最期の一葉 陸

 屋敷にはすでに黒い自働車が戻っていて、緒都と在森は顔を見合わせた。書斎に人気はなく、緒都が幾衛の部屋をノックすると返事があった。


「ただいま兄さん。早くなったんだね」

「ああ」


 幾衛はすでに着流しに着替えていた。


「少し話があるんだけど、今いいかい?」

「ああ」


 緒都は幾衛の隣でスツールにかけた。


「浅茅野で汁粉を食べてきたんだ。甘すぎないし、餅が柔くておいしかったよ」

「そうか」

「今度一緒に行こう。浅茅野っていっても落ち着いた辺りだよ」


 幾衛の短い返答の後、緒都が背筋を伸ばした。


「兄さん、最近おかしなことはなかった?」

「ああ」

「よかった。実はね、あさって家を空けられないかと思ってるんだ。僕や在森君たちだけでなく、フクたちも一人残らず」


 緒都は封筒を幾衛に差し出し、幾衛が目を通す間に説明した。


「悪霊、もしくは悪霊に関係のある者がこの家を襲う可能性がある」


 幾衛が言い、紙片から目を上げる。


「うん。絶対とは言い切れないけど……でも、少しでも危険があるなら手を打った方がいいと思うんだ」

「分かった」


 幾衛が紙片をたたんで封筒に戻した。


「皆には一日暇を出す」

「ありがとう」


 緒都は顔をほころばせる。


「緒都はどうする」

「在森君たちや河尻君と一緒に衝天閣に行くよ。売り子に会うまたとない機会なんだ」


 幾衛の切れ長の目に憂いが射した。


「大丈夫だよ、心配いらない」


 緒都はしかし、はっとしてすぐ言葉を継ぐ。


「兄さんは?」

「私はいい」

「よくないよ、何言ってるんだい。兄さんにもしものことがあったら……」


 凪いだ眼差しを緒都のすがるような眼差しと交えた後、幾衛が机上の封筒を手に取った。


「どこかに行く」

「うん。ありがとう、兄さん」


 緒都は微笑して封筒を受け取った。ついで立ち上がり、扉に伸ばした手を止める。幾衛の問いかけるような気配が背にあった。


「秋穂兄さんだったら、一日出かけるとしたらどうしただろうって」


 緒都は表情を変えぬまま振り向いた。


「もしかしたら錦府の外まで行って、夜まで戻ってこないかもね」

「そうだな」


 幾衛が束の間目を伏せた。


「そうかもしれない」

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