第43話 藪蛇
おじい様とおばあ様の懐の深さに感謝していると不意にコンコン、とノック音が聞こえてきた。
「陛下、お迎えに上がりました。私です。」
扉の外から少ししわがれたしかし、凛とした声が聞こえてくる。意外と楽しかったお喋りはここまでのようだ。
「はぁ、入れ・・・。」
どうやらおじい様はこれだけで誰が来たのか分かったらしく、うんざりしてるように見える。
「失礼致します。―――陛下、御前会議再開のお時間となりました。来てくださいますか?」
開いた扉から入ってきた銀髪オールバックの老紳士が笑みを浮かべながらおじい様にそう告げる。
「何故お前が来る。」
「お孫さんとの時間に伝達係が割って入り「陛下お時間です。」と言えば来てくださいましたか?」
おじい様の随分な物言いに対して老紳士は動揺することなくむしろ楽しそうにしていた。いったい何者なのだろうか。
おじい様は少しの間悩んでいたが突然王の威厳のような圧を出し始める。この圧は自分の中で公私のメリハリをつけるための王様スイッチなのだろう。
おばあ様がおじい様に熱い眼差しを送っていた。
(あなたもギャップに弱いのか……)
これは本格的にギャップについて考察した方がいいかもしれない。
ハッツェンよりもマリエルの方がそういうのは得意そうなので今度聞いてみよう。
「相分かった、行くとしよう。その前に――――ライノア、ここにいるのがアルテュールだ。どうだ可愛いだろう。」
「ええ、とっても。―――初めましてアルテュール君、私はライノア・ヘルツ・ゼーレ=ゼ―シュタットという。こう見えてもアルトアイゼン王国の宰相をやっているのだよ。私にも君くらいの孫がいてねぇ、名は―――」
「ライノアよ、もう少しまともな挨拶はできんのか・・・。」
「あぁ、失礼しました。どうも孫の話をし始めると止まれなくなってしまいますな。」
「仕方のないやつよのぉ」
「あなた様も同じでは?」
「……。」
「ですな」
おじい様のブーメラン発言におばあ様の的確な突っ込み。先ほどまでの熱い眼差しではない、可哀そうな人を見る眼だ。それに対して何も言えなくなるおじい様にとどめを刺す宰相。
(漫才かな?)
この国の首脳陣たちの仲がいいのは喜ばしいことだとは思うのだがそれにしても仲がいい。
「お初にお目にかかります、ヴァンティエール辺境伯ベルトランが子アルテュールと申します。以後お見知りおきを」
一応挨拶だけはしておく。おじい様を助けてあげたい気持ちでいっぱいなのだがおばあ様と宰相には全面的に賛成なので放置。
「丁寧なあいさつをどうも。それにしても君は5歳に見えないな、玉座の間での振る舞いといい、王宮の廊下での出来事といい」
「わしの孫だから当然じゃ。オラシオの倅にもいい薬になったじゃろうて」
「ですな」
おじい様が言うオラシオとはオラシオ・ウィルブア・フォン・リミタ=グレンツことだと思う。現リミタ辺境伯でありエミリオの親父さんだ。
―――ん?ちょっと待ってくれなんでそのことを知ってるんだ。
エミリオとやり合ったのはついさっきの話だぞ。父上も「何だその話は」みたいな感じでおじい様と宰相のやり取りを見ている。
「失礼ですが何故それをご存じで?」
「わしの城の中なのだ、持ち主が知っていて当然のことだろう」
「私も役職柄そのような情報には敏感なのでね」
そういうことらしい。監視の目が王宮内いや王都全体に広がっていることに流石というべきか、それとも恐ろしいと考えるべきかは意見が分かれるだろうが父上の言っていた国家機密が関係しているな多分。
それよりも今はもっと大事なことがある。
「すごいですね……。ではやり取りの内容もご存じだということですか?」
「もちろんじゃ」
「ええ」
この際聞いてもいいんじゃないか?貴族の代表ともいえる宰相とそれを束ねる国王 に「俺の対応はどうでしたか」と。好評であれ酷評であれ今後のためになるだろう。
普通ならばここは父上に聞くべきなのだろうが残念ながら父上は知らないらしい。まあこれはしょうがない。王宮内にしっかりとした間諜を忍び込ませていればそれはそれで事だ。
少し緊張しながらも聞いてみる。
「その、どうでしたか。俺の対応の仕方は…」
