第2話  茶屋にて2

 宴とはいっても、三人とも長い付き合いで、手酌でも一向にかまわない。しかし、同じ生業なりわいで付き合いが長いということは話題もそれだけ限定されるということである。自然と今回興行の浄瑠璃の話に戻ってしまった。


「――やっぱり、先生の書く話はいいものなんです。ですから今回大当たりしなさったんです」


「おいおい。またそれかい。政太夫はンも自信を持ちなはれ」


「いえいえ。ホンマ先生のおかげでおます。『曽根崎心中』みたいな世話物で来るかと思うたら、いくさモノ、それも異国モンなんて、誰も思いつきまへん!」


「もう酔いなされたんか」


「いやいや。私も同感や」


「座長はンまで……」


 酒が入っているとはいえ、ここまで手放しで褒められたら誰だってムズ痒くなるもの。よっぽど若衆を呼んで、にぎやかにやろうとまで思ったものだ。






「ところで、今回の『国性爺合戦』やけど、ホンマにあった話でっか?」


「ホンマのことです。本見せた折、話して聞かせたやろ?」


「へえ。でも、私は本の方で精一杯で……」


「先生、酒の肴に、もう一遍聞かしてくれまへんか」


「私からもお願いします。これも修行になりますさかい」


「しゃあないのう」


 私も随分酒が回っていたらしい。二人に乗せられて、ついに引き受けてしまった。


 酒の席が転じて歴史の講釈となる。茶屋遊びにしては無粋極まりないと周りから言われそうだ。


 が、嫌いではないのでさっそく始めることに。


「まずは、コクセンヤからや。政太夫はン、どなたのことか知っとりますか?」


「ワトウナイでっしゃろ」


 この素直な若者が口にした『和籐内(わとうない)』というのは私が書いた浄瑠璃の主人公のこと。大陸の人と日ノ本の人の間に生まれたお人で、『倭(わ)』でも『唐(とう)』でも『ない』からとった洒落の名前である。


