第貳幕 黄金の羽撃
黄金の羽撃 壹
貞峰邸での暮らしは沖浪が思うより退屈だった。悪霊と聞いて出かけたのが一月に十回あるかどうか、それも多くは勘違いか尻尾をつかめずに終わり、仕留めるまで至ったのは三回きりだった。悪霊の数が少ないのかこちらの手際が悪いのか沖浪には判断がつかないが、出くわせば斬るとだけ考えている。また、話を聞いたり実際に遭遇したりを重ねるうち、おぼろげながら悪霊について分かることが増えてきた。憑く魂も憑かれた器物もまとめて悪霊と呼ぶ、器物は舶来の品ばかりである――など。
外出は食客たちが出払わない限り、また泊まりがけでない限り自由にできた。各々の部屋の扉に表裏で色の違う札が下がっていて、出る時には裏に掛け替える仕組みであった。――在森は時々出かけている。聞けば博物館や百貨店に行くらしい。もう一人、
「まあ、お嬢さんも旦那様も大して心配なさってはいないからね。もちろん私も」
在森の話し方はいつの間にか、慇懃なものから砕けたように変わっていた。
「それは先輩方の行いがいいからじゃないですかね」
「そう思うかい」
「通ってるところでもあるんですか?」
にこにこしたまま聞くと、在森は軽く笑いながら首を横に振った。
沖浪はというと、朝食後でも夕刻でも気が向いた時に、市電の通る往来から小路までをしらみつぶしに歩き回っている。屋敷周りの土地勘を得たかったし、体が鈍るのを防ぎたいからでもあった。近所には貞峰屋敷の上をいく壮麗な御殿がいくつもあったほか、神社や専門学校、異国風の伽藍を見出した。中でも道場を見つけたのは大きな収穫で、近く冷やかしてみようと思っている。
ある朝、散策の行程を練りながら中庭で一人稽古をしていると、背中に静かな視線を感じた。振り向けば回廊に夏羽織を着た男が立っている。在森が言うところの旦那様、すなわち貞峰家当主にして貴族院議員の
「精が出るな」
「どうも」
沖浪は汗を拭きながら答えた。
「お休みなのに早いですね」
「いつもこうだ」
怒った風でも突き放す風でもない、ただ平坦な返答の後に幾衛は踵を返した。
(軍人のがまだ笑いも泣きもするだろう)
今まで感情の一つも出してこない相手だ。初めて会った時も、名乗る前から感じたのはなんとも言えぬ辛気臭さだった。何かにつけ笑顔を見せる妹の緒都とは対照的である。顔立ちにしても、自分と満佐とが似ているとしばしば評された――自覚もあった――その一方、こちらの兄妹は目鼻の位置にしても形にしても、似つくところがほとんどない。腹違いとか種違いとかいう事情もあり得るが、不興を買って追い出されるのは困るので詮索する気はない。
(よく分からないが面白い人だ)
廊下に消えていく背中をながめながら沖浪は思った。
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