第38話 大成の心

 指定の場所に到着した。以前来たことのある、浅草の北、大川端の船宿である。吉原も近いのでご公儀の目を避けるには打って付けなのだろう。

 船宿の人間は、大成がちらりと言っていたが、抜け荷に関わる闇の者なのだろう、相変わらずぼろぼろの格好だった私を、大成の連れということで大いに歓迎してくれる。世を忍ぶ変装だとでも思っているようであった。


「よう、義兄上。来たな。まあ、座ってくれ」


「……祖父殿はいらっしゃらないようだな」


 二階の部屋の通された私は、入る前に中を見渡しながら、念のため実名は使わずに確認をする。

 声をかけてきた大成の他には、いつものようにお春が、いや、お姫サマがそばにくっついているだけで、期待した三人目はいなかった。


「ジジ様は天地会の頭だからな。飛び回ってるよ」


「そうか……」


 納得して中に入ると、私はドカリと座る。正座ではなく胡坐で。

 相手が旗本ならいざ知らず、いや、身分的にはそれ以上なのかもしれないが、逆に気を使う気が起きないのだ。


「今日は何の用だ? 宰相様からはまだお呼びがかかっていないぞ」


「うん、何ということもないが、義兄上の様子が気になってな」


「私の?」


「お前、ここ三日ほど講釈に出ていないではないか」


 口を挟んだのは、大人びた口調が相変わらずのお春であった。

 私は事実であったので返答に詰まる。


「しかし、こうしてここに来たということは、俺たちを見限ったわけじゃなさそうだから安心したよ」


「気の小さいヤツだからな」


 お春どのからあいかわらずの厳しいお言葉をいただく。


「……今更逃げ出すほうが勇気の要る話だ……」


「確かに。明の復興もすっぱりと諦められれば楽になれるんだがな……」


「お、おい。そんなつもりでは……」


 話が思わぬところへと飛ぶ。


「わらわも実のところ明の国などどうでもよいのだがな」


「春殿まで……いや、これは失礼。永寧公主サマ、であったかな」


「その名で呼ぶな。わらわも春という名が気に入っておる」


 妙な空気になるところだったが、お春の言葉に救われた気がした。

 だが、大成は何故か私の何気ない一言にまだこだわっているようである。


「春のことは別として、ジジ様や師父が命を懸けて明の再興と言っているわけがわかった気がする。さすがは義兄上だ。見事に的を射ておる」


「いや、だから、そんなつもりじゃ……」


「まあ、国姓爺だの、天地会の盟主などと周りから言われていては逃げるに逃げられないからな。斯く言う俺も……」


 大成は右腕をスッと袂の中に入れたかと思うと、肩脱ぎにした。右腕、肩の付け根を私の方に向ける。


「これは……晴明? 陰陽師の名が何故? いや、字が違うか。節季の清明か」


 大成の二の腕には刺青と思しき二文字がある。

 草書体であったし、京の都に住んでいた私が平安のころからの有名人の名を連想したのも仕方がないが、大成は笑っていた。


「日本では気楽に見せられて良い」


「で、これは何なのだ?」


「清国と明国だ」


「ああ、なるほど。いや、明はわかるが、何故『清』の文字も?」


 生まれた国の名というなら、大成なら『日明』が妥当と思い、素直に聞いてみた。


「うむ。これは義兄上にもどこだとは言えないが、俺の身体にはもう一箇所刺青がある」


「何のだ?」


「反復」


「ハンプク?」


「反は『そむく』、復は『復興』だ」


「それが?」


「わかぬか、義兄上」


「…………」


「信盛。並べ替えてみよ」


「……あっ!」


 お春に言われて私は一瞬考え、ある文章を思いついた。

 単純なことであった。


「反清復明……」


 清国に反し、明国を復する。明快な格言、いや、信仰の言葉である。


「ガキのころから聞かされて育った。この字を見るたびに使命とやらを思い出す。俺も逃げられん」


 大成は感慨深そうに腕の文字をさする。


「国姓爺どのも無体なことを……」


「天地会の掟だそうだ」


「だが、理不尽ではないか。おぬしはまだ若い。春殿に至っては子供ではないか」


 私は武士の家に生まれたが、次男坊であり、お家を継がなければならないという使命感は正直理解できない。

 実際こうして家を飛び出して武士にあるまじき生活を望んでしている。

 お家の存続にこだわって、その度が過ぎれば、豊臣家のように世の中を巻き込んだ大戦おおいくさになり、死人と浪人の数を増やす結果にしかならないことはわかりきっている。

 それほど昔の話ではない。鄭成功ともあろう者が知らぬとは思えないと言ってやると、大成はバツが悪そうに答える。


「居場所がな……」


「居場所?」


「俺は日本の血が混じっているし、父はそもそも異国の者だ。母も日陰の身。一生隠れて暮らすしか道はない。春は春で、清の連中に見つかったら間違いなく殺される」


「……だから反乱軍に身を投じるしかない、ということなのか……」


 何と悲惨な。

 私は言葉にすることができなかった。

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