「そやない。ホンマのお名前や」


「鄭成功やったか」


「座長はン、覚えてたかいな。まあ、これから本、書こうというお人が知らんではあきまへんなあ」


「へぇ、私も精進します」


「よろし。鄭成功はンは明国のお人です。明国の皇帝はンから皇帝と同じ苗字をもろたんで『国姓爺(こくせんや)』いうンです。

 あぁ、コクセンのセンの字はホンマは女偏でっせ。氏姓名の『姓』の字や。私が書いたのは創作ですさかいな、一字変えたンです。その明国と清国の合戦がこの話の舞台や」


「ホンマはどっちが勝ったンでっか?」


 若い政太夫が頓珍漢なことを言い出す。これには座長もあきれたようだ。


「アホやな。明国いうたら、その昔太閤はンがいくさしに行っとった国やないか。今ぁ清国になっとる。どっちが勝ったか、わかるやろが」


「すんまへん……」


 さすがに思慮が足りなかったと政太夫も思ったらしい。首に手をやる。


「で、その合戦はいつのことなんでっか?」


「そない昔のことやあらしまへん。私が生まれたころは、まだまだ激しく遣りおうてたんでっせ」


「へー、そうなんでっか」


「鄭成功はンは確か、寛永元年生まれというから、そやな、私とは……」


 私は指を折りつつ、寛永二十一、正保五、慶安五と数えた。私はその次の承応二年の生まれである。


「……三十ほど上のお人ですな」


「横堀の爺さんが確か寛永何年の生まれって言うとりましたが、そうでっか……」


「まだ生きておりなさるんでっか?」


「……亡くなりましたがな……」


 座長の何気ない質問に、私は思わず声が低くなってしまったようだ。


 その空気は二人にも伝わってしまう。座が白けかかった。


 エヘンと咳払いを一つする。

 今日は祝いの日。私は何とか気持ちを立て直そうと努めたのだった。


「まあ、昔の話や。続けて聞いといて」


「へえ……」


 政太夫が神妙な顔つきになる。

 無論、座長も興味津々のていであった。


 私は再び講釈を始める。


「寛永元年いうたら、明の年号だと天啓のころですな。そん時分はまだ明国も何とかやっとったそうです。


 日本の平戸で生まれた鄭成功はンは七歳で父親・鄭芝龍の国、明に帰りなさった。

 その後、あのお人が二十歳のとき、寛永二十年、明の崇禎十七年、李自成という男が反乱を起こして都に攻め入ったンです。


 時の皇帝大慌てするも、家臣を呼べど誰一人として馳せ参ずるもの無し。

 哀れ崇禎帝、息子たちを逃がしたのち、御台所とご側室、それに姫君たちは賊の手に落ちるよりはと、己の手にかけてしまうしか道は無し。


 そしてお城の北にある景山に赴くと首を括り、お隠れになられた。


 最愛の姫、長平姫を斬るに際しては、『ああ、そなたはどうして皇帝の娘に生まれてしまったのか!』と泣いたという。


 しかし、泣きながら斬ったためか、振るった刀が急所を外れてしまい、長平姫は左腕を負傷したのみで一命を取り留める……」


 私は明国最後の皇帝のくだりまで一気に話を進めた。


 おかしなもので、上方者の私でも、講釈になるとだんだんと口調が変わってしまう。本を書くときもそうなのだ。


 それがわかっているのか、二人は口調のことは気にならぬようで、話の方に夢中のようであった。


「その李自成とやらは韃靼だったんでっか?」


 政太夫が思い出したように聞いてくる。


 私は苦笑せざるをえない。


 実際明国を倒した清国は女真族という民族が建てた国であるが、韃靼だったんという呼び名は非漢民族の総称のように使われていて、私の書いた『国性爺合戦』でも敵役として登場させていた。ために政太夫の質問は史実と創作を混同したものになってしまった。が、答えは同じなので話を続けることにする。


「いや、明のお人ですな。一揆の元締めみたいなもので」


「百姓でっか? ムチャしますな」


「それが、『順』という国を創って皇帝を名乗ったンです」


「ひえ~。あちらはやることが大きゅうおますな。太閤さん以上やで」


「そうですな。ですが、そうはうまいコトいくはずありまへん。都は火付けや盗賊であふれ、荒れに荒れたそうです」


「戦というモンはどこでも同じでンな」


「そうですな。結局李自成の天下は四十日ほどやったそうです」


「太閤さんやなくて、明智光秀の三日天下みたいなモンでしたか」


 座長が政太夫の例えを上手く訂正する。


「……今度こそ韃靼だったんでっしゃろ?」


 政太夫は少しばかり不満そうであった。なかなか自分が今日小屋で唄った内容につながらないものであるから。


 私が苦笑して肯定すると、目を輝かせる。


 本当に可愛い子だ。


「そうです。明の武将で呉三桂というお人がおりまして、これが中国の東北に出来てた清国にくだってたンですな。それが、こともあろうに清軍を引き連れて占領されてた都に攻め入ったンです」


「とんでもないことしますな。売国奴やがな。なンでそんなコトを?」


「いろいろ云われはあるようです。兵だけ借りて自分が皇帝になりたかったンとか、李自成に愛妾を盗られた腹癒せとか」


「寝取られたんでっか? そら、ヤケクソにもなりまんな」


「私も同感ですな。結局清軍は都に居座って、呉三桂は藩王、まあ、大名に取立てられたそうです。その名も平西王と呼ばれます」


「はあ~。呉三桂、ええヤツかと思ってましたンに。え? これで合戦は終わりでっか? ワトウナイはどうしたンです?」


「芝居とは違うやろが。慌てンで聞きなはれ」


「へぇ……」


 政太夫は座長にピシャリと言われてしまったものの、このころの庶民とはそんなもので、実際に目にしたことのない歴史など、戯曲と混同して憚らないものであった。


「政太夫はン、安心しぃ。ここからが和籐内のご本尊、鄭成功はンの活躍ですよって」


「待ってました!」

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