門左衛門は斯く語りき~人形浄瑠璃秘話~

樹洞歌

第1話  茶屋にて1

 


 正徳五年十一月。

 還暦もすでに過ぎた身、いつお迎えが来てもおかしくはない。昔のことがやけに懐かしく思い出されるのもむべなるかな、などと過去を振り返ってみる。


 私の生まれるより二年ほど前にお江戸では公方様の代替わりがあった。

 四代将軍家綱公が御歳十一歳のみぎりで将軍職を継いだという。どこからも文句が出なかったことで徳川将軍家は完全にその体制を確立したといえるだろう。


 だが、それは支配層にとっての見方であり、下々の者から見ると問題ばかりの六十年だった気がする。


 起こったすべての出来事を羅列しても始まらないので、大きな事件だけを少しばかり挙げることにすると、まずは明暦の大火。

 振袖火事ともいわれ、江戸の半分、江戸城天守閣まで焼失するというまことに史上最大の大火事である。おかげで江戸の街はすっかり様変わりしたそうだ。


 ほかにも火事は数多くあるが、中でも天和の大火は八百屋お七で有名である。


 つぎに寛文の大地震。これは京都を中心に起きたもので、かなりの被害を出した。その後も地震は日本各地で起こり、関東を襲った元禄大地震や畿内東海道一帯での宝永大地震が被害の規模が大きい。


 続けざまに富士山が噴火した。世にいう宝永の大噴火である。これは最近の話だ。浅間山も宝永年間度々噴火している。


 事件とは自然災害ばかりであるはずもない。

 先ほどは十一歳の将軍にどこからも文句は出なかったと述べたが、文句は出なくとも幕府転覆を謀ろうとする者がいた。


 慶安の変。俗に由比正雪の乱と呼ばれる。

 そののち、承応の変、伊達騒動、貞享騒動と枚挙に暇がないほどであった。そして元禄には赤穂浪士の討ち入りがある。


 御公儀が自分の首を絞めた事件もあった。いや、この場合は悪政というべきか。

 犬公方と庶民から影で呼ばれた五代将軍綱吉公は、その治世の後半に次々と殺生を禁止するお触れを出した。

 いわゆる生類憐みの令である。

 そして時期を逸した上に粗悪な混ぜ物をした貨幣改鋳も経済を混乱させた。


 こんな混乱の世の中で、よくもこの歳まで生きてこられたと正直不思議でならない。庶民の生活とは案外人間が図太くなるのかもしれないと今更ながら考える。


 確かに庶民はたくましかった。尚武の気風は薄れ、文治政治へと移行するにつれて庶民の生活も豊かになっていく。特に元禄のころには文芸、学問などの文化が花開いたといっていい。


 徳川の御世も七代様になってから二年過ぎている。

 五代様の、いわゆる生類憐みの令や下り酒の運上金も六代様に替わってすぐに廃止され、やっと天下泰平になった今日この頃だが、禍福はあざなえる縄の如しという警句に反してめでたいことは続くのか、今宵祝いの席があった。


 お江戸は政冶の中心だが、ここは文化の中心、上方かみがた。大阪は道頓堀近くである。時刻はそろそろ夜四ツになるところだ。 


「センセ、わたしら追い出すんですか? つれないなぁ~」


「カンニン、カンニン。またそのうちな。今日は身内で静かに飲みたいんや」


「へェ、わかりましたがな。ほな、ごゆっくり……」


 派手な着物を纏った若衆が不満げな表情を隠しもせず襖を閉める。


「まったく、近頃の若いモンは」


「まあまあ。ムリを言ってるんは私なんやから」


 若衆の態度が気に入らなかったように舌打ちしたのは四十がらみの男。

 しかし、ここは若衆茶屋、いわゆる陰間茶屋である。私が無粋な真似をしたのがわかっているのか、それ以上は何も言わなかったのでさっそく宴に移る。


 この部屋には三人の人間がいた。


 上座に今年六十二になる私が陣取っている。宗匠頭巾なんぞもかぶっており、なにやら偉そうだが、歳の順だ。

 もう一人のガタイのいいほうは今年二十四という陰間としてはトウが立っており、今日は羽織袴なので間違われる心配もないだろう。

 私たち二人に相対して下座に着いている。


 傍から見るとジジイ、オヤジ、セガレの三代が揃っているように思われるかもしれない。


 私らがこの若衆茶屋に上がり込んでるのは、先ほど祝い事で使った料理屋から近いからで、何も陰間遊びに来たわけではない。

 それに、私ら三人も血の繋がった家族というわけでもない。私らは人形浄瑠璃の仕事をしている、まあ、仕事仲間なのだ。


 四十がらみの男は竹田出雲といい、道頓堀に竹本座という小屋があって、そこの座長をしている。若いのは陰間などではなく義太夫節の太夫たゆう、竹本政太夫まさたゆうだ。

 ああ、義太夫節というのは浄瑠璃の一種で人形浄瑠璃とも呼ばれる。今は亡き竹本義太夫が開祖が故に義太夫節というわけで、三味線に合わせて人形を操り、物語を唄い聞かせる、まあ、演芸である。太夫は、紛らわしいが、唄い手のことだ。


 斯くいう私は浄瑠璃の物語を書いている近松門左衛門というのだが、憚りながら、三人とも上方では少しは名前の売れている人間だと思っている。


 今晩の祝い事というのは、その政太夫が先年亡くなった竹本義太夫の跡を継いで小屋を連日大入りにさせたことに対してのものだった。


「先生、座長! 本当にありがとうございました!」


 店の若衆が出て行くと、突然政太夫が目の前の膳を脇に寄せ、私と座長に向かって深々と頭を下げた。


 よっぽど嬉しかったのだろうなと、私も座長も思わず目を細めて頷きあう。


「何言うとる。お前が精進したからや」


「そうやで、長四郎。あ、いや、政太夫はン。あンたはンは立派に先代の跡を継いだンです。胸張りなはれ」


「そやかて、私みたいな若造が……兄さンらもおるのに……」


 若いのに謙虚なことをいう。

 こんなところも私たちは気に入っているのだ。それに、座長はこの若者が入門してから、私は生まれたときから、つい幼名が口に出るほどよく知っているので嬉しさも一入ひとしおである。


 だが、この若者のいうこともわかる。


 実際、先代竹本義太夫の跡目を巡っては座内でもいざこざがなかったわけではない。私と座長が半ば強引に押し決めたと言われているのも知っている。賭けに打って出たというと、この浄瑠璃に情熱を傾けている若者に少し失礼だが、今回の興行の出来如何では私らの立場もどうなっていたかわからない。


 結局、私と座長、それに先代義太夫の目は節穴ではなかったことが証明された。そんなわけで、公演期間終了の今日、竹本座関係者、ご贔屓筋を集めて一席設けることにしたのだ。


 しかし、というか、やはりというか、座内の連中とは少し気まずい雰囲気になってしまう。その口直しに、ここの若衆茶屋の二階を借り切って飲み直しているところなのであった。


 せっかくの祝い事なのでと、私も座長も畳に平伏す若者に諭すように声をかける。


「先代の遺言ですがな。長いこと精進したのを先代が認めなすったということや。これからもお励み。 じきに義太夫を襲名できるで」


「期待しとるで」


「へえ! おおきに! きばります!」


 政太夫は更に深々と頭を下げた。


「政太夫はン、もう頭上げなはれ。今日は祝いですがな」


「そやで。あんまり堅苦しいと、酒がまずうなる」


「へえ!」


 やっと政太夫が顔を上げ、宴が始まる。


 

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