第5話  無謀な旅路の果てに

 あくまで歴史的用語です。

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 私が門左衛門を名乗る以前、二十四、五だった頃のこと。


 私は旅に出ていた。


 理由はといえば……無いもの強請り、或いは若気の至りとしか言いようがない。その点に関しては赤面の思いである。


 両親と暮らした京での十年。その間公家様に仕えることもあって、下級武士としては随分雅な環境にあったと思う。


 仕事の合間に書を読み、句を詠じと、概ね満足、いや、贅沢なことだったが、何が私の琴線に触れたのだったか、旅に出て新たな境地に達してみたくなったのだ。


 はじめは反対していた両親も、私が次男であったのが幸いしてか、最後は黙って見送ってくれたのであった。


 だが……




「何とか江戸まで辿り着いた……」


 日本橋の袂で、ややもすれば挫けそうであった。


 ここまで来るのに、船旅ではなく、東海道を選んだ私は、途中各藩の城下町に立ち寄り、何か流行の文学はないかと訪ねまわったのだが、結果は、京に勝るもの無し、ということである。


 考えてみれば当たり前で、天子様のお膝元を飛び出した自分を責めたくなる思いであった。


 しかし、すでに職を辞した身。一片の矜持がこのまま何の収穫もなく京に舞い戻ることを拒否する。


 やや混乱した頭で考えを新たにしてみる。


「やはり、人が多いな……」


 品川に入ったあたりから薄々感じていたが、目の前にある日本橋の通りは人であふれかえっている。


 大袈裟かもしれないが、京の都が一番賑やかだと思っていた私にとって驚きの光景である。まさか祭りの最中であるまいか。そう考えてしまったのも、初めて江戸の町を目にした人間ならば仕方ないというものだ。


「ここなら私の求めるものも……よし、しばらくはここで暮らしてみよう」


 そう決意した延宝五年、初夏の夕暮れ時であった。




「代筆~、代筆のご用はござらんか~」


 私は旅装のまま江戸の町を彷徨っている。


 胸元に『代筆』と書いた半紙を掲げ目に付いた店々、家々の前で大きくもない声を張り上げる。


 かなり血迷っていたのは認めよう。


 威勢よく江戸で暮らそうなどと考えたが、先立つものがない。


 考えてみれば、通行手形はお仕えしていた公家様のご威光ですんなりと取れたものの、元々下級武士の次男坊が金の成る木を持っているわけもなく、あまりに順調な旅の滑り出しに調子に乗っていたのだと思う。


 江戸の町に着いた日に泊まった旅籠代で路銀が底を突いた。


 翌朝旅籠を出た足で口入屋に赴いたものの、落ち着き先もない人間にまともな仕事の斡旋を受けられるわけもなく、荷運びや瓦礫運びが関の山である。


 背に腹は替えられぬ私は何度かその口入屋の世話になることになった。


 飯場に雑魚寝で泊めてもらえるのはまだマシな方で、日銭で糊口を凌ぎ、辻のお稲荷さんの小さな祠の後ろで野宿することもある。ひもじさに耐え切れず、夜中お供えの油揚げを口にしてしまった時は思わず涙が零れた。美味かったからなのか、それとも情けなかったからなのかは、正直わからない。


 ここまで落魄れては、新たな文芸の探求など聞いて呆れると高尚な意気込みもすっかり萎えてしまった。江戸の町のどこかにはおそらく句会や連歌を開いているところがあるはずだが、見栄もあって、訪ねることもしていない。


