第41話 評議
明国末期の知られざる英雄の足跡と生き残っていたご落胤。
右はあくまでも大成に聞いた秘話である。とても幕府の要人に聞かせられない。
私はなるべく辻褄を合わせながら大明帝国が滅亡しきってはいないという点を強調するに留めた。
後は大成の仕事である。今後幕府に呼ばれて正式に援軍を要請すると共に見返りなどの条件が話し合われることになるだろう。私は同情票を稼ぐばかりである。
「ふーむ。信じられん話だ。宰相様、この下賎な者の話をお信じなさるので?」
老中の一人が私の講釈を聞き終え、宰相様に食ってかかる。
後になってわかったことだが、この五十半ばの武士はなんと大老職の酒井忠清であり、下馬将軍と呼ばれる当代切っての実力者であった。
私如きみすぼらしい浪人者を見下すのもわかるというものだ。
「その者はただの講釈師。真偽のほどは改めて確かめねばならぬが、その者の言っていることは本当じゃ。余は信じる」
「ははーっ!」
畏れ多くも宰相様が私を庇ってくださった。感動の余り私は平伏する。
酒井大老は渋々と引き下がるをえない。
「これ、それがしは若年寄の堀田と申すが、そのほう名は?」
末席に座っていた四十がらみの武士が不意に私に話しかけてきた。この人物も並みの人間ではない。後年老中、大老と出世する堀田正俊様である。
「はっ、今は講釈師・吉次郎を名乗っておりまするが、杉森信盛にございます」
平伏したまま答える私に堀田様は続けて質問をぶつけてくる。答えに困る質問を。
「たいそう興味深い講釈であったが、事実ならば一体どこから聞いた話じゃ?」
「そ、それは……」
実は、私はこの手の質問に直接答えたことがない。甲府宰相様のときも親書を渡して、後は大成が自ら正体を明かしたのだ。
返答に詰まる私を見て助け舟を出そうとしたのか、或いは単に問題をややこしくしたくなかったのか、宰相様が話を引き取ってくれた。
「堀田殿、そこまでじゃ。それ以上は先ほど申したとおり後日改めて確かめる。その前に方々で評議してもらいたい。明国の援軍要請が正式なものとして我が国が、幕府がどう対応すべきかについでじゃ」
「それは……」
「宰相様。それは通例どおり関与せず、でよろしいかと」
大老酒井がさも煩わしげに答える。
確かに、鄭成功の言い分からすると今まではこの調子で無視されてきたのだ。
「しかし、話は聞いたであろう。義を見てせざるは勇無きなりとも言う。武士として強きを挫き弱きを助けるは責務と考えるが……」
「拙者もそれは同感にござるが……」
「堀田殿まで何を申される。宰相様、この際申し上げまするが、ようやく徳川の基礎も固まり、武に頼らず文を以って統治するという先代様の築いた風潮を蔑ろにされるのは不孝と申すもの。お考え直しいただきたいと存ずる」
「うむ、父上がか……」
「ですが酒井様、上様のご意見も伺わねば」
「上様は『左様せい』と仰せになられるばかりじゃ。どちらを奏上申し上げようともな」
「その申し様、大老といえど、いかい不敬にございますぞ!」
当代公方様が自分の意見を持たず、周りから密かに『左様せいサマ』と言われていることは私でも知っているが、いくらご本尊がこの場におられないからといって酒井様の発言は余りに酷い。
私が見るところ、老中たちは大老酒井に追随するばかりで誰も発言しない。この場は宰相様に加担した堀田様と大老酒井様の二極に分けられた。
「双方控えよ。評議は余が頼んだことじゃが、ここですることはあるまい。ほれ、杉森が当惑しておるわ」
「ははーっ! も、申し訳ございませぬ!」
宰相様はこれ以上部外者の私に聞かせたくなかったのか、うまく話を中断させた。ダシに使われた私は身も縮む思いであったが。
「なんじゃ、まだおったか! 下郎は下がれ!」
「はっ! で、ではこれにてご免つかまつりまする」
酒井様に怒鳴られ、私はそそくさとその場を後にした。
その後、評議が浜屋敷で続けられたか、お城に持ち込まれたかは私の知るところではない。
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