青雲の滴瀝 伍

 屋敷に戻り、鴫村はひとまず書斎に向かった。本を開く気はなかったが、河尻への電話を終えた緒都はここに来るだろうし、これからの動きについて何か話があるかもしれなかったので。


「おかえり」


 在森がソファで小さく手を挙げた。


「一雄さんは元気そうだったかい?」

「はい」

「それはよかった」


 在森に事の仔細を伝えるうちに、急いた足音が書斎に入ってくる。


「おかえりなさいませ」

「――ああ、ただいま、在森君」


 執務机についた緒都が肩に垂れる髪を跳ねのけた。


「亜川君の件は、河尻君のところにはあがってきていないそうだ。ただ耳に挟んではいて、僕らの出番じゃないかと思って何度か所轄に働きかけているらしい」

「やはり、毒殺事件として捜査が続いているということですね」


 在森が言った。


「ですが緒都様、本当に悪霊が関係していたとすれば――」


 緒都が頬を引きつらせて深くうなずいた。


「パイプが――悪霊が毒をもってる可能性がある」


 言いながら机の抽斗ひきだしを開け、何冊かの手帳を出す。うち一つに見覚えがあって鴫村は目を奪われた。


は」

「秋穂兄さんが書いた悪霊の記録だよ。どんな特徴で何に憑いて、どう倒したかが書かれてる。毒のある悪霊は僕も見たことがないし、記憶が正しければこの記録にも載っていない」

「悪霊が強なっとるとですか」

「そう言えるかもしれない」


 緒都は手帳を開いて次々と紙を繰る。


「または進化したとも考えられる。元と違う体でも、元と同じ特徴をより多くもてるようになるのを進化と呼ぶならね……じゃあ、毒をもつ生き物といえば?」

「蜂」


 鴫村は先陣を切って答える。


「毒蜘蛛、蠍」

「おこぜ」

「魚なら河豚も」

「蛇は」


 在森が、つられて鴫村が振り向いた先で、沖浪が扉を閉めた。汗のにおいがする。


「僕は蛇が怪しいと思いますね。凶器はまだ見つかってないんでしょう」

「うん」

の時と同じだ」


 沖浪は笑顔を崩さない。


「魚よりかは可能性があるな」


 緒都が言った。鴫村はさもありなんと思いつつ下唇を軽く突き出す。


「亜川君の遺体は顔、特に口の辺りが腫れて痣もあった。一雄君も言ってたように、亜川君はパイプを咥えた時に口の中を咬まれて毒にあたった。毒のせいで、咬まれた傷やその近くが腫れて痣も出た。毒の量にもよるだろうけど、ろくに手当をしないでいたら命を落とす可能性は大いにあるんじゃないかな」

「だとしたら、同じパイプを何度も使った久仁さんはなぜ無事なのでしょうか」


 在森が顎に手をあてる。


「毒の存在をに知らされていたとしても、吸うたびにいちいち毒消しを飲まなければなりませんね。毒を体に入れる危険を冒したとは考えづらい。久仁さんが本当にそのパイプを使っていればの話ですが」

「そうだね。それか、もしかすると刻み煙草に毒消しの効果が……いや、難しいな。在森君の言うとおり、毒があると知っていたら使うこと自体を避けるはずだ。二人ともがパイプを使ったとして、何が二人の生死を分けたんだろう」


 何も思い浮かばず鴫村は押し黙る。ちらと横を見ると沖浪も何も言わない。さらに視線を動かすのと、その先で在森が立ち上がるのが同時だった。


「気分を変えて紅茶でも飲みましょう。ビスケットもあります」


 沖浪と緒都が応じる。


「鴫村君もどうだい」


 ビスケットがどんな物だったか思い出しながら鴫村はうなずいた。

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