青雲の滴瀝 肆
「久仁君も持っていない、亜川君のところにもないとなると、亜川君の下宿にいる人間が火事場泥棒をした可能性はあります。ですが僕と仲間が聞いた限り、手がかりは見つかりませんでした。警察からも同じことを聞かれたそうなので、警察も疑っていたんでしょう。本当に関与していないか――あるいは嘘をついて隠し持っているかですね」
「あまり盗みたくなるものでもないと思いますよ。使い古したような見た目ですから」
久仁が眼鏡を押し上げた。
「警察は僕が彼のところから持ち去ったと考えているようです。犯人が凶器を置きっぱなしにしておくのは悪手ですから。しかしまだ見つかっていないのでしょう。見つけていれば僕を落としにかかるはずだ。おまけに十五日の彼の日記には――これは開いてあったのをのぞいたんですが――僕のパイプのことがはっきり書いてある。警察はそこに意味を見出しているようです。そのページを開いておいたのは、彼が何かメッセージを込めたからではないかと」
「確かにその可能性も捨てきれないけど、警察の言いがかりにも聞こえるな」
緒都が首をひねる。
「十六日の日記を書くなら十五日と同じページを開いていても何も不思議じゃない。日記を書いてる時に命を落としたとすれば、日記と死んだこととは関係ないよ」
「僕も同じ意見です」
一雄がうなずいた。
「それに亜川君の性格については、几帳面というか神経質だったと何人もから聞いています。いつ誰に何を見せてもらうか日記に書くのは、彼にとっては特段変わった行動ではないように思えます」
「なるほどね。――ちなみに久仁君、パイプはどこで買ったんだい?」
「露店です。どこかは忘れましたが」
鴫村は再び緒都の横顔に目をやる。緒都が膝をわずかに前へ進めた。
「店主はどんな人だった?」
「はっきりとは覚えていませんが、道端で鞄を広げていました」
「背格好は……それ以外でも、何か覚えてることは」
「どちらかと言えば小さかったと思います。子どもだったような気もします。他には特に……値札を見てお金を払って品物を受け取って、それで終わりでしたから」
「特に話もしなかった」
「はい」
久仁が怪訝そうに眉を動かした。
「緒都子さん、何か心当たりが?」
一雄の問いに緒都が小さく唸る。
「僕たちの受け持ちとはまだ断言できないけど、今まで見てきた事件と重なるところがあるのは確かだよ。でも、もっと調べるためには警察の許可が必要だ。僕から交渉してみよう。あとは……久仁君、パイプは手元にないとして、刻み煙草も亜川君に貸したのかい?」
「いえ、貸したのはパイプだけです。煙草は彼のを詰めたんでしょう。僕のなら今ありますけど」
「少し……ひとつまみ使ってもいいかな? 念のため、ちょっと調べさせてほしいんだ」
「どうぞ」
久仁から刻み煙草入れを受け取り、緒都が懐中時計の羅針盤側を開けた。袖越しにつまんだ葉を入れる。鴫村も、一雄も久仁も一緒になって針の振れ方を見守った。針はどこをも示さずにいつまでも揺れている。
「僕が分かる範囲では問題なさそうだ」
緒都は久仁に刻み煙草入れを返した。久仁が「はあ」と漏らす。
「一雄君、分かったことがあればなんでも連絡してほしい」
「分かりました。よろしくお願いします」
一雄、続いて久仁が頭を下げた。
二人に見送られ、鴫村と緒都は馬車に乗り込んだ。鴫村が時折目を開けてみると、窓の外をながめる緒都の頬はこわばっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます