第93話 翡翠色の瞳の少年

 翡翠色の瞳を持つ少年――ルイスは今日も今日とて裏庭で剣を振るう。

 その剣筋は二か月前と比べると、より鋭く研ぎ澄まされていた。


(ラヨス君たちまた来ないかなぁ…剣術のこと教えてくれないかなぁ…そういえば自分よりもっと強い子がいるって言ってたなぁ…確か、グンター君だっけ…)


 ルイスはひと月前まで約一か月間実家の商店で働いていた同世代の友人を想う。

 考え事をしながらでも剣筋の鋭さが失われていないのはここ三か月の努力とルイスの才能のおかげだ。


 ただ、ルイスは雑念が混じっているなと感じ、素振りを止めその場に座り込む。

 眼に入りそうな汗を拭ってからヴァンティエール家の屋敷がある方向を見やった。


(若様に会えたりしないかなぁ…)


 ルイスの夢はアルテュールのもとで働き、アルテュールの役に立つことである。

 三か月前にアルと目が合い、手を振られた時からその願いは変わらない。


「あ、で、でもラヨス君たちと仲良くなったのはそのためじゃないから…」


 目の前には誰もいないのに、責める人間は誰もいないのに言い訳を始めるルイス。

 ルイスに用事があって裏庭に訪れた兄のクルトからすれば、弟の独り言というには大きすぎるそれは、もう意味が分からなかった。


「…誰と喋っているんだい…ルイス……」

「あ、兄さん……えっと…僕自身?」

「何を言っているんだ……まぁいい。ルイス、父さんが呼んでいるよ。母さんも呼ばれていたようだし、とても焦っているみたいだったから何かあったのかもね。行くよ」

「あ、うん。わかったよ兄さん」


 そしてルイスの願いは叶うこととなる―――。




 ◇◇◇




(あちゃ~、アポ取るべきだったなぁ……)


 目の前で冷や汗を流す中年を見て、俺はさすがに急すぎたかと反省する。店で買い物をしていた客たちも驚きのあまり固まっていた。


 哀れな中年男性の名前はホラーツ。『フェアカウフ商店』の二代目である。


 二代目でここスレクトゥの公認商業区に店を持つとはかなりの手腕だ。それもかなり立派な店。商会とまではいかないが商店としては大きな部類に入るだろう。

 先代が優秀だったのかそれとも今代が優秀なのか分からないが、母上がラヨス達のために選んだ実地研修先であることから今代が無能でないことだけは確かだった。


「突然すまない。今日は折り入って話があるのだが、時間はあるか?」

「はっ、もちろんでございます。では二階の方に―――「父さん、ルイスを連れてきました、よっっっ…」――申し訳ございません!こやつらは私の倅でして!…っ、ルイス、どうして土埃に塗れているのだ!「え?兄さんに呼ばれたから……えっ!若様!」―――本当に申し訳ございません…」

「…構わんよ」


(……次から絶対にアポを取るようにしよう………ん?ルイス?)


 目の前で繰り広げられる喜劇のような親子のやり取り。

 俺はその中から目的の人物名を聞き取る。


 ルイス―――お目当ての人物だ。


「ラヨス。あの子供が例のルイスとやらか?」

「はっ、そうでございます」


 翡翠色の瞳、温和な印象の顔つき―――ルイスであろう少年を見ながら、少し後ろで控えていたラヨスに確認を取ると真っ直ぐにその少年のもとへと歩み寄る。

 ここが王都であるならばもう少しことを慎重に進める必要があるが地元なのでさっさと進めてしまおう。いいな、地元って。


「君がルイス君かい?」

「……あっ、あっ」


 ホラーツに向けていたものではなく、出来るだけ親しみやすい声色で話しかける。

 ただ、ルイス少年は声を上ずらせるだけで俺の質問には答えてくれない。いや、答えようとしても答えられないというのが正しいか。

 目の前の少年の翡翠色の瞳が落ち着きなく揺れる。

 しかし俺から目を背けることはない。

 パニック状態に陥っているというのに不思議な子だ。


(う~ん困った…ラヨスをあてるか)


「ラヨス、俺はホラーツと話してくるから、お前がルイスに事情を説明してやってくれ。突然訪れて声をかけた私が悪いから叱ってくれるなよ?」

「はっ」


(これでよし)


 パニック状態のルイスを連れたラヨス達がルイスの兄であろう青年に声をかけ、グンターも一緒に商店内に入っていくところを見届ける。


 もう少しルイス少年のことをラヨス達に聞いておけばよかったな。聞いていればもっとマシな初対面となっただろうに…。


(ん?…初対面?)


 何故かその言葉が引っ掛かった。

 しかし、今気にすべきことはそれではない。


 先ほどから置いてきぼりの店主――ホラーツに事情を説明しなければ。

 俺は俺のすべきことをしよう。


「すまないなホラーツ。混乱しているところ悪いが2階で、だったか?少し話をしないか」

「は、はぁ…」

「なに。ホラーツにとっても、フェアカウフ商店にとっても悪い話じゃないさ…」


 首を傾げながらも「分かりました。こちらへ」とホラーツは店の中へ歩みを進める。

 俺はホラーツと横に並ぶ奥さんであろう女性の後をマリエルとともについていった。

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