第53話 紅の美女

 一般的な貴族のパーティには参加する貴族家の数だけ女性が参加するのだが、今誕生会に参加する貴族は子供を除きほとんどが男性である。

 ―――何故か。

 それはこの会に母上が参加していないからである。

 もっと細かく言うと主催者のヴァンティエール辺境伯本人が女性を連れていないからである。

 そのため、目の前で父上と楽し気に話している目の覚めるような美女はより輝いて見えた。


「久しいな、フィリグラン卿」

「ええ、お久しぶりですわヴァンティエール卿。首を長くしてこの時を待ち望んでいましたの」


 親し気に話しかけた父上に対してフィリグラン卿と呼ばれた美女は身に纏うワインレッドのドレスを持ち上げてカーテシーする。同時にルビーのように透き通る赤髪を片肩から垂れ、キリリとした桃色の瞳を長いまつげが覆い隠した。またスカート部分の切れ目から覗く生足が艶かしく、少し上に視線をやると大き目な御神体が…。


(ありがたやぁ…。)


 俺は心の中で手をすり合わせ拝みながらもフィリグラン伯爵に関する情報を脳内の引き出しから引っ張り出す。


 フィリグラン伯爵家と聞けば誰しもが芸術の都フィリグランを思い浮かべる。その名はアルトアイゼン王国内だけでなく超大陸テラに存在する全ての国に知れ渡っており、今も世界のどこかで誰かがフィリグランを目指し旅していることだろう。

 フィリグラン伯爵領はアルトアイゼン王国の南端に近く、芸術の都フィリグランを領都として発展してきた。周辺諸国との国境線から離れているものの同領内には国内三位の港を持つ都市ハーフェンがあるため海路が開かれており大陸全土をつなぐ陸路が存在しない現状でも交通の便は悪くない。

 娯楽の少ないこの世界のことだ、貴賤きせんを問わずフィリグランの芸術は光り輝いて見えるだろう。都合のいいことに海路も開かれているのだ。人が集まり大いに発展するのは当たり前なのかもしれない。


 また、この伯爵家めっぽう強い。


 海から入ってくるのは芸術を求めて集まる人々だけではない。他国の諜報などの招かれざる客も入ってくる。それを取り締まるべくフィリグラン伯爵家は領都に落とされた大量の富を自警団や海軍に注ぎ込み自衛できるようにしている。そのためフィリグラン伯爵領は伯爵にしては過剰ともいえるほどの武力を保持しているのだ。


 ここまでの富や名誉、武力は伯爵家よりも一つ爵位が上である侯爵家でもそう持っていない。にもかかわらずフィリグラン伯爵家が伯爵止まりであるのはなぜなのか。


 それは保有している都市の少なさと領地の面積に起因する。この家、領内に先ほど挙げた二つ以外の都市を持っていないのに加えて領地がめっちゃ狭い。領地が狭いから都市が少ないともいえる。


 もとは片田舎の男爵家だったそうで、数代前から急成長し伯爵家になったらしいが国境から離れているので戦争もなく封土も与えられず、結果として今のような賑わっているが超ちっちゃいという状況になった。

 侯爵以上の爵位を持つ貴族家は皆少なくとも5つは都市を所有している。そしてそれは長い歴史の中で形成されていったものだ。男爵家上りが真似できるようなものではない。

 これはフィリグラン伯爵家だけに言えることではなくアルトアイゼン王国全ての伯爵家に言えることだ。

 成り上がれる限界が伯爵家と言われるのにはこういった理由もある。かと言って伯爵に上り詰めるのが簡単なわけがない。二つの都市だけで伯爵に上り詰めたフィリグラン家はおかしいのだ。


 少し思考が脱線したが、今俺の眼の前に立つ美女こそがそのおかしな伯爵家の当主であるエルーシア・カロリン・フォン・フィリグランその人だ。上位貴族家の中で唯一の女性当主でありながら母上アデリナの親友でもある。

 父上が親しげだったのは母上を通しての付き合いがあるからだ。なので母上に報告する必要はないのだが、帰ったら「父上がデレデレしていました」とチクってもいいかもしれない。面白そうだ―――。


 俺が情報整理の傍らでくだらないことを画策している間に二人の会話の内容はどうやら先のエミリオ事件にいっていたらしい。

 フィリグラン伯爵が「同じ南部同盟に参加している家がご迷惑を」と父上に謝り、父上は「この場での政治的やり取りは不要です」と返していた。

 フィリグラン伯爵は父上の返答を予測していたらしく「失礼致しました」と微笑んでいる。それだけでここら一帯が花畑に包まれたと錯覚するくらい華やかになりむさ苦しさが緩和されたようだ。


 ちなみに、【南部同盟】とはその名の通り豊かな大地を背景に発展してきた南部貴族によって組織された北部で言うところの【北方連盟】に近いものだ。この南部同盟には数多くの貴族家が参加しておりエミリオの生家であるリミタ辺境伯家も例外ではない。

