第55話 けじめ2
天和三年の晩秋、鄭大成とその父母は日本の地、長崎に上陸する。
大成は、一旦父母をここの唐人街の知り合いに預かってもらうことにした。
理由として、父親はもともと日本のサムライだが、その武士の矜持とやらがこの期に及んでも日本の地は踏めぬと子供みたいなことを言わせているからであり、母親のほうは、偉大な父・鄭成功の故郷でそれなりに日本語が話せるとはいってもやはり外国の地であるからある程度風習などにも慣れておく必要があったためである。
特に父親に、自分が戻るまで覚悟を決めておいてほしいと懇願し、大成は速やかに出立した。
行き先は江戸。最後のけじめを付けに行くのである。
途中、懐かしき人の墓に参る。小倉藩元家老・宮本伊織。かの大剣豪・宮本武蔵の養子であり、大成が日本に来たばかりのころ世話になったが、甲府宰相様と同じく延宝六年に没していた。
「伊織殿。情けなくもまた戻ってまいりました。お会いできずに残念でござる……」
案内してくれた細川藩藩士、大成と剣を交えたことのある大川殿が一緒に手を合わせている。ずいぶんと慕っていたようであった。
墓参を終えるとすぐに辞し、目的の江戸に向かう。
やはり長崎屋の船を使ったのか、年が明ける前に江戸入りした。
「ご免、柳沢殿に面会の儀がござる」
芝愛宕下の武家屋敷。今や幕臣となり、小納戸役に任ぜられた柳沢殿の新しい屋敷であった。
大成は夜更け、何の手続きも踏まず、門を叩く。
眠そうな顔で出てきた門番が、大成の身なりを見て舌打ちする。日本では相変わらず編笠の浪人姿であった。
小納戸役は御目見が許された旗本の役職で、それでなくとも主人である柳沢様は公方様の側近ともいえる。そんな方が浪人風情に、しかもこんな夜更けに会うはずがない。そう門番は大成をなじった。
しかし大成がそんなことで怯むワケが無い。
「柳沢殿存知よりの者でござる。拙者の風体と、書状の件と主殿に伝えてもらえばわかる」
「しかし……こんな夜更けに……」
「重ねて申すが、拙者柳沢殿存知よりの者。後日そなたが取り次がなかったことが判明すれば面倒なことになるやも知れぬ」
「わ、わかりました……」
門番は大成の脅しに屈する。そそくさと中に引っ込んだ。
大成は小雪舞う暗闇の中、しばらく待たされる。
「なに? 六尺ある編笠の浪人……書状だと? まことにそう申したのか?」
「はい。門番がそう申しておりました」
門番の報告は何人かの家臣、用人の口を経て、最終的に正しくこの屋敷の主の耳に入った。
「如何致しまするか? 目に余らば手勢を繰り出し――」
「いや待て。存知よりと申したのであらば捨てても置けぬ。会おう」
就寝の準備が整っていたが、柳沢殿は人相風体に心当たりがあった。忘れることのできぬ人物である。
「しかし、かような時刻に不逞の輩を邸内に引き入れては、万一のことがあっては……」
「いや、会う。会わねばならぬ」
用人たちの制止は至極尤もであったが、少なくとも本人確認と来訪目的は確かめねばならないと考えた。
書状という言葉を聞いたからには放っておけない。天下が覆ることもありうる。
四半刻後、大成は門内に通された。
「腰の物を預かる」
「柳沢殿の指示か?」
「当家の仕来りでござる」
「……よかろう……」
大成は用人たちの指示に従い、大小を預ける。仕来りと言いながら自分たちはしっかりと帯刀しているのがおかしかったが、殊更異議は申し立てなかった。
広い座敷に案内される。
対面するにも主客の距離を気にしてのことだろうと大成は苦笑する。刺客か何かだと思われているのは明白であった。
大名屋敷の謁見の間とまではいかないが、二十畳はある。主客の距離は四、五間。飛び道具でも使わなければまず安全だろう。
しばらく待たされる。おそらく襖という襖の後ろに得物を手にした家臣を配置しているのだろうと再び苦笑した。
「待たせた……おお。やはりご使者殿……」
「しばらくでござる」
「まったくでござる。息災でありましたかな?」
「おかげさまをもちまして」
用人、家臣を何人も引き連れて柳沢殿が入室してきた。
第一の用は済んだようで、大成の顔を確認すると親しげに声をかけてきた。用人は少々驚いていたようである。
が、まだ来訪の目的が判明していない柳沢殿は予定通り大成の正面上座、かなり離れたところに座を据える。
「かような刻限にお一人でご来訪とは、如何なるご用件で?」
柳沢殿は遠まわしな手は使わず、ズバリと尋ねる。裏の裏まで内情を知られている大成相手に小細工は必要なしと見たのであろう。聡明な方である。
「ご出世なされたようで、まずはお祝い申し上げる」
「お、おお。これは痛み入り申す……」
逆に大成がはぐらかす。柳沢殿も負けずに対応した。高度な駆け引きが展開されている観を呈している。
しかし、その実、大成には深い考えは無かった。
「お祝いというわけではないが、これをお渡ししたい……」
そう言って大成が懐に手を入れる。
一瞬空気が緊張を孕む。用人、家臣は腰に手がかかった。
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