夢幻の松籟 貳

 緒都は日の光に温められた馬車の中で記憶を掘り起こした。旧藩時代の鹿尾家は二十万石近くの大名であった。現在の当主宜周は殿様華族として安逸を貪るのをよしとせず、留学を経て外務省に出仕した。各国の駐在書記官や公使を歴任したのち帰朝、数年前から朧ヶ関おぼろがせきに勤めている。早くに先妻を亡くし、赴任先のしゅんこくで知り合った貴族の娘と結ばれた。親類や華族仲間は名家に異国の血を持ち込むのを非難し、新聞も好奇や反発をもって書き立てたが、二人はどこ吹く風で今も仲睦まじいという。


 屋敷は区志太公園の近く、もと下屋敷のあった広大な一画に建っている。


(これが獅子ならうちはちんだな)


 緒都は馬車から降りて屋敷をながめた。玄関といい窓といい、装飾は豪奢でありながら品を保っている。微妙な均衡の上に成る美しさがあった。


「馬鹿みたいに大きいですね」


 沖浪が笑みをたたえ、しかしさしたる興味もなさそうに見回した。その横では鴫村が、布にくるんだ銃を抱えておどおどと目を動かしている。


「華族の屋敷の中でもかなりの豪邸だね」

「僕はお嬢さんの家くらいのが好きですよ。これじゃ厠へ行くにも迷いそうですから」

「あはは、光栄だな」


 取り次ぎに現れた使用人は、用件を聞くと慇懃に頭を下げて三人を客間へ導いた。恭しくドアが開かれるなり、人影が席を離れてやって来る。めしの縞模様が長身を際立たせていた。


「初めまして、緒都さん。忙しいところありがとうね、ようこそ我が家へ」

「初めまして、ジャクリーン夫人」

「あら、さんでいいですよ」


 ジャクリーンが緒都の後ろに首を伸ばす。


「そちらのお二人は……緒都さんのアシスタント?」

「はい。鴫村と沖浪です」


 二人が順にお辞儀をした。ジャクリーンがお辞儀を返し、椅子を勧めてくる。緒都はテーブルを囲むソファの一つに腰を下ろした。鴫村と沖浪を見やれば二人掛けのアームチェアに身を寄せ合っている。


「シギムラとオキナミ。シギーとオーキー」


 聞こえてきたつぶやきに緒都は噴き出しかけ、咳払いをしてごまかした。当の二人は顔を見合わせている。席に戻ったジャクリーンが、背筋をまっすぐに伸ばして正面の緒都を見つめた。


「さて、本題に入りましょう」

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