夢幻の松籟 伍

「エエ?」


 沖浪が首を縮こめて窓をのぞき込んだ。


「門って今さっき通ったところですよね?」

「はい」

「何もいませんでしたよ」

「僕も見えなかったな。……鴫村君、その馬は生きてた?」


 鴫村が首を横に振った。


「やっぱり」

「死んでるってことですか。つまり幽霊?」

「そうだね。おそらく松煙号だ」

「へえ」


 沖浪がにこにこしたまま鴫村を見た。


「もしかして、やっぱり侯爵に仕返しする気なんですかね」

「んにゃ」

「僕もそうは思わないな。怨霊だったら神宮が気づくはずだ」

「ならどうしてわざわざ出てきたんです?」

「ウーン」


 緒都は唸ったきり黙り込んだ。屋敷に帰って電話室に入る。送話器に「ばし四〇三番」と告げると、ほどなくして聞き覚えのある男の声が応えた。


「おや、あつとう君か」


 ゆみ篤任の苦り切った顔を思い浮かべながら、緒都は鷹揚に言ってみせた。


「呼び出してもらう手間が省けたよ。僕だ。貞峰だ」

「声を聞いたら分かる。とっとと用件を言え」

「君、鹿尾侯爵から相談されたそうじゃないか」

「馬の件だろう。それがどうした」

「手も足も出なかったからこっちに回してきたのかい」

「なんだと? あれはこっちの受け持ちじゃなかっただけだ。腕のいい寿司屋がテキを焼けと言われてできるもんか!」


 緒都は大げさに肩をすくめ、声が絶えてから受話器を耳にあてた。


「はは、そうだね。そう聞いたよ。いや、さっき侯爵の家に行ってきたんだけど、僕が見た限り悪霊の気配はなかったんだ。君がそっちの管轄じゃないって言うならそれは確かだろうけどね」

「じゃあなんだ」

「分からない。ただ、悪霊じゃないとは言い切れない。近いうちに侯爵の馬車を調べるよ」

「フン。ならそっちで――」

「あと君、」


 緒都は篤任の声を遮って言った。


「黒い馬の霊は見てないね」

「何?」

「おそらく松煙号だ。門のところにいたらしい。見たのは僕じゃないけど」

「なんだ、あの芋臭い奴か?」

「鴫村君だよ」

俺は見ない。霊は死んだ場所にとどまるとは限らないからな、俺が行った時は他の場所をうろついてたんだろう。それか行った後に出たか――ただ、怨霊なら多少離れたところにいてもとっくに気づいてる。つまり今の時点ではその霊は害がないってことだ。依頼があれば追い払うが、暴れてもない奴に構っている暇はない」

「なにせご多忙だからね」

「フン。それか、馬なりに未練でもあるんじゃないか?」

「未練?」

「恨みではなさそうだがな。まあ、口寄せなら他をあたることだ。他に話は? ないならさっさと切るぞ」

「もうないよ。どうも」


 ブツンと音がした後に緒都は受話器を置く。続けてハンドルを回し、河尻に事の次第を報告した。河尻といえば大抵外を駆け回っているので、今回も折り返しを待つことになると決めてかかっていたが、珍しく本人に取り次がれたのだった。そして茶を飲んだ後にジャクリーンから連絡があり、倉瀬馬車店に電話したが休みか何かだったので明日改めるという話だった。

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