第36話 寄り道

「た、大成……どこに向かっているんだ?」


「ついてくればわかる」


 甲府藩の中間が鄭成功とお春の乗った駕籠を担いでいるため、私たちは小声で話している。

 日本橋を過ぎたあたりから、おかしいと思い始めたのだ。

 始めはもと来た寺に運んでもらうのかと思ったのだが、中間たちに外堀通りをそのまま北上させる。では居候先の廻船問屋かと、潜伏先をバラすようなものだと私なりに心配もしたのだが、それも違ったようだ。しかも、私の長屋、浅草でもなさそうだ。

 気になって聞いたものの、大成は質問には答えなかった。

 仕方なくついていくことにする。


 本郷を過ぎ、根津あたりに来てやっと行き先がわかった。


「ここは水戸様の……」


「そうだ。中屋敷だ。挨拶に参っただけでござる。ご家来衆、ご苦労でござった。これは些少だが……」


 後のセリフは中間たちへのものである。どうせご家老あたりが大成たちの動向を窺っていると承知の大成は潜伏先を知られるぐらいならと、堂々と御三家の屋敷を訪ねたのだ。

 大成から金子を受け取った中間たちは笑顔で引き上げる。ご家老にはその耳で聞いたとおり答えるであろう。


「頼もう!」


「お、おい……」


 大成がいきなり門を叩く。

 私は、あくまでも潜伏先をごまかすための芝居だと思っていたのに、本気であったとは。


 暮れ六つも過ぎ、辺りは暗くなっている。こんな刻限に非常識だと、私はサムライの常識でモノを考えていた。

 しかし、御門の前にいる四人のうち、まっとうな武士と呼べる人間は一人もいないことに気づく。

 余計まずいのではないか。


 私の心配をよそに、門を開けて顔を出した番方との交渉が始まっていた。

 やはり尾張家拝領の品の威力は凄まじく、慌てて門番が引っ込んだかと思うと、今度は用人らしき御仁が出てきて来訪の旨を腰を低くして聞いてくる。

 何度かの遣り取りがあった後、とうとう駕籠が御門内に運ばれた。


「で、では、舜水先生がお待ちでござる。こちらへ……」


 どうやら鄭成功だとは名乗らなかったようだが、用人によって丁重に邸内に招きいれられた。

 私は内心、バチが当たるのではという思いで足を踏み入れる。なにしろ一日に二度も大大名屋敷の邸内に上がる羽目になったのであるから。


 大名屋敷は、通常上屋敷と下屋敷に別れていて、藩主様は上屋敷で起居、政務を執り行う。

 大大名にもなると、中屋敷という、普段は使わない、予備ともいえる屋敷まで持っているものなのだ。

 規模の大きさに恐れおののくと共に、私は藩主様のいない屋敷でよかったと少し安心感を持った。


 唐服姿の老人と幼女、加えて浪人者が二人という奇妙な集団が長い廊下を歩く。水戸藩家臣たちは奇異な目を向けてきた。私は目を伏せるしかない。


「ど、どうぞ……」


 鄭成功たちの姿に尋常ならざる事態を感じたのか、用人は言葉少なに一室へといざなう。


 中には、鄭成功殿よりさらに年配の、古稀は既に越えているであろう白髪の老人が座って私たち、いや、大成たちを待っていた。

 私は一目でわかった。

 この老人も本朝の者ではない。ゆったりとした唐服、あれは儒学者が好んで着るものだと中途半端な知識で知っている。

 それに、鄭成功殿よりもさらに見事な白くて長い髭。

 まごうかたなき唐人である。


「こっ、これは夢か!」


 その老人は鄭成功殿を見て驚いていた。


「く、草野殿。暫時人払いを願う」


 白髭の老人は上座に座っていたが、そこから下がりながら同行してきた用人に慌てて頼む。


「し、しかし先生。私は職務として」


「老人たっての願いじゃ。頼む!」


「……わかり申した……ですが、ご家老様に報告いたす」


 そう言って用人たちは周りのご家来衆を連れて部屋の周りから引き上げていった。


「ど、どうぞ……」


 またもや広い部屋に少人数が取り残される。しかし、慣れというものがあるはずもなく、私は緊張の面持ちで中に入った。


「久しぶりじゃな。舜水」


「やはり国姓爺殿か。生きておいでとは……」


 舜水と呼ばれた老人に上座を譲られた鄭成功はお春を連れてその場に座る。

 私と大成は右側に並んで座った。


「ワシが死ぬ前にお主を日本に遣わしてからじゃから、二十年は経っておるのう」


「はい。長うございました……」


 二人は無論唐の言葉で話していたので、私には何のことかわからなかった。

 気を利かせた大成が、随時説明をしてくれたので助かる。いや、私にはそもそも関わりの無かったことだが、気まずい思いをしなくて済んだ、というところか。


 話によると、この白髭の老人、名を朱舜水といい、明国の儒学者であったそうだ。

 鄭成功殿とその父・鄭芝龍と共に反清活動をしていて、大成に先駆けて日本へ援軍要請の乞師として派遣されていたが、永暦帝の死を聞くと反清の志を捨てて日本に住み着いてしまったのだという。


「国姓爺殿が御自らお越しとは、私を成敗しに来られたか」


「……苦労をかけたな。髪も髭もすっかり白くなって……」


「勿体無きお言葉。明に背いた私などに……」


「本日は懐かしき先達の様子を見に参ったまで。他意はない」


 その言葉にホッとしたのか、舜水先生は我々三人に言及し始めた。


「国姓爺殿。お側の娘ごは? お身内でございますか? こちらの背の高いほうも日本のサムライには見えませぬが」


「大きいほうはワシの孫で大成という。隣は義兄弟の杉森殿だ」


 鄭成功殿が突然日本語で私を紹介し始めたので慌ててしまう。


「す、杉森と申します……」


 私たちを鄭成功殿の警護役とでも判断したのか、舜水先生は軽く頷いたのみで、やはり唐服のお春が気になるようであった。


「で、こちらの娘ごは? やはりお孫さまで?」


「……お主はすでに反清復明から退いた身。聞かぬが花というもの」


「そうでございますか……」


 私は、鄭成功殿の言葉から、この度の水戸家訪問は最初の言葉どおり挨拶に来ただけとわかった。

 ホッと安堵する。

 が、しかし、その私の安堵を打ち破る事態が起こる。


「失礼いたす。中納言様、急のお渡りにござれば、御一同龍の間に参上されたし」


「なに! 中納言様が!」


 先ほどの用人が突然入ってきて、用件だけ告げる。


 驚いた。こともあろうに、上屋敷に呼びつけるのではなく、藩主自らが中屋敷に足を運ぶとは。


 それだけ急ぐということは、用人の報告で、鄭成功の名はともかく、明の密使が江戸にいるということに感づいたのではないだろうかと心配になった。

 ともかく、私たちは用人に案内され、その龍の間という部屋に急いだ。

 甲府浜屋敷の謁見の間に似た広間である。

 私たちは、舜水先生を入れ五人、下座に着く。


「水戸中納言様~、おな~り~」


 前触れの後、水戸中納言様がお部屋に入ってくる。

 私の心臓はドキドキであった。

 徳川光圀公。あの『天下の副将軍』と世に名高い名君である。庶民にも人気が高く、知らぬ人はいなかった。

 畏れ多くも権現様のお孫様であり、先代将軍家光公とは従兄弟同士だ。当代将軍・家綱公は『叔父上』と呼ぶ。

 そんなお方が目の前に現れた。

 私の心中がお分かりだろうか。


 

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