三年八月、鄭氏政権は清国に降伏した。

 ちょうど私が近松門左衛門として初めて戯作を発表したころである。


「少爺(坊ちゃん)、今が好機ですぜ」


 牢に天地会の人間がやってきた。それも堂々と。これまで差し入れや何かでこっそり来ることはあったが、この日は武器を手にしている。


「お、ありがたい。見張りはどうした?」


「それどころじゃありません。馮錫範のヤロウ、清に降りやがった」


 その情報に大成は少し眉を顰めただけで、極めて冷静であった。おそらくそんな予想をしていたのだろう。


「一人でか?」


「いえ、殿様も、城の中全員でさ」


「まあ、そうだろうな」


「そんな気楽な」


「いいさ。けりはつける」


「どうするんで?」


「奴らはどこにいる?」


「それが、清の朝廷に挨拶に……」


「すぐに尻尾を振るか。犬め……まあ、おかげでこうして出られるか」


 牢を出た大成は大きく背伸びした。表情は明るい。


「少爺、そんな悠長な……」


「それより船を手配してくれ」


「逃げるんで?」


「バカ。あいつらを追うんだよ」


「へ、へい! わかりました!」


 天地会の仲間は大成に起死回生の手があると見て、喜び勇んで城を飛び出す。

 大成は懐かしの実家に顔を出し、父母に自分が生きていることだけ知ってもらうと、すぐに家を出る。


「父上、母上。待っててください。もうすぐ迎えに来ます。これからは別の場所で一緒に暮らしましょう」


 それだけ言うと、返事も聞かずに港に向かった。

 海上は鄭家の独擅場である。日を置かず大陸に到着する。


「まずはジジ様を……」


 鄭成功が死んでいないと信じている大成は、天地会協力の下、祖父を探すことに。


 昆明で別れたことから近くの町に的を絞ると、あっけなく天地会の目印を発見することができた。

 暗号の指し示す場所は、小さな寺院であった。

 僧形となっていた鄭成功と大成は対面を果たす。


「おお、大成。よく無事で……」


「ジジ様こそ」


「話は聞いている。捕まったそうだな」


「……いい骨休めになりました。それより、私と一緒に行きませんか?」


 大成は今度こそと同行を求める。


「……大成。ジイの頭を見よ」


 鄭成功は自分の頭を撫でた。僧形なので当然剃髪してある。

 大成はこれまでどおり総髪のまま、今は唐風の笠をかぶっていた。


「清に屈するよりはと一思いに剃ってみた。今では本当に出家したつもりになっておる」


「それでは……」


「うむ。ここに骨を埋めよう。まだまだ清に抵抗する血気盛んなバカモノもおるじゃろう。その者たちの骨は拾ってやらねば」


「ジジ様……」


「お前はまだ若い。それに春麗のこともある。行ってやれ。お前でなくては務まらぬ」


 鄭成功は孫の肩をポンと叩く。


「さ、行け」


「はい……」


 大成は再び祖父との別れを悲しまねばならなかった。今度こそ今生の別れとなるだろう。だが、それも一つの生き方だと牢暮らしの中で悟っていたようで、それ以上は何も言わずに背を向ける。


 僧形の鄭成功はしっかりとした大人に育った孫の後姿をいつまでも眺めていた。








 数十日後、大成は台湾に戻った。


「少爺、首尾は?」


「受け取れ」


 大成は抱えていた壷を渡す。


「何ですか? こりゃ……うわっ!」


 中には塩漬けの首が入っている。辮髪、清国国民の証の髪型をしていた。


「こ、こりゃあ、馮錫範……」


「ああ。師父の仇だからな」


 大成は鄭成功と別れた後、清の都に赴いていた。


 清国に投降した台湾勢は一様に清国から爵位を受けて都に暮らしていた。台湾を売った見返りということだ。

 大成にはそれも許せなかったが、戦さに負けた者を責めても仕方ないと達観する。


 が、大切な師父を騙し討ちにしたことだけは別だと、復讐を見事遂げたのである。


「そいつは天地会で処分してくれ」


「少爺はどちらに?」


「なに、また旅に出る。ここはもう清国の手に落ちた」


「そうですな。我々も新しい住処を探さねえと」


「落ち着いたら連絡する」


「へい。気をつけて」


 もう台湾にも戻ってくることは無い。そう大成は思った。天地会とも縁を切ろうとも。


 実家に戻った大成は、渋る父親を説得し、用意してあった船に半ば強引に乗せる。

 母はもともと日陰の身であったからか、柔軟に行動できている。

 流石は鄭成功の娘だと感心し、船の中、生意気だと父親に怒鳴られる一幕もあった。


 天和三年の晩秋、鄭大成とその父母は日本の地、長崎に上陸する。


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