第82話 いつも通りはここまで


「みんな聞いてほしいことがあるんだ」



 エテェネル語の授業が始まる前の食堂で当たり前のように5人で食事をつついていると一足先に食べ終わったラヨスが突然そんなことを言い出した。


「何よラヨス。そんなにあらたまって」


 幼馴染の唐突な発言、真剣みを帯びた声色を不思議に思ったルウは口に運ぼうとしたスプーンを止め話を聞く姿勢を取った。

 そして他の3人もルウを見習い食事の手を止めラヨスの方を見る。


 4人が話を聞く姿勢になったと判断したラヨスは話始めた。


「うん―――みんな知っての通り、アル様たちがスレクトゥを出てからもうひと月経つ。今日までは普段当たり前のようにいたはずの人がいないという環境に慣れるため、変に気負うことがないようにといつも通りを心掛けてきた」


「そうね、ラヨスが暴れた後にみんなで確認したことね」


「…あの時のことは忘れてくれないか」


「いや」

「やだ」

「俺もヤダ」

「私もよ」


 妙なところで息を合わせてくる4人に顔を引きつらせながらもラヨスは問いかける。


「……それは一旦置いといてくれ。―――今日までグンター達が傍にいないことを除いていつも通り過ごしてきたことへの感想を聞きたい」


 初めに答えたのはルイーサだった。


「えっとね。ルーリーが行っちゃってすごく寂しかったけど、でも慣れてきたよ。でもでもルーリーは王都で頑張ってるから、わたしも……」


 最後の言葉が尻すぼみに小さくなったタイミングでデールがルイーサの言葉に頷きながら俺も、と喋りだす。


「俺もルイーサと同じだ。グンターたちが行っちまってすげぇ寂しかった。けど今はへっちゃらだ。あいつらだって王都で頑張ってるだろうからな。いつまでもくよくよしてちゃダメだって思えた。けど、あいつらは頑張ってるんだよなぁ……俺たちがこうしてる間に」

「そうなのよね。私たちがこうしていつも通り過ごしている間にも王都のみんなは頑張っているのよね……。デールのくせにちゃんと考えてるじゃない」

「うっせ、ぶす」

「なによ、褒めているじゃない」

「最後のが余計なんだっ」


 周りを放って喧嘩を始めようとするデールとメリア。

 しかし、ルウが「あら、仲良しね?」と二人に投げかけると「「誰がこいつと!」」と息をぴったり合わせた後、顔を赤くして静かになった。


 アルテュールがこの場にいればあぁ、そういうのいらんいらん見たくないと話を進めていただろう。グンターならば二人の頭を鷲掴みしてごめんなさいとお互い無理矢理言わせて話を進める場面である。


 方法は違えど二人の喧嘩を止めることに成功したルウは3人の感想を総括する。


「私が思っていることはみんなが思っていることと同じよ。王都組は頑張っているのに私たちはこのままでいいのか。いや、ダメだっていうことよっ」


 ルウはこういうことでしょ?とラヨスに視線で投げかける。

 ラヨスはその視線を満足そうに受け止め、食事が冷めてしまう前にと手短に提案した。


「―――みんな、いつも通りは今この時までにしないか?」



 ◇◇◇



 ラヨスは授業前の出来事を思い出しながら君の言っていることの意味が分からないといった表情のエメットに発言内容について説明する。


「今まで学んできたことというのはそのままの意味で……」

「いえ、発言の内容に関しては理解できていますよ」


 しかし、エメットは心配御無用と掌をラヨスに向け、ラヨスの口をつぐませる。


「要は君たちがヴァンティエール家で学んできたことが実践でどれだけ通用するかを図るための場が必要だ。だからそれにうってつけの現場はどこにあるのか、ということですね?」

「……はい」


 ラヨスは自分の言葉足らずの問いかけによく答えられたなと驚き、その表情を見たエメットは思わず舐めるなよ?という言葉を出しかける。が、飲み込んだ。

 本当に聞きたかったことをまだ聞いていなかったからだ。


「その発言内容を理解したうえで聞きます。なぜそのようなことを考えるに至ったのですか?」


 エメットが理解できなかったのは発言の内容ではない。理解できなかったのはその発言に至るまでの過程だった。


 まず第一に、どうして君たちみたいな子供が現場で活躍できると思っているのだろうか。

 確かにこの5人は優秀と言えよう。

 聞くところによればエテェネル語以外にもアルトアイゼン語の読み書きや体を動かす授業だったり魔法学だったりとおよそ庶民が受けることが出来ないような、言ってしまえば貴族の子女たちが受けるような高度の教育を施されているらしい。

