血染の頸飾 拾肆(終)
「運ぶものはありますか」
「いえ、これきりです」
男がわずかに眉を上げ、すぐに穏やかな表情に戻った。
放免を言い渡されたのは面会から数日後だった。いかにも下町育ちの巡査が、誠実な証言と面会のおかげで疑いが全く晴れ、首飾りも捜索の末処分したと説明した。長屋に戻って無為に過ごすうちに手紙が届き、面会室で会った娘と助手が日をおかず訪ねてきた。娘は子爵貞峰家の長女緒都と改めて名乗った後、うちに来ないかと切り出した。
「沖浪君、君は僕らが探していた人間だ。特別な条件にかなっている」
「なんですか、条件って」
「一つは腕が立つこと。道場では怖がられていたと聞いたよ」
「それは他の連中が弱かったからじゃないですかね」
沖浪が言うと、緒都が肩を震わせて小さく笑った。背格好が似ているせいか、どうにも妹が重なって見える。
「稽古だけの強さじゃない。代議士先生を暴漢から助け、初めて出くわした悪霊とただの刀で渡り合った。君の腕は飾りじゃなく活きている」
「活きた腕が必要とは、つまり命を懸けるんですか」
「うん」
(あっさり言うものだ)
沖浪は思った。沖浪にしても、生き死にが関わることを恐れてはいなかった。今までの用心棒稼業でも少しは腹をくくっていたし、いま命を落としたところで未練もない。
「懸けるのは誰を相手に」
「悪霊だよ。君と満佐さんを襲ったようなね」
沖浪は何も言わず緒都を見た。胸の底で熱い泡が一つ、沸いて弾けた気がした。
「あの首飾りには蛇の悪霊が取り憑いていた。巷には似たようなのが潜んでいる。何の変哲もなく見える品が牙を剥くんだ。怪死なんて書かれるような話の中には奴らの仕業も少なくない。倒すには腕っぷしだけじゃなく、奴らに対する鋭さがなきゃだめだ。君にはそれが両方とも備わっている」
「鋭いってどうして分かるんです」
「僕も少しばかり鋭いから」
緒都が平気な顔で答えた。実際に悪霊とやらを目撃し格闘した沖浪だから、目の前の娘が出任せやデタラメをのたまってはいないと信じることができた。
話はそれから俸給や暮らし方のことに移った。緒都曰く、貞峰家の禄を食み、屋敷で不自由なく寝食する代わりに悪霊討伐の任を担うらしい。今のところ在森ともう一人がその身分だという。食客のようなものだと沖浪は合点した。そして、返事は急がないと告げて腰を上げる二人に「よろしくお願いします」と言った。
「カッフェに行くんじゃないんですよ」
「はい」
沖浪がうなずくと在森が微苦笑した。
「ここを引き払う目処がついたら連絡します」
「分かった。手紙か電話か――」
「手紙で」
「うん、よろしく」
緒都が目を細め、右手を差し出した。何かを欲しがっているにしては手のひらが横を向いていて変だった。
「握手ですよ。手を握り合う、あいさつのようなものです」
「そうですか」
沖浪は言われるまま緒都の手に手を合わせて握った。
それから家具の類や満佐の使っていた品を売り払い、値がつかなければ処分した。残ったのはわずかな小間物と着物と稽古道具、伝家の二本と位牌が三つ。風呂敷に包んで担ぐと、在森が「もう行きますか」と声をかけてくる。
「はい」
「分かりました。通りに馬車をつけていますから案内しましょう」
在森が帽子をかぶって戸を潜った。沖浪は黒々と翳る部屋を振り返り、そして外へ出た。
第壹幕 血染の頸飾 終
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