黄金の羽撃 貳

 朝食後、散策の前に書斎に立ち寄った。緒都は扉の音に上げた顔をほころばせた。


「沖浪君も勉強かな?」

「僕はいいですよ。お嬢さんこそ読み過ぎると眼鏡になりますよ」

「そうかもね」


 緒都が分厚い本を閉じて伸びをする。沖浪は表紙をのぞき込んだ。糸を踊らせたような異国の文字とまだら模様の球が、布地に金箔でもって押されている。


「今日も散歩?」

「そうですね。濠の向こうに行こうかと思ってます」

「へえ。何があったかな……お寺が多いし、あとは軍の学校とか……」

「あんまり先に言わないでくださいよ、楽しみがなくなっちゃいますから」

「はは、ごめん」


 緒都が肩を震わせて笑った。


「そういえばお嬢さん、今日は退治の予定はないんですか? もう五日ぐらい暇してますよ」


 沖浪は佩刀の柄頭を叩いた。悪霊退治に加わるにあたり支給された刀で、寸法といい体への馴染み方といい伝家の一本と瓜二つであった。


「うん」


 緒都が曖昧に応え、背後の壁にかかった数個の歯車に目をやる。


「前に話したかもしれないけどね、この歯車がこんな風に回ってるのは、この錦府きんぷのどこかに悪霊が現れている証なんだよ。だからいつ出ていってもおかしくない」

「でもこれ、いつも回ってますよね」

「そうだね」

「それならとっとと全部倒せばいいんじゃないですか?」

「確かに、今だってどこに隠れてるか、店の品に紛れてるか、極端なことを言えば議事堂のランプが大臣を狙ってるかしれない。けど、いくついるか、どこにいるか――分からないんだ、。それに、目星がついたら警察に頼まれる格好で探せるけど、あまり当てずっぽうじゃいけない。悪霊の存在はあまり大っぴらにされていないからね。それに、大っぴらにするのもよろしくない」

「どうしてです」

「一言で表すなら、ケイオスに陥るからでしょうか」


 緒都の視線につられて振り向くと、いつの間にか部屋の入口に在森が立っていた。沖浪は頭の中に河尻巡査の「バタ臭」という声を聞いた。


「ケイオス――大混乱、混沌だね。ああ、確かにそうだ」


 何がどう混沌なのかは判然としないままだが、質問攻めにしていては昼時になりそうだった。沖浪は二人と別れて屋敷を出た。予定のとおりに濠を西へ越え、緒都の言う学校らしき建物を仰ぎながら一回りするなどして、一時間ほどで気が済んだ。行きとは違う橋を渡ると間もなく貞峰邸の門が現れ、そこから二頭立ての馬車が出ていった。


(あれは)


 馬車は見る間に並木の影の下を走り去った。沖浪は屋敷に入ってまっすぐ書斎に向かった。誰の姿もない。仕方なく自室に戻る道すがら女中と顔を合わせた。


「お嬢さんは?」

「在森さんと鴫村さんを連れてお出かけになりました」

「もしかして河尻さんが来てましたか?」

「ええ、あのお巡りさん」


(やっぱり)


 沖浪は歯噛みした。

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