 ただ、それだけで現場で通用するなどという考えは非常に甘いものである。

 図に乗っていると表現してもいいとエメットは考えていた。

 彼らはあくまでも同世代の特権階級と同じ学力。

 それはそれですごいことなのだが、オレリアやアルテュールのような年齢をも超越する規格外の化け物では決してない。

 そのことは賢いラヨスならば自覚しているはずだろうに。


「なるほど……」


 そのラヨスはというとあぁ、なるほどとエメットの考えをまるですべてわかっているような反応をしていた。

 いや、実際に分かっていた。

 自分たちが実践で通用しないことも、自分の発言は身の丈に合ったものではないと。

 しかし、だからと言ってあきらめる理由にはならない。

 成長して帰ってくるであろう己が主と家族のことを考え、いつも通りはここまでにしよう。自分たちも成長するんだと5人で決めたんだ。


「実は―――」


 ラヨスは胸中の想いをそのまま教師であるエメットに伝えた。最後の方はラヨスだけでなく周りの4人も、俺も私もと自分の想いを伝える。


 全員の年齢を足してようやく自分の年を追い越すといった幼い子供たち生徒の熱い視線を受けエメット先生は折れた。


「わかりました。ただ、一つ確認したいことがあるのですが……君たちの上司である若様の許しはもらっているのですか?」


 その言葉にラヨスは表情をわずかに歪ませる。


「……アル様は失敗することが若者の特権だと常々仰られていました。また自分が王都に言っている間は僕に孤児院組の指揮を、とも仰せつかっていますので―――」

「禁止されてはいないまでもまでは得ていない、と…そういうことですね?」


 エメットはやや食い気味にそして許しの部分を強調して確認する。


「……はい」


 ラヨスは泣く泣くそうですと頷くしかなかった。

 ラヨスだけでなく周りの子供たちまでもが皆しゅんとする。


(私が悪者のようではありませんか……)


 落ち込む子供たちを見下ろす大人自分

 何も悪いことはしていないはずなのにどこからともなくやってきた罪悪感がエメットの良心を苛む。


(執事長に伝えるだけ伝えておきますか……)


 伝えるだけならば構わないだろうと自分に言い聞かせ、未だ落ち込む子供たちの方を見る。


「はぁ、わかりました。一応君たちの望みを執事長に伝えてみたいと思います」

「本当ですか!」


 エメットのその言葉で子供たちに元気が戻った。演技を疑ってもいいほどの変わりようだ。

 ぬか喜びをさせる趣味を持ち合わせていなかったエメットは保険をかける。


「しかし、君たちの望みが叶わない可能性の方が叶う可能性よりも限りなく小さいことだけは理解してください」

「はい、それでもいいです。よろしくお願いします」


 ラヨスはそう言ってからお辞儀をする。そんなラヨスを見た子供たちもルウを筆頭に同じように頭を下げた。


 停滞する現状を打破し、成長するために行動を起こしたこと自体に意味がある。

 自分たちの願いが執事長のもとにまで届くのなら儲けもの。願いが叶うなら逆立ちして喜ぼう。


(よし………)


 既に儲けものが確定したことが分かったラヨスはお辞儀をしながら内心でガッツポーズをした。




 ◇◇◇




「―――といったことがありまして……」


 次の授業場所に向かう子供たちを見送った後、エメットは自分の職場に戻る途中、執事長であるロイファーを見つけて先ほど起きた出来事を報告する。


「承知した。奥様には私から伝えておこう。報告ご苦労」

「え?」


 そして二つ返事で子供たちの願いを承諾したロイファーに驚いた。


「何だ?」

「……いえ、予想外だったものでつい」


 驚きの理由を聞いたロイファーはなるほどと頷き、一応説明するかと口を開く。


「アルテュール様から仰せつかっていたのだよ。子供たちの挑戦を助けてやってほしい、とな」

「左様ですか……」


(若様は子供たちの成長を見越しておられたのだろうか……)


「用が済んだのなら仕事に戻れ」

「あ、はい。それでは失礼します」


 次代のヴァンティエールは先代、今代のヴァンティエールとはまた異なった部類の傑物なのか。ヴァンティエール恐ろしや、と思いながらぽかんとするエメットをロイファーが現実に引き戻し、引き戻されたエメットは職場に向かう。


