第83話 フェアカウフ商店

「はっ!……はっ!……はっ!」


 少年が一つ一つの動作を意識して木剣を振るうたび、鋭く早い剣先がひんやりと冷たい空気を切り裂きヒュンっヒュンっと音を立てる。

 

「はっ!……はっ!……はっ!……ふぅ、これで―――終わり!」


 素振りは少年がついひと月前から始めた日課だった。


 己に課したノルマを終え、少年は喉が渇いたと裏庭の木陰に置いておいた水袋を持ち上げ喉を潤す。

 そして一時間後に控える用事のために井戸水を汲み頭から被り、汗を流す。


(どんな人が来るんだろう。楽しみだなぁ)


 水が滴る髪の毛をかき上げ意味もなく朝日が昇り始めた空を見上げる。


 ―――その瞳は翡翠色に輝いていた。




 ◇◇◇




「まさか本当に通るとはね」


 エメットに無茶ぶりを言った日から一日空いた日の早朝。

 まだ日も登りきらぬ朝焼けの空を馬車の中から眺めていたラヨスがつぶやく。


 まさか自分たちの希望が通るとは夢にも思わなかった。

 昨日、エメットから「明日より『フェアカウフ商店』で学んできなさい」と言われた時にはそれはそれは驚き、そして喜んだものだ。


 見知らぬ場所での未知の体験。


 今、ラヨスは実地研修が楽しみで仕方なかった。


 だが実地研修の楽しみよりも眠気が勝る子供たちもいる。

 というかラヨス以外全員がそうだった。


「……美味しそうだわ~」

「ん~、ねむいよぉ」

「あ~」

「ちゃんと…おきなさいよ……」


 よだれを垂らして幸せそうな顔のルウ。

 寝ているのに眠いとつぶやくルイーサ。

 ただただ、あ~と繰り返すデール。

 夢の中でもデールのお姉さんをしているメリア。


 寝ていることは悪いことじゃない。むしろ子供としては当たり前だ。

 何せ今の時刻は午前6時にもなっていないのだから。


 ただ、そろそろ起きなければならない。


 馬車の窓から首を出し、目的地である『フェアカウフ商店』らしき店に近づいていることを知ったラヨスは未だ夢の世界に足を突っ込んでいる4人家族を起こす。


「ルウ、ルイーサ、宿題増やすよ。デール、メリアが馬鹿って言ってるよ。メリア、デールがまた君の悪口言ってるよ」


「「やめて!」」

「なんだと!」

「なによ!」


 4人にとって最悪の目覚めだった。



 ◇◇◇



 馬車から降りてすぐのところに実地研修の場である『フェアカウフ商店』はあった。

 青色の屋根、白い壁、所々にある窓。

 そのすべてが一般的な二階建ての建物。


 そんな建物、『フェアカウフ商店』の前に人影が四つ。

 一人は商店の主であろう程よく整えられた髭がトレードマークの壮年の男性。

 一人は店主の妻であろう翡翠色の眼を持つ優しそうな女性。

 一人は真面目そうな雰囲気を纏った青年。年のころは20くらいだろうか。どことなく店長と似た顔をしている。

 そして最後の一人は年のころが自分と同じくらいの優し気な顔の少年。

 彼は翡翠色の瞳を輝かせ自分たちを見つめていた。


(なんで、あんなにうれしそうなんだろう)


「今日から1か月間、午前中だけではありますがご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」


 身に覚えのない好奇の視線を不思議に思いながらもラヨスは店長に向けてお辞儀をする。


「「「「よろしくおねがいします!」」」」


 ラヨスに続いて4人も挨拶をする。


 孤児院組の挨拶に答えたのはもちろん店主だった。


「ようこそいらっしゃいました。私はフェアカウフ商店2代目店主のホラーツ・フェアカウフと申します。ヴァンティエール家の使いの方から贔屓しないように、と言われていますのでそのつもりでいて下さい」

「「「「「はい!」」」」」


 子供相手とは思えないほど丁寧な物腰。贔屓しないと公言したことからこれがこの人ホラーツの通常運転なのだとラヨスは考えた。


「では早速我が商店の説明を行いますので2階に上がってください」


 ホラーツのその言葉を合図にスレクトゥ孤児院組の1か月にも渡る実地研修が始まった。

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