青雲の滴瀝 拾
「久仁正は亜川柳太郎をパイプの毒で手にかけ、凶器を持ち去った。そして凶器はすでに処分したに決まっている。布にしろ紙にしろ後からどうにでも用意できるものだ」
飛び散る
「ふ――藤岡巡査、待ってください」
「ヤ、そうですよ藤岡さん」
一雄と河尻が口々に言った。
「パイプが消えた説明がつかないし、その窪みってのを検分しないわけにはいかないでしょう」
「パイプの行方ですか? 自明です。自作自演ですよ。この男が自分で紙を破ってパイプを出して焼くなりなんなりしたんです。そもそももっと早い時点で処分しておいて、今になって戯言を弄しはじめたようにも聞こえますが……窪みとやらなど調べるに及びません。存在すら疑わしい」
一雄が呆然と口を開けたまま固まった。そしてこめかみに青筋を立てた河尻より早く、
「やってない」
久仁が頭を上げて藤岡を見据える。眼鏡越しに瞳が爛々と光っていた。
「僕は殺してない! 亜川君は確かに妬ましかった。いなくなってくれればとも思った。だからって卑怯な手で殺したりしない。逃げたりするものか!」
「往生際の悪い!」
藤岡が立ち上がる。鴫村は片耳をぴくりと動かした。藤岡が動いた途端に何かの音が鳴った。それが背中の毛を弾いた。紙でも布でもない、もっと硬いものの立てる音だった。
「藤岡君、待ってほしい」
緒都がかすれた声を張り、一つ咳払いをする。
「悪霊だとしても事件だとしても、河尻君の言うとおり一度隠し場所を――」
「探偵気取りが口を挟まないでいただきたい」
藤岡が傲岸に言い渡した。再び音がする。鴫村は目だけを動かして部屋を見回した。蝉に似ているが春に鳴くはずがない。近くから聞こえるものの、自分以外に気づく者はなさそうだった。
「貞峰氏、あなたにはあくまで参考程度に意見を述べていただいたまでです。あれも徒労でした。またこうしてお会いすることになるとは思いませんでしたよ。これ以上公務の妨げをなすようであれば――」
「お嬢さん」
鴫村は沖浪越しに呼びかけた。
「どうしたんだい」
「まだ話は終わっていない!」
藤岡が鴫村に指を突きつける、その頭に近い鴨居から何かが落ちて畳を鳴らした。
「パイプだ」
一雄がつぶやく。
「なんで……どうしてここに」
久仁がうろたえたような声を漏らした。パイプが藤岡に向けて吸い口をもたげ、火皿を細かく揺らす。しゃらしゃらと音が大きく響いた。
「こん音ばい」
「ラトルスネークだ」
緒都の声が震える。
「皆、静かに下がって――」
「化け物だ!」
藤岡の悲鳴を引き金に、パイプが宙に身を躍らせた。
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