第77話 何者
「それでは……」
「えぇ、気をつけて帰るのよ」
扉が閉まりきるその時まで紅の美女は青髪の少年を見つめる。
カチャッ――――――
扉が静かに音を立て静寂が部屋の中を包む。
「……ふぅ」
紅の美女――エルーシア・カロリン・フォン・フィリグランは数瞬置いてようやく気を抜いた。
椅子に座り冷えてしまったカフェーをすする。
「冷たいわね―――」
増した酸味が程よい刺激となり再び彼女の気持ちを引き締め直す。
「メイ」
エルーシアは従業員を呼びつけた。
「いかがなさいましたか、オーナー」
メイと呼ばれた従業員、に扮した侍女が明るい声で返事して近寄り、きれいなお辞儀をする。
「―――何か書くものと紙を頂戴。今ここにある中で最も質の高いものを」
「畏まりました。……ところで何を書くおつもりなのです?」
「謝罪文を書くのよ」
メイの行動は侍女にあるまじきものであるが、エルーシアは咎めない。むしろ明るくフレンドリーなメイとの会話を楽しんでいる節まである。
カリカリカリ…カリカリカリ……
「―――こんなところかしら―――黒薔薇」
ペンを走らせること数分。
ヴァンティエール辺境伯に向けての謝罪文を書き終えたエルーシアが『黒薔薇』と一言呟いた。
――直後、音もなく突然に全身黒ずくめの人間がエルーシアとメイの間に現れる。
「ヴァンティエール辺境伯家王都別邸に届けて頂戴」
「……(こくり)」
「できるだけ早く、丁寧にね」
「……(こくり)」
「行きなさい」
そして先ほどエルーシアが書いた謝罪文とともに忽然と姿を消した。
「……ふぅ」
「あら、どうかしたの?メイ」
再び静寂が戻った空間、『トルテ・フィリグラン』の一室。
エルーシアが微笑みながらほっと一安心といった顔つきのメイに問いかける。
「やっぱり『黒薔薇』のお姉さま方は雰囲気があるなぁと思いまして…」
「怖かったの?」
「……はい」
「正直でよろしい」
『黒薔薇』、正式名称―フィリグラン伯爵家特別諜報部隊。
フィリグラン家の強みである『影響力』、『軍事力』、『諜報力』の三本柱の一つを形作っているのが『黒薔薇』である。
メイはこの『黒薔薇』が昔から少々、いやだいぶ苦手だった。
このことはメイだけに当てはまるものではなく、フィリグラン家に仕える者の大部分に当てはまる。
常時黒づくめの『黒薔薇』は滅多に人前に姿を現さず、現れたと思えば無言でただただ主人であるエルーシアの命に従うだけ。
人間とは理解が及ばないものに対して恐怖を抱く生物である。
エルーシアが意図的に流している情報がなければフィリグラン伯爵家に仕える誰もが『黒薔薇』を恐れていただろう。
逆に言えばエルーシアが流す最低限の『黒薔薇』の情報があるからこそ苦手で済んでいると言える。
ただしボディラインが強調されるような黒服を着ている『黒薔薇』に対して密かに好意を寄せているフィリグラン家に仕える一部の男性陣は除くものとする。
「ところでオーナー。ショコラーデに関することで何かためになることを聞き出せましたか?」
生暖かい視線を主から注がれたメイは気まずくなり、話題を逸らした。
「あからさまに話題変えたわね……」
「うぅ……」
「まぁいいわ。そのことについてなら安心しなさい。停滞していたショコラーデの開発は間違いなく進むわ」
「あの子のダメ出しってそこまでのものだったんですか?」
「えぇ、そうね。さすがは『タルトタタン』の発明者。お菓子に対する目の付け所が全然違ったわ」
「へぇ、ヴァンティエール辺境伯家の方々は天より特別な才を賜っているのですねぇ」
さすがは王国最強ヴァンティエール。
生物としての次元が違うとメイは思う。
「―――あの子は違うわ」
しかし、そんなメイの考えはエルーシアによって否定された。
「ということはアルテュール様は平凡な方なのですか?」
ならば凡庸な人物なのか。
「それも違うわ。一度目はともかく二度目の対談であの子が提示してきた内容を思えばわかるでしょう?」
「……はい」
その考えも否定される。
しかし、メイもその通りだと思った。
一度目はショコラーデ開発の停滞を打開するため力が入っていたエルーシアにボコスカにやられたアルテュールであったが、二度目は違った。
あれは凡庸なる者が考え付くような提案ではない。
5歳児ながら伯爵を唸らせるような提案をする。まさしく天才の所業。
しかし、当の伯爵本人は違うと言う。
――じゃああの子供は何者なんだ。
メイの頭に言葉がよぎる。
「では―――」
「私にもわからないの……」
―――わからない―――
二人の考えは曖昧かつ不明瞭に一致した。
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