第33話 使者
武士の一団に囲まれてしまった。
「お控えあれ!」
この状況にまったく動じない大成は、懐からあるものを取り出した。櫛のようである。話に聞いた尾張様ご拝領の品であろう。
効き目はあった様で、武士団はあっという間に跪く。ご家老も屋敷内から飛び出し、地に這いつくばった。
私はというと、大成の後ろに従ったまま呆然としている。
「察するところ、貴殿がご家老か?」
「はっ、如何にも」
「ご家老、そのように畏まることはござらん。我らは徳川とは関わり無き者。これは紹介状の代わりでござる」
「なんと……」
顔を上げた家老に大成は編笠を取り、正直に告げる。
「では、改めて甲府宰相様にお取次ぎ願おう」
「し、しばし待たれよ……」
ご家老は立ち上がると、急ぎ屋敷内に戻る。武士団はそのままにされた。
「た、大成……な、何のつもりだ?」
「義兄上は黙って見ていてくれ。すぐにわかる」
「そ、そうか……」
そうは言ったものの、この状況、心臓に悪い。
程なく、用人らしき武士が足早にやってくる。
「ご、ご一同、こ、これへ」
何と呼びかけたらいいかわからないようで、用人は口ごもりながら大成たちを中に招き入れる。
ここで初めて駕籠の戸が開く。
危なく、あっと叫んでしまうところだった。
中から現れたのは、やはりお春であった。髪はいつもの振り分けであったが、着物が違う。綾衣といえば良いのか、それとも錦というのか、日本ではまず見かけない、唐模様の赤い着物。羽織風の上着に、緋袴のような出で立ちである。
そして、中から現れたのはお春一人ではなかった。だいぶ白いものが混じっているが大成と同じく総髪の男。身の丈は私より幾分高く、お春と同じような、黒基調の唐服を纏った、年のころ六十にもなろうかという老人であった。唐風の冠も着けている。
何よりも目を引いたのは髭であった。
戦国武将なら、、髭がないと締りがないという風習があり、彼の太閤秀吉は付け髭を付けたという話は聞いたことがあるが、当節、武家の者は月代とともに髭を剃るのが当然とされている。それが浪人であってもだ。
この広いお江戸で髭を蓄えているものなど、すでに隠居した老人か、よほど老成を好む医者や学者を除き、見たことがない。町人、非人に至るまで、せいぜい手入れの悪い無精髭が関の山である。
それをこの御仁は鼻の下から顎にかけて見事な長い髭を蓄えていた。
「杉森殿、参ろう」
私が唖然としていると、更に私を驚かせることを大成が言った。
ハッと我に返る。
「い、いや、私は……」
もはや浪人ですらない、乞胸に成り下がった私が、大名屋敷の敷地に足を踏み入れただけでなく、屋敷内まで上がりこむなど許されることではない。
「かまわん。信盛にはすべて話すと大成が言った。わらわもすべてを見せよう」
お春は、なりは変ったが、元のままのようだった。
ふと心が落ち着く。
「杉森殿。最後まで見届けてくれまいか?」
そう言ったのは髭の老人だった。おそらくは明国の使者。ならば行きがかり上仕方がないと腹を据える。
「で、ではご同行しましょう……」
そう答えた私の声はおそらく震えていただろう。
そんな私を、老人は目を細めて見ていた。
「ご、ご案内致す……」
二人の唐服姿を見て驚いたのは私だけではなかったらしい。用人は一層丁寧な口の聞き方になり、腰を低くして邸内に私たちを通した。大成が駕籠の中から何かを取り出し抱えていたが、それも見咎めずに。
腰のものを預けた後、長い廊下を歩かされ、辿り着いたのは、おそらく世にいう謁見の間である。二十畳ほどの広さの部屋が二つ。奥には一段高いところに宰相様が座っており、その下にご家老が控えている。
「畏れ多くも、宰相様がお目通りをご裁可なさった。入るがよい」
「はっ!」
我々は二間続きの手前の入り口から入らされる。ここまで案内してきた用人は我々が部屋に入ると外から戸を閉めてしまった。
もう引き返せないところまで来てしまったと私が嘆く中、大成たちは堂々と進んでいく。
そこで止まれと、奥の間に入る直前、ご家老から声がかかった。
大成は不満そうな顔をしながらも従う。その場に座った。その堂々とした姿といったらない。
老人も大成のそばに座る。きちんとした正座であった。
私がおやと思う間もなく、大成が手にしてきた物は床几だったようで、めかし込んだお春がちょんと座る。
私も青々とした畳は鬼門だったが、立ったままのわけにもいかず、おずおずと跪いた。
甲府宰相様は、大成からの書状で明国からの援軍要請の件は知っているはずなのだが、用人やご家老がどんな報告をしたかわからないが、この奇異な取り合わせの集団に面食らったらしい。目を見開いている。
「そ、その方らは一体……」
家老に任せるでもなく、自らご下問なさったのがその証拠であろう。
私が恐れ入って平伏すると、大成は悪びれもせず名乗りだす。
「拙者、大明帝国の生まれにて、姓を鄭、名を大成と申す。大明帝国が忠臣、国姓爺、鉄人と呼ばれる鄭成功の外孫にござる」
「おお、あの鄭成功の……」
「さ、宰相様……」
なるほど。大成が今回使った書状の名前は鄭成功の別名だったか、と私は納得する。
数日前、私の講釈を通して聞いたばかりの、英雄の血筋がこの場に現れたことで、宰相様もご家老も狼狽していた。
「で、では、そこな唐人は明国の使者であるか?」
「如何にも」
そう答えたのは老人のほうである。先ほども思ったが、我が国の言葉も流暢である。武家言葉が板についていた。
「宰相様。お人払いを」
「うむ。そういうことであれば話は別じゃ」
大成の申し出に宰相様は鷹揚に答え、部屋に侍っていた侍従や小姓が下がらされる。
これでこの場には宰相様とご家老、それにわれわれの六人だけとなる。人払いも終わったところで、使者という老人が名乗った。驚くべき名前を。
「それがし、名を鄭成功と申す」
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