夢幻の松籟 捌
「もう新居橋駅だ」
河尻が窓をのぞき込んで声をあげる。中牟田が扉を開け、前方を指で示した。
「ここから先は通れないそうです」
「そうですか。お嬢さん、ちょいと話してきます」
「僕も行こう」
緒都と河尻は馬車を出た。柵は駅舎の前にも設けられ、人々が煉瓦の壁に身を寄せ、何事かと話しながら行き来する。通りを塞ぐ柵のこちら側には巡査が杖を手に仁王立ちしていた。
「ご苦労様です、本部の河尻巡査です」
「志太富田署の恩田巡査です」
河尻と巡査が敬礼を交わした。
「ちゃんと連絡が届いてるみたいで安心しました」
河尻が柵に目をやる。恩田が深くうなずいた。
「駅を優先して規制したおかげで突破を防ぐことができました。まあ、人も多いし進みにくいとでも思ったんでしょうな」
そこに俥が走ってくる。恩田が説明すると、車夫と客が顔を見合わせて引き返していった。
「失礼しました」
「いや――恩田さん、あれを見たんですか」
「はい。ちょうどそこまで来ましたが戻っていきました」
「するってえと――あいや、となると怪我人や事故なんてのは」
「いえ、私の見た範囲では。病院に担ぎ込まれた者がいるらしいとは聞きましたが……しかし、勤務中に妖怪を見るのは初めてですな」
「ア。そうですか、妖怪」
河尻が一拍遅れて言った。
「私も時々見ますね、なかなか手に負えるもんじゃありませんが……それで恩田さん、私らはちょうどそいつを調べに向かってるところでして、ちょいと通していただけませんか?」
「そういうことならどうぞ。用心してください」
「ありがとうございます。恩田さんも気をつけて」
馬車は速度を落として南へ向かった。すれ違う俥や馬車は少ない。緒都は窓に張りついて目を光らせた。
「でも、走り回ってる奴をどうやって殺すんです?」
沖浪が尋ねた。
「うかつに近づくのは危険だけど、銃を使うのも避けたいな。許可が出てないのは後からなんとかするにしても、皆が避難してるわけではないからね。人がいない、広い場所に誘い込めれば機会はあるかもしれない」
「この近くで広いと来れば志太公園ですかね。ただどうやっておびき寄せるかですよ。何が憑いてるか分からない以上やり方も決めにくい」
「おびき寄せるなら怒らせればいいんじゃないですかね」
沖浪がけろりとした顔をしている。
「挑発して、怒って走ってくるところを横から何かぶつけて、倒れたところをやるのはどうですか? 公園まで行かなくてもできますよ」
(確かに、人が真正面から組みついて取り押さえられる相手じゃない。意表をつくのはいい作戦だけど、挑発する役が危険だし、馬みたいな速さのものに何をぶつければいい? タイミングを見計らうのも難しいし……)
「どうです、お嬢さん」
緒都は沖浪の声に目を上げた。口を開きかけてとどまる。後方から勢いをもって近づいてくる音があった。蹄の音は聞こえないから馬車ではない。俥でもない。緒都は意識がぴんと弾かれるのを感じ、額を窓に迫らせる。黒い車輪が一つ、ぐんぐん回転しながら馬車を追い抜いていった。
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