第35話 交渉
「宰相様。こうして公主自らお頼みに参られた。どうか色良きご返答を」
「う、うむ……」
忠臣と姫君。この組み合わせに心動かされない人間はいないだろう。
だが、問題が大きすぎる。甲府宰相様は難渋した。
「僭越ながら……」
大成が宰相様の苦悩を察し、口を挟む。
「宰相様お一人にお頼み致すつもりではござらぬ。幕府として諮っていただきたい」
「む、無論そのつもりじゃ」
「改めて申し上げるが、我らは金が必要なのではござらぬ。金なら、戦費としてこちらから支払う所存。我らが必要なのは人。武人でござる」
「武人……」
「さよう。失礼ながら、お国では浪人が溢れているご様子。その者どもも
「厄介払いとは聞き捨てならん!」
声を荒げたのはご家老。さすがに大成の言いようはトゲがあった。幕府とは直接かかわりのないご家老まで痛いところを突かれたのであろう。
「これは失言であった。許されよ。しかし……」
形だけは謝る。
「兵がほしい我が国と、仕官がしたいが叶わぬ者のいる日本。利害は一致しているのではござらぬか?」
「ふむ……」
大成の分析は宰相様を納得させたようで、顔つきが変ってきた。先ほどのように取り乱すようなことはない。
「さ、宰相様。い、如何でござろう。後日幕閣の方々にお諮りなされましたら……」
「うむ。そうじゃの。余が一人うろたえても始まらん」
「け、決して左様なつもりでは……」
ご家老が問題の先送りを進言し、宰相様の意志は固まったようだ。
「ご老体。この件はやはり老中たちに諮らねばならん」
「ごもっとも」
これまでの数十年の成果を思えばかなりの進展と思ったのか、鄭成功は素直に頷いた。
だが、大成が再び口を挟む。
「もう一つよろしいか?」
「何じゃな?」
「どことは明言いたさぬが、諸藩の中には明国に対する援軍派遣に積極的な藩もござる。されどご公儀に遠慮いたして首を縦に振れぬだけのご様子。ご公儀自ら音頭を取らずとも許可さえ出せば自ずとこの問題は片付くものと存ずる。いや、これは拙者の浅はかな知恵にござれば、頭の隅にでもお留め置かれ下されば重畳にござる」
「わかった。留め置こう」
「有り難き仕合わせにござる」
とても十七、八の若者とは思えぬ、堂々とした態度であった。無論、身分的には『郡王』という称号を持つ英雄の血筋であるのだから、上様の弟君に対しても少しも引け目を感じていないのかもしれないが、それでも一国の頂点に限りなく近い人物に対し、五分以上に張り合う胆力は見事であった。
私はただ感服するしかない。
「では、本日の謁見はここまでといたすが、その方ら、住まいは何処じゃ? 閣議の決定が出るまでここに留まっても構わぬぞ」
「有り難きお言葉。なれど、それでは宰相様にご迷惑が」
「構わぬ構わぬ」
「宰相様、なりませぬ!」
あろうことか宰相様自らが宿の周旋を買って出る。ご家老が慌てるのも当然だ。
「畏れながら、拙者どもは密入国の身。今こうして首が残っているのはひとえに宰相様のご寛恕を蒙ったおかげと感謝いたす。されどこれ以上の庇護はご公儀の評定にも影響を及ぼすと存ずる。正式に沙汰が出るまではお互い知らぬ仲を決め込むべきと愚考いたすが、宰相様のお考えや如何に?」
「……その方はまことに唐人であるのか?」
大成の流れるような申し出に、宰相様もあっけに取られる。
私は大成の父親が日本のサムライだと聞いているからそれほど感銘は受けなかったが、いくら祖父の鄭成功が日本人の母親を持つとはいえ、明から来たという使者に武家顔負けの弁舌を振るわれたのでは驚くのも無理はない。
「拙者は間違いなく明の人間にござる。いずれ通詞を呼ばれるとよい。その折は我ら三人唐の言葉で話し申そう」
「三人? では杉森は?」
宰相様は私をも明の使者とでも思っていたのであろうか。思わず平伏してしまう。声が出なかった。
「この者は日本人でござる。講釈の腕を見込んで金で雇っただけのこと。我らのことも今さっき知ったばかりでござる。おかげでこうして宰相様にお目通りが叶いました。この者には感謝しているでござる」
大成はうまい具合に私が無関係だと証言してくれる。心からホッとした。調子に乗って私まで唐人だとでも言われたらどうしようと密かに心配していたものだ。
「杉森。まことか?」
「はっ! そ、それがしは間違いなく本朝の者。京より西は赴いたことがございません」
「左様か」
「はっ!」
「では宰相様。我らは退出して構わぬでござるか?」
「う、うむ……出兵のことは別として、その方らの話はもっと聞きたかったのじゃが」
「我ら講釈師の器にあらず。心躍る話などでき申さぬ。だがご案じられるな。そのための杉森殿でござる」
「おう。そうであったな。杉森、これからも講釈とやら、聞かせよ」
「ははーっ!」
「ところで、その方ら、どこに住まう? 用のある折は何処に迎えを差し向ければよいか?」
「その件も杉森殿に」
「余には言えんと?」
「申し訳ござらん。甲府様にはご無礼な言い様になるが、清国から刺客が来ている気配がござる。この身は潜めねばなりませぬ」
「なんと……」
「さ、宰相様。刺客などと、この者たちに関わってはなりませぬ」
刺客などと物騒な話を聞いてご家老が慌てる。
私も初耳であった。
「ご府内で騒ぎはならぬ」
「ごもっとも。我らもそれを心配いたしておるところ。幕府の評議に悪い影響が出てはすべてが水疱に帰すというもの。なればこそ、隠密に動きたく存ずる」
「うむ。しからば何も聞くまい」
「さ、宰相様……」
「主膳。この者たちを送り返せ。万事穏便にな」
「ははーっ」
「ご配慮、かたじけない」
大成と鄭成功はきちっとサムライ式に頭を下げる。唐式がどういうものか私にはわからないが、お春、いや姫様も床几から立ち上がり、一礼した。
「で、ではこちらへ……」
主の命には逆らえないご家老は、渋い顔で私たちを案内する。
謁見の間の戸が開き、私たちはそこを後にした。
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