血染の頸飾 拾參

 控室で水をなみなみ数杯、座る間もなく杖を担いで署を出た。向井が言うには公園までは十分あれば着くらしく、道は勝手知ったる彼に任せることにした。何町も歩かぬうちに汗が噴き出てきて、襟がべったりと気持ち悪い。


「向井さん、悪霊相手は初めてでしょう」

「はい」

「はじめに言っておきますがね、いいですか、俺たちはあくまで見つけて引き渡す役です。一太刀浴びせようなんて思わないでください」

「これもいけませんか」


 向井がサーベルの柄頭に手をやった。


「いけませんね。沖浪さんの刀を見たでしょう、あんなぼろぼろにしちゃ装備係に怒られますよ。それに、並の得物を振り回したところで息の根は止められませんからね。やり合うのは貞峰さんたちの領分です」


 小さな運河を渡った先に公園があって、馬車がつけられているのが見えた。馬丁が車の扉を開け、在森、続いて緒都が降りてくる。在森はステッキを、緒都は日傘を持っていた。


「お嬢さん方」


 河尻はタッタと足を速めた。


「どうです、やっぱりこの辺りですか」

「そうだね」


 緒都が羅針盤の蓋を開ける。


「なんとなく近い気がするからこの中だと思う。河尻君は僕とこっちから、向井君は在森君と逆から回ってほしい。向こうの門で一回落ち合おう」

「承知しました」

「行きましょう、向井巡査」

「ええ」


 河尻は緒都と一緒に南を向いて進み、柵沿いの草むらや岩陰を探して回った。在森らとぶつかる予定の門までには小さな梅園、その奥の南西の端には洋館が建っている。洋館はぬえかどこかの展示館を移してきたもので、今は図書館として使っているとかなんとか聞いたことがあった。


「河尻君は蛇の駆除なんかしないね」


 緒都が日傘の先でドクダミをつついた。


「ハハ、俺はそうですね。派出所にいるとたまに真っ青になってすっ飛んでくる人がいるそうですよ。庭に蝮が出たとか、玄関先にいて家に入れないとか」

「それで行くのかい?」

「言われた以上はどうにかしなきゃいけませんからね」

「精の出ることだ」

「全くです」


 また一歩動かした足が小石か何かを踏んだ、そう感じた瞬間河尻は声をあげた。


「河尻君」


 靴の下をざらりとした感触がすり抜けた。落とした視線の先、古い血でまだらに染まった、沖浪の絵と遠からずの姿がある。


「いた!」


 河尻は叫びながら杖を槍のようにして突いた。首飾りが身をくねらせて草間に紛れようとする。何突き目かが見事に透かし彫りの銀を捉えた。怯んだように動きが鈍る、その胴の真中を踵で思い切り踏んづけた。


「緒都様!」


 声にちらと目をやれば在森が走り寄ってきている。


「問題ない、やれそうだ」


 緒都が日傘を逆さに持ち替えた。まっすぐな手元は象牙製、頭から三分の一ほどは金具でもって覆われている、それを緒都は蛇の頭へ振り下ろした。反り上がった尾が河尻の靴を打ち、のたうって草をしだいた。


「やっ」


 袖のひだ飾りを翻して緒都が再び打ち据える。蛇が勢いを衰えさせながらなおも悶える、そこへとどめとばかりにもう一撃を加えた。ぎん、と耳に障る音が響いたのが最後、河尻の靴の下には倒れた草の他に何もない。緒都が羅針盤を出した。針はどこをさすでもなく笹舟のようにゆらゆらと動き、入れていたはずの首飾りの玉も跡形なく消えている。


「よし」


 緒都が息をつき、在森がうなずいた。そこへ向井がようやっと追いついた。


「倒したよ」

「倒した、でありますか。それでは首飾りは――」


 向井が草むらをつつきはじめる。


「もうありませんよ」


 在森が言った。パッと上がった向井の顔は狐につままれたような風情だった。


「悪霊が倒れると、悪霊が取り憑いていたものも一緒に消えてしまいますので」

「さ、左様でしたか。まるでその、夢のようですな」

「夢じゃない証に報告書だ」


 緒都が日傘を開いた。


「河尻君、書いたらいつものように渡すからよろしく頼むよ。それじゃお疲れ様」


 緒都が歩きだし、在森が会釈してそれに続いた。


「こっちこそ、ありがとうございました」


 日傘がすいと掲げられて左右に揺れた。河尻は白絹のまぶしさに目を細め、それからむんとした暑さを思い出し、脱いだ帽子でそのまま顔をあおいだ。

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