夢幻の松籟 陸

 再び電話が鳴ったのは翌日、日が高くのぼってからだった。


「お店に連絡はついたんですけどね」


 ジャクリーンの声は沈んでいた。


「馬車を見せてほしいってお願いしても、担当の人がいないからできないんだそうです。その人がいつ戻るか聞いてもはっきり教えてくれなくて……持ち主のお願いなのにだめなんて、そんなに忙しいんでしょうか」


(怪しいな)


 緒都は片眉を上げつつ口を開いた。


「そうなんですか……。それでは、まだ馬車を調べに行けないんですね」

「はい、残念ですけど。もう点検が終わるのを待つしかないかもしれません」

「調べるのは早い方がいいのですが難しそうですね。承知しました、ご連絡ありがとうございます」

「どうも、それでは――」

「ああ、もう一つ」


 緒都は送話器に口を寄せた。


「はい、なんでしょう」

「馬車店の番号を教えていただけますか?」

「ええと……新居橋の一八四二番です」

「ありがとうございます。では、ごめんください」

「はい、どうも」


 切れてからすぐに交換手を呼び出す。


「新居橋の一八四二番を」


 長く待った後に出たのは若い男だった。


「はい、倉瀬馬車店です」

「ごめんください。私馬車が欲しいと思ってるんですが、いくつか見せていただけませんか?」

「アアお求めですか。あいにくただ今分かる者がおりませんで、申し訳ないんですが……」

「そうですか。見に行くのもいけませんか?」

「エエ、あいにく」


 男の声の後ろにあわてたような会話が聞こえる。


「分かりました。また改めます」

「申し訳ありません」

「どうも」


 電話を切り、緒都は壁に肩をもたせかけた。


(ずいぶんあわただしかったな。何か起きてると見て間違いなさそうだ)


 と、ドアのガラスを叩く音がした。見れば在森が立っている。緒都は電話室を出た。


「どうしたんだい?」

「河尻巡査を書斎にお通ししました。お急ぎのようです」

「分かった。ありがとう」


 在森と共に書斎に向かう。扉を開けるが早いか河尻が飛んできた。


「大変です」

「うん?」

「車が走り回ってるんですよ、街中を!」

「車?」


 在森が問うた。


「人力車ですか? それとも自働車でしょうか……どちらにしても不思議ではないように思えますが」

「アア違います」


 河尻が胸の前に両手を泳がせて円を描いた。


「車輪です、馬車なんかについてるあの輪っかですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る