「ふぅ、何だか今日はいつにも増して疲れましたねぇ」

「何かあったんですか?先輩」


 自分の仕事机にようやく着き、腰を下ろした途端に口から出た言葉を隣にいた後輩、ビアンカが反応した。


「あぁ、ビアンカ君いたのか」

「なんですかそれ、女性に対して失礼じゃありません?」


 いつもならば、二言三言返すのだが今はその少しの手間でさえ煩わしかった。


「今日は疲れたんだ、放っておいておくれ」

「むぅ、先輩つまらないです」


 期待していた反応がエメットから出ないことに不満を覚えながらもビアンカは仕事に戻ろうとする。


「あ、ビアンカ君。君って子供たちに算術を教えていなかったかい?」


 そんなビアンカがアルテュールの代わりに孤児院組の算術の教師を務めていることをふと思い出したエメットは気になってしまった。

 ラヨス達をそこそこ優秀だと評価している自分はエテェネル語を話している彼らしか知らない。

 一面を見ただけで彼らの能力を判断することは果たして教師として正しいのだろうか。

 他の教師の目には子供たちがどのように映っているのだろうか、と。


(これでは本職が文官なのか教師なのかわからないですね……)


 苦笑いしながらエメットはビアンカの方を見る。

 話しかけられたビアンカはというとうれしいようでつまらない、そんな複雑な表情をしていた。


「えぇ、まぁそうですけど。先輩疲れていたんじゃないんですか?」


「はは、すまないね。でも彼らがどのような子供たちなのか気になってしまってね」


「……はぁ、仕方のない人ですね―――いいですか、彼らは紛れもなく天才です。一番下のルイーサちゃんですら途轍もない速度で計算してきます。ラヨス君に至っては私よりも算術が出来ます。信じられます?私これでも学院で上位の成績取ってたんですよ?」


「いや、信じ難い話だ。それは本当かい?」


 論より証拠だとビアンカはアルテュールに渡された算術の教科書を自分の机から持ってきてエメットに見せる。


「なんだこれは……」


 エメットは自分の眼が故障しているのではないかと何度も眼をこする。数字は分かる。しかし数字と数字の間に書かれた記号のようなものの意味が分からなかった。

 しまいには、ラヨスの教材には意味の分からない図形まで書いてあった。


(これは放物線?あ、さかさまの放物線もありますね……)


「ビアンカ君は理解できるのですか?」

「できませんよ。だから授業はほとんど自習です。というかラヨス君に教えてもらっています。教えることも勉強ですのでって言われました……」

「……」


(立場が逆転していますね……)


 エメットは聞かなきゃよかった、自分はエテェネル語の教師でよかったと半べそをかく後輩を見ながら心の底から思った。

 そして、彼らの願いを無下にしなくてよかったとも思った。



 ◇◇◇



「奥様、ロイファーでございます」

「入りなさい」


 中から聞こえてくる透き通るような美しい声の返事を受けてロイファーは当主の書斎に立ち入り、不在のベルトランに代わり当主代理を務める女傑アデリナに要件を告げる。


「若様の部下5名が自分の力を試してみたい、と」


 あまりにも抽象的で具体性のない言葉。

 しかし、それだけでアデリナはロイファーが言わんとしていることを理解し答える。


「そう、あの子たちの能力を鑑みれば商店が良さそうね。カトレア、公認商業区にあるお店の一覧を見せて頂戴」

「畏まりました」


 無駄のない言葉、動作。流れるような、無駄のないやり取り。

 カトレアから書類を受け取ったアデリナはぱらぱらと目を通し、「『フェアカウフ商店』――ここがいいかしら」と一言呟く。


「畏まりました。それでは失礼致します」


 その呟きを聞いたロイファーは次に何をすべきかを考え部屋を辞した。




 ―――「明日より『フェアカウフ商店』で学んできなさい」


 その言葉がラヨスたちの耳に届いたのは次の日の夕方であった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 作者自身が忘れていたので……。領都スレクトゥを簡易的に表した図です。



        屋 敷

 ―――――――― ―――――――――内門

        上級区


      中級区・公認商業区

 ―――――――― ―――――――――中門

        自由区

 ―――――――― ―――――――――外門


         外



 ――……壁

 ― ―……門



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