第39話 幕閣への講釈
それから更に数日後、私は宰相様に呼び出された。
「杉森。逃げずによく参った」
「はっ。約定なれば」
「うむ。褒めて取らす」
「ははーっ! 勿体無きお言葉!」
鄭成功や大成たち、つまり明の使者が今回は来ていないため、対面は以前と同じように座敷の中から庭に向かって行われている。
このほうが私にとっては精神衛生上好ましい。
「本日そのほうを呼び出したは他でもない。講釈の続きを聞かんがためじゃ」
「わたくしで務まりまするなら」
大成を同行させろとの命は受けていなかったので、釈然とせぬままこの浜屋敷を訪れたのだが、宰相様のお言葉で納得できた。
幕府内での話し合いとやらが、予想通り難航しているのだろう。
それで甲府宰相様と同じように、私の講釈を幕閣の方々に聞いてもらい、話し合いの参考にでもさせようという意図があるに違いない。
そういえば、ちらりと座敷に鎮座するお顔を拝見したところ、以前の学者先生たちとはまったく雰囲気が違う。言葉にすれば打ち首間違いなしだが、いかめしい表情の上、古だぬきのような狡猾さを感じさせる。
わざわざ元浪人の講釈師に紹介するほどのことはないと捨て置かれてはいたが、私の直感ではご老中方ではないかと思う。ご家老の態度からもそれが窺えた。
であるならば、少なくとも甲府宰相様は大成たちの話に乗り気であるということではなかろうか。
私は他人事ながらコトの順調さに喜ぶ。
「では、明の縁起から始めよ」
「はっ!」
宰相様への返事の声にも力が入るというものだ。
「……では、お耳汚しとは存知まするが、失礼いたしまして……」
私はそれまで平伏していた身体を起こし、大成がいつもそうであるように、堂々と座り直す。
胸を張って総仕上げともいえる講釈を打つことにした。
大成たちが
武家の常識の範疇である明の歴史は、蒙古とは違って日本に
そして明の滅亡のくだり。
運の悪い時期に皇帝になってしまった崇禎帝の悲哀と、武将の裏切りによる清国の介入と占領。そして人民の苦しみ。
その後の皇族たちの反清活動。ここでやっと鄭成功が登場する。
それから三十九歳の若さで頓死するまで抵抗を続けた。
ここまでは誰でも知っている。
「……驚くなかれ。実は国姓爺・鄭成功、刺客の刃に倒れたものの、九死に一生を得て不死鳥のごとく甦ったのでございます」
おお、という驚嘆の声が上がった。既にご本尊と対面している甲府宰相様だけは微笑んでいるだけである。
話は少し戻るが、明の亡命政権最後の皇帝、永暦帝について語った。
これはつい先日大成から聞いたことである。
「唐土の南の方、広東に勢力を広げていた永暦帝もついに最期を迎えます。明の元武将・平西王呉三桂が清国に取り入るために大軍をもって攻め入りました。寡衆敵せず、逃げ出した皇帝は更に南方の国に庇護を求めたものの、清国を恐れた国王により呉三桂へと引き渡されます。皇太子も一緒であったので、これで明の血統もお仕舞いかと漢人たちは嘆いたということです……」
宰相様をはじめ、ご老中たちは聞き入っている。
年齢からすれば、間違いなく父親の世代が豊臣家の滅亡に関与し、そのおかげで老中という地位を手に入れたに違いない。
私は、この人たちはどちらの立場に立って話を聞いているのだろうかと、語りながらに考えていた。
大阪の陣を彷彿とさせる内容だけに、明側に肩入れすることは豊臣側に加担するのと同じと受け取られないだろうかとも心配する。
だが、後には引けない。
私は私にできることをするだけである。
「……ですが、明の民には希望がたった一つ残っております。永暦帝には一緒に捕らえられた皇太子の他にもご子息がございました。悼愍太子、その死を悼み哀れむと追封されたこの第二皇子は、当時十五歳でしたが、清国軍に襲われた際その乳母によって間一髪救い出されたのであります。それから数年、民間にて隠れ潜んでいた第二皇子は乳母の一族の娘、銭氏との間に子を生しました。明国皇帝の血は絶えていないのです……」
座敷の高官たちは息を呑んで私の話を聞いていた。
たとえて言うなら、大阪の陣後、真田幸村が秀頼を守って脱出し、天寿を全うしたという言い伝えに似ている。その秀頼に子がいるとしたら、豊臣恩顧の浪人たちはどうしたであろうか。
願わくは、ご老中たちが明と豊臣を一緒にしないことを祈る。
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