 また、この南部同盟に参加する多くの貴族家は北方連盟をライバル視しているので基本的にうちと仲が悪い。しかし、南部同盟は北方連盟とは違って一枚岩ではないためうちと仲のいい貴族家も多くはないが存在する。フィリグラン伯爵家はその代表格だ。

 南北関係のこれ以上の悪化を防ぐため、謝罪してくるわけがないリミタ辺境伯家に代わって彼女が謝罪に来たのだろう。難儀なことだ。


 少々の世間話を父上としたフィリグラン伯爵はリア姉と少し話した後俺にも話しかけてきた。


「オレリアとは違いアルテュール殿、貴方とは初めましてですわね。エルーシア・カロリン・フォン・フィリグランと申しますわ」

「初めまして、ヴァンティエール辺境伯ベルトランが長男、アルテュール・エデル・ヴァンティエール=スレクトゥと申します」


 二年ほど王都に滞在しているリア姉は何度もフィリグラン伯爵と顔を合わせているらしい。フィリグラン家主催のパーティにも出たことがあるそうだ。

 なのでリア姉のことはオレリアと呼び捨てに、初対面の俺には『殿』を付けている。


(いいなぁ~、俺もこんなにきれいなお姉さんに呼び捨てされたーい)


 名乗りながらそんなことを考えていると「突然なのですがアル君と呼んでよろしくて?」とまさかの申し出があちら側からあった、しかも『アル君』だ。呼び捨てよりも断然こちらの方がいい。願ってもみない申し出に「よろこんで」と即答する。


「私のことはエル姉とかエルさんと呼んでくれると嬉しいわ」


 俺の承諾に対してフィリグラン伯爵が提案してきた。口調が少し変わっている。どうやら彼女は口調を変えることによって公私の区切れをつくっているらしい。リア姉と同じだな。もしかしたらリア姉はフィリグラン伯爵を真似たのかもしれない。先ほど彼女を「エル姉」と呼び楽し気に話していたリア姉ならばそれくらいはしそうだ。


「分かりました、それではエルさんで」


 ただ俺は「エルさん」と呼ばせてもらおう。「エル姉」と言うのも魅力的ではあるのだが敢えてだ。


「あら、エル姉とは呼んでくれないのね。残念だわ」

「姉上はリア姉だけですので」


 俺の返答に少し不満があるのかいたずらな笑みを浮かべるエルさんにそう答えた。

 横で聞いていたリア姉が顔を赤くして俯いているが気にしない。なぜなら少し安心しているようにも見えたから。

 そんなリア姉を見てから再び視線を俺の方に向けたエルさんがまたいたずらな笑みを浮かべる。


たらし?」

「違います」


(失礼な、俺はシスコンだ。女誑おんなたらしと一緒にするな)


 即答した俺を見て「ごめんなさいね」と言ったエルさんとその後少し話をして丁度俺が「母上と父上の馴れ初めってどのような…」と聞き、母上の親友でもあるエルさんが楽しそうに「そうねぇ、あれは――」と言ったところで父上に「フィリグラン卿、まだ挨拶を終えていない方がいるのだ、惜しいが話はアナがいるときにでもしよう」と会話を強制終了させられてしまった。


「そのようですわね、申し訳ございません。非常に有意義な時間を過ごさせていただきましたわ。では―――」


 そういうとエルさんは俺たちのもとから離れ少しして他の貴族から声を掛けられていた。その貴族は年頃の青年を連れている。子息だろうか。

 確かエルさんはまだ未婚だったはずなので声を掛けた貴族は婿の席に青年を組み込みたいのかもしれない。

 父上は政治をこの場に持ち込んでほしくないようだがこの場に集まっている家はすべて上位貴族なので全くのゼロと言うのはちと厳しい。

 ただ、父上の目が届くところで疑われるような行動をするのはお勧めしない。絶賛エルさんの美貌に目をハートにしながら話している青年の顔は今覚えたし、名前は初めから頭に入っている。あまり関わらないでおこう、事故を未然に防げるかもしれない。

 些細なことからも情報は入ってくるんだなぁ。と一人頷いていると「アルテュール」とニコリ笑う父上に声を掛けられた。―――目が笑っていない。


(ヤベッ、父上で遊ぼう両親の馴れ初めの話しようとしてたの忘れてた…!)


 父上はゆっくりと言い聞かせるよう語り掛けてくる。


「楽しむのは結構、ただ羽目を外し過ぎないようにな?」

「はい…ごめんなさい。」


 おっしゃる通りなので素直に謝る。


「よし、いい子だ‥‥‥久しいな、急な変更にもかかわらず今宵の会に―――」


 父上は何事もなかったように列に並び待っていた貴族に話しかける。

 誕生会はまだ始まったばかりだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る