第43話 もう一押し

「へーっ! とうとう犬公方様とご対面でっか! 先生、とんでもないお人でしたんですな!」


 大阪は道頓堀の茶屋の一室では、私の昔話に人形浄瑠璃竹本座の座長・竹田出雲と義太夫の竹本政太夫が一喜一憂している。

 登場人物の派手さは私が手がけた脚本の比ではない。

 明国の英雄とその孫。亡国のお姫様に上様の弟君、ついに後年上様になられた人物まで出てきて、それがすべて私と直接会っているというのだから夢物語にしても豪華すぎる。

 ホラ話であれば納得のできるだろうが、作り話とすれば首が飛びかねない不敬さである。

 こうして二人に語って聞かせることができるのは、今では登場人物がすべてこの世にいないからという理由であった。

 私も今年で六十二になる。よくぞ今まで命を保てたことだ。


「先生。それで犬公方はどんなお人だったんでっか?」


 庶民として風変わりな将軍に興味があったのだろう。政太夫は素直に聞いてくる。


「座敷にお犬様はおったんでっか?」


「そないわけはありまへん。そやな、普通の方でしたで。滅法線は細かったでしたが」


 今思い出すと不思議な方だった。

 甲府様のときはお大名らしくご家老様が一緒で、格式ばっていたが、綱吉公に会ったときはお付は柳沢殿だけであった。

 後年のお側御用の時代ならそれも当然であったろうが、まだ柳沢様がお若い時分のころからお側に侍っていたとは、今思うと不思議な感覚である。

 当時講釈をお聞かせしたときも、ちょうど今茶屋の一室で二人に語っているように、狭い部屋で綱吉公、柳沢様と私の三人であったのも妙な符合である。


「それにしても犬公方はンは何で明国の使節に興味を持ったんで? 清国といくさでもぶつ気でしたんで?」


 座長が核心をついてくる。


「そやな、それがミソです。これからお話しましょ」


「へぇ。お聞きします」


 私は再び話を三十数年間前に戻した。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 翌日、神田屋敷を辞した私は、一旦長屋に帰り、いつもの辻講釈用の着物に着替えた。

 大成たちと繋ぎを取るため早速に辻に立つ。

 何度か講釈を続けるうちに行商人が現れたので、いつものようにこっそりと手紙を渡すと、まもなく返事が来る。

 その日のうちに例の船宿で大成と落ち合ったが、やはり私の動向は大成に筒抜けであった。


「義兄上には驚かされる。もう一人の宰相のところとは」


「笑い事ではない。寿命が縮んだぞ」


「それは悪かった。で? その宰相が何だって?」


「ああ。明国の使節に会いたいそうだ。どうだ? 行くか? 行くなら私は神田御殿に報告に行かねばならぬ。そうでなくても催促に来られそうだが」


 私は柳沢殿の押しの強さを思い出してうんざりする。


「すでに幕府に話は通っている。後は評議次第だからな、今会っても意味があるか……」


「大成。よいではないか。信盛によれば幕府の評議とやらも難航しておるそうじゃし」


 お春は気楽に口を挟んでくる。だが、的確な意見であった。


「……確かにな。宰相が二人も出兵に賛成したとなれば風向きも変わるかも知れん」


 そう、昨日の今日で報告したばかりだが、昨日甲府浜屋敷での臨時評議は間違いなくもめていた。

 もめていたというのは反対ばかりの意見ではないということで、大成たちにも少しは希望が残っていたのだが、それでも待つ身にとっては辛いところである。


 賛成と反対の理由は、鄭成功が大成に語ったという分析と、後日私が直接お二人の宰相様たちから伺った話によると、利害が拮抗してのことだという。

 明に加担することの利を考えると、まず大成が甲府様に申し上げたように今後明国との貿易で幕府が多大の利益を得るという金銭面。

 さらに、幕府が悩みのタネとしている多数の浪人、及び旗本御家人の次男坊以下、無役部屋住みの武士たちの処遇である。大戦おおいくさともなれば武人はいくらいても足りない。一挙に問題が片付くというわけである。


 逆に、明への出兵の害については、利の裏を返したものである。

 明国との貿易の利といっても、それは明国が清国に勝ってのことで、負けた場合は幕府にとってまったく得るところがない。それどころか、先の太閤豊臣秀吉の例を見るまでもなく、国が疲弊してしまうことも考えられる。

 そして浪人についても戦が終われば、やはり仕官や領地を与えねばならない。日本国内ではそれも無理な話だ。

 さらに、慶安の変つまり由比正雪の乱以後、やっと尚武の気風を文治の風潮に変えたばかりだというのに、またもや戦国の殺伐とした空気になると心配された。

 そして、これが一番の懸念だが、この出兵が仮に成功したとして、西国の外様大名の力が増大するのではないかという問題もある。そんなことになったら幕府の屋台骨にも関わる一大事なのだ。


 武士の矜持と官僚根性の両方を理解してるらしい大成は、しばらく悩んだ後心を決めたらしい。


「仕方ない。会おう。そして館林宰相とやらにも協力を求めよう。義兄上、繋ぎを頼まれてくれんか?」


「よし、お主がそう決めたのなら口は挟まん。なに、取り次ぐだけだ」


「すまん。面倒をかける」


「今更だな。似合わんぞ」


「そうじゃ、大成。もっとどっしりと構えろ。ジイのようにな」


「春、無茶言うな。俺は国姓爺じゃない」


「わらわにとっては同じじゃ」


「ところで、その国姓爺殿は? やはり一緒に参られるのか?」


 お春の言葉でふと気になった。あの対面の日以来見かけていない。


「ああ。ジジ様は国に帰った。正式に幕府から通達が出るまではもう来ない」


「そうか……」


 没落した国を復活させるのは至難の業であろう。いくら日本からの出兵が戦の鍵だからといって、いつまでも外国にはいられないというわけか。

 偉人の心は計り知れないと感動したり呆れたりしながら、大成との会合は終わる。

 明日早速神田御殿に遣いすることにしよう。


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