血染の頸飾 肆

 女学校が背後に去り、水路の生っぽい臭いが鼻をかすめた。にわかに日が隠れ、往来の乏しい通りを青い影が覆った。沖浪はうっすらと暗くなった前方に人影を見つけた。煉瓦の壁を背にして座っている。その前には旅行鞄が中身を通りに見せるように置かれている。物売りだった。さしたる興味も感慨も起こすものではなかった。


(こんなところで露店なんて巡査に怒られそうだ。呼びつけてやろうか)


 沖浪はスタスタと歩いた。そして物売りの前を通過する数歩手前、なんの意図もなく地面に落とした視線が光るものに引っかかった。旅行鞄に収められた舶来物の首飾りだった。自分でも呆然とするべきことに、沖浪はその前でピタリと足を止めていた。銀の首飾りは大小の葉が円を描いて連なったような見た目で、中心に一つだけ八重咲きの花が紛れている。葉にも花にも透かし彫りが施され、石か玻璃かの小さく透明な玉がいくつもはまっている。


 審美眼や良し悪しを見抜く目をもたない沖浪だったが、これは満佐に似つかわしいものだと直感した。この飾りが彼女の首にかかるのを想像した。それは今までの彼女の粉骨に報いる勲章であり、彼女のかつての級友が羨むだろう輝きであった。


「いくらだ」


 物売りが鞄の中を示した。首飾りに小さな札がついていた。法外な値段を予想していた沖浪は、思わず書かれた値段をじっと見、気づけばまた一本水路を渡っていた。再び現れた太陽が相変わらず人気のない通りを照らしはじめていた。振り返ったところで物売りの姿は見えなかった。沖浪は長屋ばかりの筋を進みながらもう一度懐に手を入れた。そこには少し薄くなった金封と小さく平らな箱があった。


 家の戸を叩くといつもより高く張った返事があった。満佐は顔を出すなり少々頓狂な声をあげた。


「お兄様」

「ただいま帰った」

「帰ったって、先生のところは?」

「済んだよ」

「もうですか?」

「今日はどこにも行かないって」

「あら、私てっきり昨日みたくお務めかと思っていました」

「本当に。拍子抜けしたよ、着流しで出てきたから」

「なんだ、お兄様もご存知なかったのですね。先生、お出かけでないならどんなご用だったんですか?」

「食べたら言うよ」


 沖浪は絣の上から金封をなでてにやりと笑った。


「もったいぶらなくたっていいでしょう」


 さして怒っても呆れてもいない調子で満佐は言い、炊事に戻った。


 昼食は焼鮭だった。沖浪は膳を片付けて座布団に戻った。襷を外した満佐が後から向かいに端座した。まっすぐに見てくる妹が沖浪にはいじらしく思えた。

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