第78話 一日が終わる

「疲れた~しんどかった~」


 フィリグラン伯エルさんとの話し合いが終わり、手土産を渡されて『トルテ・フィリグラン』を出たときにはすでに、アグニータと約束した迎えの時間になっていた。

 今は無事迎えの馬車に乗り込みハッツェンに膝枕してもらっているところ。


「お疲れ様です、アル様」

「頑張りましたね、若様」


 なでなで、なでなで――


 珍しいことにマリエルまで俺を元気づけようとしてくれている。

 それほどまでにフルボッコだったのだ、あの対談は。


 頭をゴロゴロさせてハッツェンを堪能し、時々マリエルの方に――行こうとしてハッツェンに羽交い絞めにされるということを繰り返して心のケアをしていると屋敷に着いた。


「はぁ……」


 いくら疲れていようとも貴人として相応しい立ち振る舞いをする。それが貴族だ。

 準プライベート空間の馬車内でのぐーたらはぎりぎり許されても人目に付く場所では許されない。


 立派な貴族になるため疲労困憊の頭を持ち上げ、正しく座る。そしてハッツェンたちに身なりを整えてもらう。


 ガチャッ


 身なりを整え終え、自分の部屋に着くまで頑張るぞと己を鼓舞し馬車から降りる。


(帰ってきたぁ)


 たったの数時間前に出て行ったばかりだというのにどうしてこんなにも懐かしく思えてしまうのだろうか。

 王都の我が家を見て心の底から安心する。


「おかえりなさいませ、若様」

「ただいま、バーナード」

「若様、『一休みしてから書斎に来なさい』と御屋形様がお呼びです」

「わかった」


 おそらくだが父上は今日の出来事を聞きたがっているのだと思う。


 第三騎士団の見学に王族との食事会、しまいには伯爵家当主との密会。


 父として、はたまた一人の貴族として気にならないはずがない。


「よいしょ~っっと~」


 早歩きで自室に戻りベットにダイブ。

 そのまま10分くらい気絶して、ハッツェンに「アル様、そろそろです」と起こされベッドダイブによってしわくちゃになってしまった服を脱がされすっぽんぽんに。

 部屋のクローゼットからマリエルが取り出した服を着せてもらって、ついでに髪まで整えてもらう。お手数をおかけします。


「アル様、動かないでくださいね~」

「は~い」


 流石に一人で着替える練習をした方がいいのではないか、と最近思ったりする。

 前世はもちろん召使なんていない一般家庭だったので一人で着替えをしていた。

 その経験のおかげで今もまだ一人で着替えれると思うのだが、実をいうと結構怪しい。

 貴族の服装ってのはややこしいからな。

 礼服みたいにそもそも人に着せてもらうような服は仕方ないけど、普段着みたいに一人でも着れる服はねぇ……堂々と着れますって言いたいよねぇ。

 着れないなんて貴族のボンボンみたいで恥ずかしいじゃないか。ボンボンだけどさ。


「ハッツェン」

「いかがしましたか?」

「俺今度一人で服を着る練習したいな~」


 父上の書斎に向かう道中。

 なんとなくハッツェンに聞いてみる。


「……私共に何か不手際がありましたでしょうか」

「……いやないよ。これからもよろしくね……」

「はい、もちろんです」


 めっちゃへこまれたのですぐに提案を引き下げた。


(こっそり一人で練習しよう)


 コンコンッ


「父上、アルテュールです」

「入れ」

「失礼します」


 いつもの通り書斎に着いたらまずはノック、次に俺だよ、と言って許可を得てから入室する。


 紙とインクの匂いが混じった部屋。


 快適な温度に保たれた室内。


 机の前に座り手元の資料に向かっている父上のもとへ近づいていく。


「夕飯はとったか?」


 俺が立ち止まった気配を感じた父上が資料に落としていた目線を上げ、聞いてきた。


「夕飯という夕飯はとってませんけどお菓子ならいっぱい食べました」

「そうか……しっかりと歯を磨いておきなさい」

「はい」


 俺の返事に頷いた父上が本題を切り出す。


「で、どうだった。今日一日何が起きたか私に教えてくれないか」

「はい、わかりました」


 拒否する理由なんてないので今日一日がどれだけ充実していて大変だったのかを身振り手振りを交えて話す。

 第三騎士団に向かう馬車の中でリア姉の機嫌を損なってしまったこと、騎士団の中で実際に目で見て耳で聞かなければ知ることのできない新たな知識を学べたこと、騎竜に嫌われたこと、おじい様たちと食事を取ったこと、その食事はとても美味しかったけど最後らへん味がしないくらい満腹になってしまったこと。


