青雲の滴瀝 參

「犯人は現場に戻る」


 久仁が苦い微笑を浮かべた。一雄が困ったように眉尻を下げ、気を取り直して続ける。


「十七日、久仁君は亜川君と出かけるはずでした。十六日に亜川君と会ったのもその打ち合わせのためだそうです。劇を見る予定で、久仁君が二人分の券を買っていました。仮に久仁君が亜川君を手にかけたとして、殺す相手の分まで券を買っておくものか、僕や仲間は疑問に思っています。一方警察は、それは偽装カムフラージュと考えているようです」

「久仁君が計画を立てて亜川君を殺したと」


 緒都が言った。


「はい。もしそうであれば、久仁君には計画を立てるだけの動機と、それから凶器が必要になります。それが――」

「動機はあるんです」


 久仁が微苦笑を崩さず言った。鴫村は口の中で言葉を繰り返し、そして目をしばたたいた。袖口をつかんでくる一雄を無視して久仁が続ける。


「先日、僕と彼、それに大学の仲間何人かで同人雑誌を出しました。皆が渾身の作を載せましたが、彼の話は水際立っていました。誰の目にも明らかで、仲間うちでも評論家でも、彼を認めない人はいませんでした。僕が彼を妬んで殺した、そう言われても仕方がありません。事実妬んでいるからです。否定のしようもない」

「分かった。じゃあ凶器はどう説明する? 一雄君の話からすると、やっぱり毒だと思われているのかな」

「はい」


 久仁をうかがってから一雄が答えた。


「亜川君の十五日の日記には、十六日に久仁君が新しいパイプを見せに来る予定だと書かれていました。警察は、パイプか刻み煙草に毒が仕込まれていたと踏んでいるようです。確かに遺体は口の辺りがひどく腫れていたそうなので、パイプを咥えた時になんらかの毒が回ったと考えることもできます」

「なるほど。久仁君、亜川君の遺体とパイプについて、もう少し詳しく教えてくれるかい?」

「遺体は……鴫村君の話のとおりです。顔、特に口が腫れ上がっていました。赤いというか黒いというか……ああ、あとあざがあった気がします」

「痣?」

「はい、口の腫れている辺りに。僕と会った時はありませんでした。その後に誰かに殴られたのかと思いましたが違うでしょう。口を殴られただけでは死なないと思いますし、彼は喧嘩なんかしませんから。パイプは特に変わったものではありません。木製で、管の部分が少し曲がっています」

「毒についてはどう思う?」

「パイプは確かに亜川君に貸しました。ただ……これはどうにも証明できませんけど、僕もあのパイプを彼に貸す前に何度も使いました。亜川君の下宿でも吸いましたが平気でした。彼には毒が効いて僕はなんともないというのはおかしな話です……僕が前もって毒消しを飲んでいない限りは」

「警察も同じように考えています。毒を手に入れたなら毒消しも持っていておかしくないと」

「それはそうだね。パイプを使っている時、何か妙に感じたことはある?」

「いや、特には」

「そうか」

「そんパイプは今」


 鴫村はおずおずと問う。


「持っていません」

「じゃ亜川君とこに」

「それも違うんです」


 鴫村は隣の緒都を見た。緒都も瞬きをして鴫村を見返した。


「亜川君にパイプを貸した次の日――十七日の朝、僕は亜川君の下宿に行きました。彼のところに本を置いてきてしまったからです。部屋に入ると彼はすでに死んでいました。それで下宿のじいさんに頼んで警察を呼んで……それきりです。机にあったのは空のパイプ入れと日記とペンぐらいで、彼の手にも何もなかった。パイプは消えていたんです」


 鴫村はつぶやく。

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