第96話 シアンドギャルド要塞にて
アルトアイゼン王国北西部に位置するヴァンティエール辺境伯領は王国内で二つしかいない、
ヴァンティエール辺境伯領と同じく
そのため目と鼻の先に敵兵が居座っている、もとい戦線が存在している場所はここヴァンティエール辺境伯領最西端、肥沃の大地アティラン高原の入り口に築かれた難攻不落の城塞——シアン・ド・ギャルド要塞だけとなっていた。
――――そんな要塞の一室。50mプールががすっぽりと収まってしまうほどの大広間にヴァンティエール辺境伯家を筆頭に組織された北方連盟に組みする青い血を持つ者たちが集まり、集会を開いていた。
集会の目的は勿論すぐそこにまで迫っているであろう戦――アマネセル国が召喚した
が、しかし。話し合うまでもなく集会に出席している者たちのほとんどは自身の中で既に結論を出していた。
「―――我らが動くときは彼奴等が動いた時のみ。彼奴等が動きを見せない今、我らが打って出る必要性は何処にもない」
腹に響くような威厳に満ち溢れた重低音。
ヴァンティエール辺境伯家先代当主にして現シアンドギャルド要塞最高司令官、自称オレリアとアルテュール、リュカの一番のおじいちゃん、『修羅』マクシム・エドワード・ヴァンティエール=スレクトゥがこの場にいる者たちの心の声を代弁する。
彼の隣には息子であり、現ヴァンティエール辺境伯家当主であるベルトランが腰を下ろしているが、この集会に限りマクシムが進行を行っていたのでベルトランはただ頷くだけ。他の家の者たちもベルトランに倣い頷く。
頷かないのはマクシムの発言に疑問を持つ血気盛んな若者ただ一人―――。
「恐れ入りますが閣下のご意見に私は疑問があります」
若く張りのある声が静まり返った部屋に響き、少ししてからひそひそとよく発言できたな…といった内容の声がただいま発言したばかりの若者を包む。
しかし、若者――ツォイクニス=ツォイラント子爵家現当主、オスヴィン・リッター・フォン・ツォイクニス=ツォイラントは周りには目もくれずマクシムの瞳、ただ一点を見つめていた。
これからの発言内容がどうであれ、勇気ある若者の声に耳を傾けないマクシムではない。「言ってみろ」と謂わんばかりに顎をくいッと上げてみせ、その先を促すとオスヴィンは礼してから勇ましく進言した。
「座して待つのではなく、こちらから打って出て勇者という名の数多の屍の結晶を葬り去る。これこそが最善の策であると私は愚考した次第にございます」
「何故そのように考えた」
「恐れながら勇者という存在はあまりにも危険でございます。王家の書庫からお借りすることが出来た古の書物によると適正値の平均は8から9の間、一つ一つを見れば10に達するものもあるとかないとか。しかもそれが30ほどもいると言うではないですか。故に――」
「――故に危険だ。殺戮専用人間に育ち切る前に殺すべきだ…。そのついでにアマネセルを滅ぼすことが出来ればなお良し。領土拡大にも、大陸に覇を唱える帝国への牽制にもなる―――長きに渡って行われてきた戦いも終わる…と」
故に…の先。オスヴィンの考えが手に取るように分かっていてたマクシムはこちら側から攻め込んだ場合に起こり得る表面的な未来の話をする。
締めのところを全部言われてしまったオスヴィンは少し残念そうにしたが、すぐにそれをわかっているのなら何故、何故こちら側から動こうとせずアマネセルに…勇者たちに時間を与えてしまっているのかと無言で訴えかけた。
勇者召喚という禁忌に手を染めたアマネセルへ大々的に攻撃を仕掛けるための大義名分は数百年に渡る小規模ながらも継続的な戦闘が用意してくれている。この際アマネセル国の首都まで攻め入り、王城の天辺にアルトアイゼン王国の黒狼旗を突き立てても帝国はもちろんのこと周辺国も直接的な文句は言ってこないだろう。新たな領土を国王陛下にプレゼントすることも出来る。その何がいけない。
もし自分の発言に対する答えが――長年国境の守護を任されてきたことによって王国内での発言権を高めてきた辺境伯家の地位が、国境を遠ざけてしまうことによって揺らいでしまう可能性がある――等、保守的なものであるのなら、その考えを否定しよう。
(お爺様。私はここで首を刎ねられてでも北方連盟に腐敗の道を歩ませぬように致します!)
