最期の一葉 拾貳
鴫村は床を蹴ると、全身を現した売り子に組みつこうとした。しかしわずかに届かず上着の裾をつかむにとどまった。真っ赤な顔の少年が鴫村に向けて罵声らしきものを放つ。びくりとした手から裾が離れ、入れ替わりに沖浪が売り子の背中へ飛びかかった。二人がわめきながら床に転がる。腕力ではもちろん沖浪が優っているものの、組み伏せようとすると少年が噛みついたり身をくねらせたりしてかなわない。その上、沖浪は渾身の力には一歩及ばぬ塩梅でやり合っているようで、埒が明きそうにない。
「鴫村君!」
最後に階段をのぼりきった緒都と目が合った。今まで見たことのない、殺気のようなものをまとった顔で、手には売り子の旅行鞄を持っていた。展望台の出入口から見張りが顔をのぞかせる。鴫村は組んずほぐれつの二人をかわして展望台に飛び出ると、見張りに下がるよう促した。訝しげな見張りを数歩ばかり遠ざけた時、背後であわただしく音がした。鴫村は体ごと振り返る。沖浪と売り子が展望台に転がり出てきたのだった。沖浪が売り子を柵に押しつけ、売り子は手足がもげそうな勢いで身をよじっている。緒都が部屋との境に立ち、旅行鞄を抱えたまま加勢しあぐねている。沖浪と売り子の間には入ろうにも隙がなかった。
「観念しろ」
歯を剥き出して沖浪が言った。相手があきらめなければ手足をへし折りそうな剣幕だった。売り子はなおも何事かを吐き捨てながら身悶えしていたが、そこで上着の隠しからひらりと何かが落ちた。葉書だった。売り子の顔色が変わった。とっさに拾おうとして沖浪に押さえられる。その時、強い風が掃いてさらうように吹き抜けた。葉書が白く光りながら巻き上げられ、金網の隙間から中空に舞う。売り子が懇願するような響きで叫んだ。皆が――沖浪までもが、息が詰まったように身動きを忘れた。売り子はありったけの力で沖浪と柵の間をすり抜けた。旅行鞄を投げ捨てた緒都が、沖浪の脇から売り子へ突進した。
「だめだ!」
緒都が悲鳴じみた金切り声をあげ、しかし売り子は振り向かなかった。柵に手をかけると、中空の一点、翻る葉書から目を離さぬまま、破れた金網の向こうに身を躍らせた。そしてすがるように腕で大きく空を切るのを最後に落ちていった。
「ああ!」
見張りの悲痛な声に鴫村は我に返った。雲のない空がまぶしかった。緒都は壁に背を預けてしゃがみ込んでいた。沖浪は売り子の飛んだところに立って、微動だにせず下を見ている――辺りに爆ぜるような響きが渡った。鴫村はおもむろに下をのぞき込み、瞑目して手を合わせた。
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