第4話 茶屋にて4

 しばし逡巡する。

 まさかこんなことになるとは……


「……そやな、五代はンも柳沢はンも亡くなったことですし、言うてもかまわへんかもしれまへんな……」


 私は心を決める。今日、政太夫が一人前と認められ、人払いした茶屋の一室に気心の知れた人間が三人だけ。


 これが運命なのかと私はふと思った気がした。


「ご、五代はンて、い、犬公方のことでっか? ほンなら、柳沢はンはお側御用の……」


 ちょうど政太夫が生まれたころのことだ。いくら雲の上の存在で、遠く江戸の地の話だろうと名前くらいは知っていて当然だろう。


 その雲の上のお人の名前が、いくら武家の出身で、少しばかり有名になっていても、一介の物書きの口から、さも知り合いのように出てくるとは、両人驚きを隠せないようであった。


「ここだけの話です。私はもう還暦で、どうなってもかまいませんが、お二人はこれからのお人です。決して口外なさらぬよう」


「へ、へえ……」


「わ、わかりました……」


 本来祝いのための陽気であるはずの座が緊張を孕んだものに変わる。


 私は少し声を落として話を始めた。

 予定していた明と清の合戦話は後にして、先ずは私の身の上話を。


「実は私、若いころ江戸に居りましたンです。そのお人に出会ったンは、そうですな、延宝五年。四十年近く前のことでしたか、ちょうど政太夫はンと同じ年のころやったと思います……」


 私は淡々と身の上を語って聞かせた。


 父が職を辞したことで京に移ってきたことから始まり、俳諧などの創作に目覚めたこと、西行法師に触発され旅に出たことなど。


「江戸ではどんな話を書いたんでっか?」


 私の知られざる作品について興味を持ったのか、政太夫ばかりでなく座長まで身を乗り出すように聞いてくる。

 座長も浄瑠璃の脚本を手掛けてみたいと言って、半ば私の弟子みたいなものだから仕方がない。


 だが、私は二人の期待を裏切らねばならなかった。


「言いにくいンですが……そのころは辻講釈なんぞをしとりましてな……」


「えっ……」


 私の答えに二人は絶句していた。


 無理もない。


 当節では人形浄瑠璃は歌舞伎と並んで芸術性の高い世界になっていて、庶民からは熱狂的な支持を受けている。義太夫は十分誇りを持てる仕事なのだ。

 その人気芸能の作者がこともあろうに乞食と変わらぬ真似をしていたことに衝撃を受けたに違いない。


 だが、それも先達が苦心して築き上げた評価であることをこの若い二人は失念している。

 そして、庶民の評価ではなく、お上の、幕府の見解からすれば私たち人形浄瑠璃の関係者は、二人が見下している辻講釈、ひいては乞食と同じ身分であるのだ。


 驚く二人のため、私は今更のように自分たちの身分を再確認させようとする。


「そんなに驚くことはありませんがな。元を辿れば浄瑠璃も小屋でなく、辻で唄ってたもンでっせ。講釈とは親類みたいなもンですよって」


「な、なるほど……」


 二人は何とか納得してくれたようだ。


 ここから改めて自分の話に移る。


「元々路銀にも事欠いていた上、お江戸には頼る知り合いも居りませんでした。活計たつきのために、仕方なく見よう見まねで代筆を始めたンですが、いくらにもならず、どうしようかと思案に暮れていたときに出会ったのが乞胸頭ごうむねがしら仁太夫にだゆうというお人でした」


「そンお人が例の話を?」


「いや、それは後の話です。辻講釈を始めてから出会いましてな」


 乞胸ごうむねとは勧進の一種、要するに乞食のことだ。辻や門前で芸を見せては人々から施しを受ける。今でこそ大道芸は庶民の娯楽として定着し、人気芸人も輩出してはいるが、本来蔑まれる存在であり、また幕府にとっては非人と変わらない。


 政太夫も座長もなんとなくは知っていたようだが、私は大体の説明を加えた。


 慶安のころ、藩の改易が相次ぎ、街には浪人があふれる。その浪人たちが食わんがため始めたのが草芝居や見世物であった。


 ところが、それらの稼業はもともと非人たちの生業であり、幕府に非人頭から商売の邪魔になると訴えがあったのだ。


 結果、すべての大道芸は非人頭・車善七の支配下に置かれ、乞胸稼業をするものは身分は町人、扱いは非人とされることになる。当時の大道芸人の浪人を束ねていた長嶋磯右衛門が乞胸頭ごうむねがしらとなり、非人頭から鑑札をもらって一人四十八文を月々納めることとなった。


 その後乞胸頭ごうむねがしらは代々仁太夫を名乗る。


 そして、すべての非人、芸人は長吏頭・矢野弾左衛門の支配する世界であったのだ。


「武家とはいえ、家を飛び出した次男坊というのは悲惨なモンでしてな、浪人と全く変わりません。ひょんなことで同じような元浪人はンから紹介を受けて仁太夫はンに会いましてな、今までの身分は問わないからと講釈師を勧められたンです。幸いいくらか軍記物は読ンでましたさかい、稼げると言われては断れませンでした。ゼニがのうては武士の矜持も役に立たんというとこです……」


 今も身分的には変わってはいないが、当時のことを思い出すと内心忸怩たるものがある。


 だが、結果的に良かったのではないかと振り返る度にそう思う。


 何しろ運命の出会いがあったのであるから。


「当時も人気があったのは、軍記物でしたな。『太平記』『義経記』『将門記』……やはりお江戸のことで、太閤記はあまりウケまへんでしたがな」


「そら江戸モンにわかってたまりますかいな」


「フフフ。まあ、そない言わんと。……それからしばらくして、問題のお人に出会ったンです……」


 ついに核心に触れることとなった。私はなにやら心が震えてたまらない。

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