 口入屋の仕事にあぶれた時は、せめて代筆の仕事でもないものかと町をうろついている。日に一件でもあれば良い方であった。



「番頭どの、何か代書か帳簿書きの口などないものだろうか」


 江戸に来てから何度目かの仕事探し。


 馴染みとはいえないだろうが、顔を覚えてもらった口入屋の人間にいつものように尋ねてみた。


「ダンナ、ご自分の姿を見なせえ。とてもじゃねえが家ン中にゃ上げられませんぜ」


 一言の下に断られる。


 今までは単に、そんな仕事はない、といった断られ方であったのだが、今回は理由が違っていた。


 正論である。


 江戸に着いてから月代さかやきも髭も手入れする余裕はなかった。中途半端に伸びたままで見苦しい。着ている物も旅装のまま、泥と垢に塗れている。臭いも酷いものだろう。


 自分の惨状に気付いていなかったわけではない。


 飢えを満たすだけで精一杯なのである。


 これではまるで……


「そんな身なりじゃ、コジキも同然ですぜ」


 ハッキリ言われてしまった。

 同感である。


 私は返す言葉もなく、ただ俯くのみ。


「ん? コジキか……」


 口入屋の番頭が何か呟いた。


 何のつもりか気にする余裕もなく、望みの仕事がないなら仕方がないと、何でもいいから紹介してくれと口を開きかけたところ、番頭がとんでもないことを言い出したのだった。


「ダンナ、いっそのこと、コジキになってみませんか?」

「なっ?」


 私の口から出たのは、それだけであった。


「いや、申し訳ありません。コジキといっても道端で頭を下げろと言っているわけじゃありません」


 呆然としていた私に、番頭が慌てて言葉を繋いでくる。

 後から考えれば、一応サムライである私が無礼討ちにしてもおかしくない発言だった。


 まあ、すでに二束三文で大刀を質入して、脇差しか佩びていない私には無理な話であったが。


 激昂する気力もなかったのが幸いしたか、私は黙って番頭の話を聞くことができた。


「ダンナ、代書に拘ってるようですが、ヤットウよりこちらの方のデキがいいようで……」


 と、番頭は自分の頭を指差す。

 ついでに、視線は脇差のみの私の腰あたりに注がれていた。仕事柄、目端は利くようだ。


「用心棒も無理そうですし、いつまでも荷運びや飯場仕事を続けるのもお嫌でしょう。なら、寺子屋でも開いて……といっても伝手つても元手もないときてなさる。あとは、芸を売るしかございませんなあ……」


「げ、芸を……売る……」


 芸、という言葉を聞き、私はしばらくぶりに旅に出た理由を思い出した気がした。


「はい。いってみれば見世物ですな。口が達者で少し元手があれば縁日でガマの油でも売れるでしょう。でなけりゃ、草芝居でも講釈でもよろしいかと……ただ……それらは非人の生業なんで……」


 番頭が薦めてきたのは門付かどづけなど、芸を見せて金を稼ぐ生業のことらしい。


 郷里でも京でも縁日に行ったことがないわけではない。そのような生業を見たことがないとも言わない。


 だが、非人とは……


 その者らの身分に関しては考えたこともなかっただけに、自分が置かれている境遇の凄まじさに愕然とする。


「ウチじゃ扱っておりませんが、コジキの仲間入りすることになっても構わないとおっしゃるなら、然るところをご紹介いたしますが……」


「か、考えさせてもらえぬか……」


「もちろんでございます。お武家様にしてみれば清水の舞台から飛び降りるようなものでございましょう。わたくしは行ったことはございませんが……あ、ダンナは京のお方でございましたっけ。良い所なのでしょうなあ。どうしてまた江戸くんだりまで? あ、いやいや、これはご無礼いたしました。なにとぞご容赦くださいませ。飯場仕事でしたらいつでもご紹介いたしますので……」


 私が呆然としているので慰めるつもりだったのか、番頭はあれこれと話し始める。


 だが、私は一々反応することができなかった。


「……また寄せてもらう……」


 そう言うのが精一杯であった。


「はい。またどうぞ……あ、ダンナ、見世物は鑑札が必要らしいとのことで。くれぐれもお気をつけて」


「……ああ。かたじけない……」


 番頭の最後の忠告に礼を言って私は口入屋を後にした。




 

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