少し考えるそぶりを見せたおじい様が口を開く。
「やり取りに関しては悪くなかったと思うがのぉ……」
まさかの好評で胸が高鳴るが言い方に引っ掛かりがあるな。
おじい様は一息入れて控えめな酷評を入れた。
「―――ただその前が良くないかったのではないか?少々はしゃぎ過ぎであったからのぉ。特に黒髪の侍女じゃな」
「そうですなぁ、突っかかったオラシオの倅は女癖が悪いと聞いたことがありますが優秀とも聞きます。その相手に対して陛下という言葉は使ったもののやり込めていた、胸を張っていいと思いますな。それよりも侍女ですな、緑髪の方はまだいいのですが黒髪の方は再教育が必要ですな。あれはいかん」
「そうじゃのぉ、あれはいかんな。己の悪評が主人の悪評へと繋がるということをまるで分っとらん。ベルトランよ、なぜそのような者を付けたのだ」
(やばいな、藪蛇だったか……)
実際に見たような物言いに国家機密への謎が深まる一方だが、今はそんなことどうだっていい。俺の行動の評価を聞いたつもりがいつの間にかハッツェンへのダメ出しに変わってしまっていた。
一国の王と宰相に質問された父上もさすがに黙ってはいられない。
「申し訳ありません陛下。私自身は彼女に何も問題がないと判断していたのですが……。アル、ハッツェンが何かしたのか?」
「ええっと……」
(やばいやばいやばい―――!)
必死にハッツェンを救う方法考えている俺の沈黙を隠蔽と受け取った父上が「・・・わかった、後で直接本人に聞こう。」と言い残念そうな顔をしている。
「待ってください!」
咄嗟に声をあげるがいい感じの言い訳はまだ思いついていない。ハッツェンは俺の専属として常日頃から俺と行動しているため、一介の侍女には知られていないことも知っている。ヴァンティエール家内の情報漏洩を少しでも防ぐためにこのくらいの失態で解雇されることはない・・・と思いたい。
しかし、専属解除と再教育が施される可能性は大いにある。おじい様や宰相が言った通りハッツェンは確かに侍女にあるまじき行為をしていたのかもしれないが彼女は既に俺の心の支えになっているのだ。一時的なものだとしても彼女が俺の手の届かないところに行ってしまうと考えるだけで息苦しくなる。
普段の彼女は完璧と言っていいほどに優秀だ。しかもそれは彼女自身の努力によって成り立っていることを俺は知っている。今回の失態の原因は同年代の仲間が出来たことが嬉しくって少しはしゃいでしまっただけなのだ。
それに王家の情報力をなめていた俺の失態でもある。俺が注意していればよかった。
(考えろ、考えろ俺…ハッツェンがいなくなるんだぞ!)
必死に自分を鼓舞するが考えれば考える程頭の中が真っ白になっていく。
―――その時、覚えのある甘い香りがした。
すごく落ち着く、母上の香り―――?
「―――アルテュール、落ち着きなさい」
どこか母上に似たような声がすぐそこから聞こえる。いや、母上が似ているというのが正しい。
「・・・おばあ様。」
気づけばおばあ様が後ろから俺を抱きしめてくれていた。おばあ様は俺の頭を撫でた後俺に向けた声とは正反対の声で「いい加減にしなさい」と未だに侍女がどうだという話をしていた男性陣目掛けて言う。
それだけで大の大人三人は硬直していた。おじい様や父上はわかるのだが何故に宰相まで?
余計なことを考えることが出来るまでに回復していた俺はまた言い訳を考え始めるのだが、それをおばあ様の発言によって止められる。
「あなたたちはアルテュールが何を求めていたのかもわからないのですか?」
「それはじゃな、何が原因となって今回のいざこざが「違います」……」
3人を代表しておじい様が言い返すも、おばあ様は言葉をかぶせた。もういい、喋るな。そんな感じだ。
「この子は自分の行動に評価をつけてもらいたかっただけです。それは好評でも酷評でもいい、ただ自分の糧とするためだけにこの国の上位者二人であるあなたたちに聞いた・・・。それはとても勇気のいる行動だとわたくしは思います。―――それをあなたたちは踏みにじりましたね?侍女どうこうは今関係がありますか?ヴァンティエール家の体裁は関係ありますか?