 女心の難しさ、騎竜に触れられた嬉しさ、嫌われた悲しさなど。

 そのすべてを伝えようと舌が勝手に動く。もちろん自分の意志で動かしている。


 またあまり話したくないのだがエルさんとの間に起きた出来事も話さないといけなかった。

 ボッコボコにされた後の話し合いでエルさんから引き出した利益。

 俺自身ではかなり得をしたと思っているのだが父上からしたらそうでないかもしれない。


「―――それと父上、フィリグラン伯爵と話し合いをしました」


 身振り手振りをやめることで爆発していた感情を抑え込み、業務連絡を伝えるかのような声色でい切り出す。


 すると、ここまで俺の話をずっと無言のまま頷いて聞いていた父上が口を開いた。


「……らしいな」

「知っていたのですか…」

「まぁな。随分とやられたようだな」

「……」


 表情を変えない落ち着き払った父上のその言葉に俺は驚く。


 どうやら父上知っていたらしい。


(早い……さすがはヴァンティエールだ)


 すげぇ、俺ん家と感動している息子を見た父上は苦笑いしていた。


「王宮とは違い情報網を巡らせることができるからな……と言いたいところだが実はそのフィリグラン伯爵本人から一報があったのだ」


 父上はそう言い机の引き出しから一枚の紙を取り出してぴらぴらとさせる。

 紙に書いてある字が細かいため何が書いてあるのかわからない。

 ただ、字があり得ないくらいに細かいことは分かった。


 おそらくトルテ・フィリグランの個室で起こったことすべてが書かれているのだろう。

 父上が言っていた通り書き手は当然エルさん、フィリグラン伯爵だ。


「なるほど」


(エルさん必死になって書いたんだろうなぁ……)


 俺が退室した後の部屋で机に向かいカリカリと音を立てたながら謝罪文をしたためるエルさんを想像してざまぁと思っていると父上がまた苦笑いする。


「がっかりしたか?」


(ん?―――あぁ……)


 一瞬父上が何を言っているのかわからなかったが、先ほどの発言を思い出し理解に至る。


 思い出されるのはほんの1週間前の王宮。

 エミリオナンパ事件の直後、国王陛下・王妃殿下との私的謁見を行った部屋。


 あの時、当事者であった俺はもちろんのことおじい様とおばあ様、そしてやたらおばあ様相手に腰の低かった宰相――先代ゼーレ公爵はリミタ=グレンツ辺境伯家嫡男のエミリオと俺の間で起きた揉め事を知っていた。

 知らなかったのはヴァンティエール辺境伯である父上ただ一人。


 父上はその出来事を思い出して聞いてきたのだ。

 情報収集能力がないことにがっかりしたか、と。


 聞かれた俺の答えはというと断じて否。

 エミリオの一件は王宮の中での出来事だから仕方がないし、今回の一件に関してもまた仕方ないとしか言いようがない。


 フィリグラン伯爵の私室で起きた出来事なのだ。

 あちら側の報告がこちら側の諜報機関のものより早くて当然である。


「いえ。逆にがっかりしましたか?」


 父上の問いに否と答え、今度は逆に俺が問う。

 俺とエルさんの間で執り行われた話し合いの内容はどうであったか、と。


 答えは王宮内の時とは違いとても肯定的なものであった。


「いや、一度目はともかく二度目のこの提案はなかなかのものだ。与えた1の利を倍の2で返してもらうのではなく、さらに1の利を与えることによって4の利を返させたか。実に見事だ。私では思いつきもしなかったな」


 俺とエルさんの2度目の話し合いで決めたこと。

 結論から言ってしまえば俺が地球スイーツのレシピを教えて、それと交換でエルさんは俺に、将来フィリグランに人を派遣させることのできる権利を与えた。

 地球スイーツのレシピが1利益。フィリグランに人を派遣させることのできる権利が4利益。


 一度目の話し合いでエルさんに嵌められて吐いたショコラーデの情報が1利益だとすると二度目の話し合いで俺がもらえる利は倍の2くらいが限界であった。

 しかし、それではもったいないと感じた俺はさらに1利益に相当する量の地球スイーツレシピ(少ししか教えていないのでこちらへの損害なし)をエルさんに与えることで与えた利益を2に増やすことに成功。その倍の4利益を手に入れた。


 要は獲得利益の倍化に成功したのだ。

 新たな繋がりを得ることのできた俺は万々歳である。


 そしてその繋がりの重要性を父上も理解してくれたらしい。


「そんなことないと思いますよ」


「言うようになったな」


「もとからでは?」


「意味が違う…まぁいい。良い経験になったか?」


「はい」


「ならばよし。明後日はいよいよ王都を経つ。明日はそのための準備だけで終わるだろう。何事もなければ次にアルが王都を訪れるのは適性の儀を行う2年後になる。何か思い残したことはないか?」


「特にありませんね。……あ、強いて言うのであれば友人が出来なかったことでしょうか」


「……ないようだな」


 他愛ない会話を少ししてから「失礼します」と書斎を後にし、子供部屋で今日一日あったことを孤児院組3人に話してから自分の部屋に戻る。


「よいしょ~っっと~…………」


 ベットにダイブするやいないや俺は眠りについた。

 ハッツェンの太ももの上で眠りに着けなかったことが悔やまれるところである。

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