この場にはいない敬愛する祖父、『無形』のオルデンに己の熱い想いを飛ばしながらオスヴィンは『修羅』マクシムの答えを待つ。
一方、そんな熱い若獅子の熱い瞳を一身に受けているアルのおじいちゃんはというと――
(暑っ苦しいのぉ……わしがそのことを考えずにいないわけがないじゃろが…。どうする?ディー)
――と、近くで自身と同じように暑っ苦しいなぁと思っていたディーウィットに無言のメッセージを送っていた。それからディーウィットに見事無視されたマクシムは面倒だと思いつつも後進の育成のために、まずはオスヴィンが思い描いている未来にしっかりと理由を付けてバッテン印を付けていく。
「なぁ…若いの。貴様はアマネセルの気候を知っとるか?」
「もちろんでございます。アマネセルはその昔、我こそが太陽の王なりと声高らかに宣言した身の程知らずが建国した日照り多き国です。例外なのは肥沃の大地、アティラン平原から首都スーペルノーバまでの比較的雨が降りやすいごく一部地域のみ。それも行軍できないほどのものではなく、寧ろ行軍するには最適の……」
「分かった…。貴様が知識を全く生かせていないことが分かった。もうよい、口を開くな」
「……っ」
この戦争馬鹿に己で考えさせ、理解させる形をとった自分が馬鹿だった。
命令に従い、何とか口を開かずにいられたオスヴィンに対し、リアやアルの方がよっぽど聡いぞと思いながらマクシムは一方的に答え合わせを始める。
「阿呆が、今わしが貴様に聞いたのはアマネセル国を全体的に見た時の気候のことじゃ。行軍に適している云々など聞いておらんわ。
いいか、小童。アマネセル国はおぬしが言った通り、一部地域を除き極端に雨が少ない土地を持つ国じゃ。降水量が少ないが故に、碌な作物が育てられぬ土地は国土の約八割を占める。肥沃の大地であるアティラン高原を諦めることなくネチネチとうちに絡み続けて来たはそれが原因じゃ。帝国と自由都市群に借金漬けにされてきた歴史をひっくり返すきっかけが欲しいのじゃろうな。まぁ財政が破綻している今となっては大河に焼石じゃがの……まぁいい。ここまでは理解したか?小童」
「…私は小童などでは……」
「誰が発言していいと言った。貴様は戦のこと以外が詰まっておらぬその頭を必死に回して、上下に動かすだけでよいわ」
「………」
(……聞いてきたのはあなた様ではありませんか…)
聞かれたから(別のことに対してだけど)答えた。にもかかわらず叱られたオスヴィンは理不尽を感じた。
しかし、アルトアイゼン王国の国土、その4割ほどに匹敵する大きさを持った万年不作の土地を国王にプレゼントしたらどうなるのか。
そこまでの考えに至ったオスヴィンは『修羅』『迅雷』『極魔』『槍聖』『万魔』『無形』が揃ったアルトアイゼンオールスターとあくまでも昔話の域を出ない勇者という存在、どちらが強いのか。アマネセル国を支配した後に起こり得る王国側の利益と不利益はどちらの方が大きいのか―――それらを天秤に掛け、その後のお説教はずっとマクシムに聞かれるたびに頭を上下に振り、己の思慮の浅さを恥じるのであった。
◇◇◇
マクシムによる長い長い公開説教がようやく終わった大部屋に三つの人影があった。
「年寄りの説教は長くって長くって。一人の馬鹿のせいで関係ないのに聞かされ続けるこっちの身にもなってもらいたいよ」
一つ目の人影は国王の命によりシアンドギャルド要塞まで足を運んだ『極魔』ウィルフレッド。椅子の背もたれに全体重を預けて伸びている。
「まぁそんなことを言うな極魔殿。お主にも学びとなるところがあるやもしれない。人生とは学びの連続なのだよ」
「頼むからあんたまで説教とか止めてくれ、王国最強の盾を最強の矛と勘違いする馬鹿と同じにしないで欲しいね」
そして二つ目の人影はウィルフレッドと同じく国王の命によりここにいる『拳神』ジークフリート。集会後の緩み切った空気感の中で彼は少し離れた席で伸びている
しかし、ベルトランと同じように二つ名で呼ばれたことが小説教を軽く聞き流したウィルフレッドをイラつかせ、部屋の空気感は一気にピリついたものになる。
「―――あとその呼び方を止めろ。不快だ」
「青かった頃の戒めとして呼んであげているのだが、気に入らないかね」
「極魔の名は師匠にこそ相応しい。僕は師匠を愚弄するなと言っているんだ。…大体あんたにそんな親切心ないだろ」
「ほう、そうか。それは失礼したな、極魔殿」
「………拗らせ爺め…」
ただ、二回り以上も歳が離れた若造の作り出した空気感など知ったことか。相も変わらず自分を二つ名で呼んでくるジークフリートにウィルフレッドは呆れるしかなかった。
そして呆れられたジークフリートはわざとなのか、そうでないのかが判断に困るくらい自然な口調で話題を変える。
「話は変わるが…どうだったかね。勇者の力は」
勇者の力、実力、或いは伸びしろ。自国の心臓部に手を伸ばすかもしれない未知の存在を未知の存在として放置したままに今後の予定を立てるほどマクシムは愚かではない。
覗き見するにはもってこいの固有魔法を扱うウィルフレッドはマクシムに頼まれて勇者の実力を間近で見てきたのだ。そしてジークフリートは秘密保持のためマクシムにしかしていないであろうその秘密情報の開示を求めた。
「…何のこと?」
当然、秘密情報なのでポロリと漏らすことなく。ウィルフレッドは惚ける。
しかし、ジークフリートはそれだけで誤魔化せるような相手ではなかった。
「今も僅かながらだが感じているのだろう?勇者たちの
「昔話は多分ホント。でも昔話は所詮、昔話だよ」
「そうか」
勇者の実力云々が秘密であるのは、聞いた者の心に油断を招かないようにするため。そう考えるとジークフリートが秘密を知ったとしても秘密が方々に知れ渡ることはないだろう。ジークフリート自身が油断するはずもない。
僕の上司は国王陛下であって辺境伯家じゃないし、まぁいっかと思ったウィルフレッドは勇者の実力が想像の下をいっていたことを暗に伝えた。
(あぁ疲れた)
もう話はこれまでだ。そろそろ外に出よう。
ウィルフレッドはジークフリートから逃げるために部屋をあとにしようと席を立ち、足早に扉へと向かう。
そしてドアノブに手をかけた時、また声をかけられた。
「また話は替わるのだが…」
「…何、話し相手が欲しいの?おじいちゃん」
(もう放っておいてくれないかな…)
「槍聖殿の倅に稽古を付けるという陛下からの願いはいつ叶えようか。極魔殿が先に行くか?」
「……任せるよ」
「そうか」
そんな珍しく振り回されている
(…アルのところには別々で送り込むとしよう)
―――と。
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