―――アルテュールを見なさい。
・・・それに恐らくあなたたちがダメ出しをした黒髪の侍女とはハッツェンという侍女のことでしょう。アルテュールとの話で何度もその名は出てきました。ライノアはともかくベルトランとクローヴィスは知っているはずです、この子がその侍女のことを大切にしているということを。
賢いこの子が侍女の失態一つに気付いていないとでもお思いですか?若者に失敗はつきものです。叱咤するのはその失敗に気づいていない時だけでよろしい。今この場でするべきことではありません。―――恥を知りなさい」
「「「……」」」
(おばあ様つえぇ……)
俺を抱き上げているおばあ様の前で項垂れている老人二人と若者一人。だから何で宰相も混じってるんだ。
おばあ様にはボロカスに言われたが、おじい様たちが俺に言ってきたことは決して間違いなどではない。俺が望んでいたかどうかは置いといておじい様と父上の二人はどちらも俺を想ってくれてるからこその発言だったと思う。宰相は知らん。
そこまでをすべて理解したうえでおばあ様は怒ってくれている。
そのおばあ様は抱き上げていた俺を降ろして俺の眼をしっかり見てくる。そして先ほどの優しい声ではなく王妃様としての威厳を持った声色で語り掛けてきた。
「アルテュール、部下の失態は自分で何とかしなさい。」
「はい、ありがとうございますおばあ様。」
しっかりと見つめ返しそう言うと、おばあ様は「よろしい」と言って頭を撫で今度は父上の方を向いた。
「―――それとベルトラン、貴方が守っているヴァンティエールという名は侍女一人の失態ごときで傷つくほどに脆いものなのですか?」
「・・・違います」
「ならば、貴方は堂々としていなさい。陛下に詰め寄られたくらいで揺らがないこと」
「・・・はい。ご助言感謝致します。」
ここは私的な場であるためおばあ様の命令ともとれる発言は許されるものだし、また父上はそれを無視することが出来る。ヴァンティエールのことを決めるのは父上であっておばあ様ではないからだ。ただおばあ様の雰囲気に押されていた父上は断ることが出来ない。
何らかの形でハッツェンに罰を与えなければいけないのだがそれを俺が決められるという今の状況は大変に好都合なので父上にはこのままでいてもらう。
心労を掛け過ぎてしまっているな・・・絶対に後で謝ろう。
「―――クローヴィス」
「な、なんじゃ」
父上から目を放し、おばあ様を見ると怒気を身に纏っていた。おじい様の呼び方も変わっている。さっきから変わっていたか。
「あなたは私の前でアルテュールを悲しませましたね。このことはアデリナにも伝えておきます。」
「そ、それだけは勘弁してくれ。」
「しません」
「そんなぁ」
情けない声をあげているおじい様が放っていた王の威厳は少し前からまた霧散している。おじい様はおばあ様にだけでなく母上にも弱いようだ。二人は容姿だけでなく性格もかなり似ている気がするので道理ではあるが、それにしても弱い。
「御前会議があるのでしょう?ライノア、陛下を連れていってください。」
「はっ、申し訳ございません。陛下参りましょう、少々長居が過ぎたようです。アルテュール君すまなかったね、私としてはそのようなつもりではなかったのだよ。」
「いえ、ご指摘はごもっともでしたので謝らないでください。」
「ははっ、それなら良かった。―――陛下いつまでそうしているおつもりですか?行きますよ。」
男衆三人の中で一番早くに気を取り直した宰相がおじい様を連れて部屋を出て行く。
「わたくしもやらねばならないことがあるので戻らせてもらいます。ごめんなさいねベルトラン、この度は陛下がいろいろと無理を言ったせいで振り回してしまいました。誕生月の会もまだありますが頼みましたよ?―――アルテュールも気張りなさい。では・・・」
その後を追うようにしておばあ様も部屋から出て行った。
部屋に残された父上と俺も冷えてしまった紅茶を飲み干してから部屋を後にする。
「父上、申しわけありませんでした」
「いやいいんだ、私もまだ若かったというだけのことだ。王妃殿下のおっしゃる通りだ、これでは父上にまで笑われてしまうよ。アル、ハッツェンのことについてはお前に一任しよう、自分の好きなようにやりなさい。ただ、同じ失態はするなよ?まあ今回はお前の失態ではないんだがな。―――とりあえずリミタ辺境伯家の嫡男と何があったのか話してくれないか。私もその話を聞きたい」
「はい!」
まだ少し茜色が残る夜空の下王宮の中を父上と二人歩きながら話す。途中でハッツェンとマリエルも合流したが父上は二人に何も言わなかった。
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